音楽鑑賞履歴(2019年5月) No.1316~1326

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
令和に元号が変わって、最初の月の音楽鑑賞履歴です。
11枚。
ちょっと復調したかなという感じですね。色々と趣味の兼ね合いがあって、なかなか聞けない時があったものですから。ジャンルもフィリー・ソウル、アニソン、ポストパンク、クラシックロック、テクノといった風に雑多に聞けた感じでしたね。もうちょっと数聞きたい感じもしますが、こんなもので。まあ、Spotifyを使い出してから合間に聞けるようになってますが、やっぱりちゃんと聞きたいですし。そんな感じでのらりくらりと行きたいですね。
というわけで以下より感想です。


72年発表5th。大ヒットした同年発表の前作からわずか10ヵ月後に発表されたアルバム。ブレイクした勢いそのままに、アル・グリーンから搾り出される儚げなファルセットボイスとそのHi-サウンドの甘美な響きが絡みつくスウィートな内容。極めて、「歌声」にフォーカスしている一方で演奏の下支えが心強い
どうしてもファルセットに目にいきがちだが、サザンソウルのマナーに忠実なグルーヴのディープさとキレのあるホーン・セクションがアル・グリーンのくぐもった様な篭りがちにうねる歌声を味わい深くさせる。歌と演奏の絡み付き方が堪らなく粘っこい。粘度の強い蜂蜜を味わっている濃厚さが印象的だ。
独特な歌声が高く伸び上がるのも、演奏の天上感があってこそで、Hiサウンドのタメと開放感は全て、歌唱へと貢献しているものだと感じられる。非常に甘美で濃密な愛の世界が展開されているが、演奏、歌唱ともに当時の飛ぶ鳥を落とす勢いを感じる好盤ではないかと。スウィートソウル入門としてもオススメ


72年発表4th。アル・グリーンというシンガーとHiサウンドを一躍世に知らしめた出世作。1曲目からして、ソウル・クラシックであるアルバムタイトルトラックが来て、アルバムの存在感を強めているのが目を引く。内容はスウィートさとは裏腹に、かなりタイトでアーシーなサウンドが続くが面白い。
Hiサウンドを育んだメンフィスがアメリカ南部の地であることからも、本作のサウンドは非常にサザンソウルらしいディープな泥臭さがあり、タイトでヘヴィなビートにホーンの金属音が切り込んでくる。アル・グリーンの歌も以降のファルセット多用というよりは、そのアーシーな演奏に寄り添ったものである
粘っこいだがしつこくない、時折ブルージーさを感じる演奏に、アル・グリーンは朴訥に朗々と歌い上げる。この段階ではファルセットもそこまで多用しておらず、男臭いが同時にナイーヴな印象も受ける、既に老成した味わい深いヴォーカライズがやはり魅力的だ。
後の作品に比べると、サウンドの濃密さには及ばないが、シンプルかつ粗野な引き締まった演奏と歌唱が返って、シンガーの魅力と実力を引き出している名実ともに名盤なのではないだろうか。実際、聞いてみると意外に奥の深いアルバムだ。ソウルを聞くなら一度は聞いておきたい歴史的な一枚かと。


Candy☆Boy(DVD付)

Candy☆Boy(DVD付)

07年発表3rdSG。韓国人歌手MEILINの楽曲、という以上に「アニメ2.0」と呼ばれたWebアニメ企画「Candy☆Boy」の最初の楽曲としての認知度が高いと思われる。DVD同根版には0話ともいえる短編アニメ(ニコニコ動画にもアップロードされているはず)とアニメ映像を使用したMVが収録されている。
そういった出自の楽曲ではあるが、肝心の内容といえば2step調のリズムが目立つK-POPという印象で、当時としても紋切り型のサウンドであることは否めないか。そういう点では00年代後半初頭の雰囲気が蘇ってくる楽曲でもある。アニメと合わせてのパッケージングという向きが強い。
カップリングに矢井田瞳「My Sweet Darlin’」がなぜかラップパートを挿入されたカバーで収録。こっちも、音圧高めの当時らしいアレンジ。いずれにせよ、そこまで目新しい感じではないが、アニメ「Candy☆Boy」のファンならDVDソフトに収録されていないエピソードが付いてくるので持っていて損はないかと


Bring up・・・LOVE(夏服仕様ジャケット)

Bring up・・・LOVE(夏服仕様ジャケット)

Bring up・・・LOVE(冬服仕様ジャケット)

Bring up・・・LOVE(冬服仕様ジャケット)

08年発表主題歌集。ニコニコ動画で配信されたWebショートアニメ「Candy☆Boy」の主題歌集。楽曲プロデュースが「少女革命ウテナ」のOP曲「輪廻-revolution-」の作編曲をしている矢吹俊郎によるものとなっている。四つ打ちハウステクノに煌びやかな楽器の装飾音が散りばめられ、劇的に盛り上げる。
コーラスのゴスペルっぽい響きなどもあって、祝祭めいた開放感もあるのも拍車を掛けており、90年代の小室サウンドをも彷彿とさせるが、底地に見え隠れするブラックミュージックの要素が時代に囚われないグルーヴを出しているように思う。この辺り、素地がしっかりしているから、普遍さがあるのだろう。
ちなみにジャケットが夏服と冬服でカップリングの収録楽曲が違う上、2バージョンともにDVD同根版(収録内容はほぼ同じ)が存在する。こちらもDVDには本編DVD未収録エピソードが収録されているため、作品のファンはぜひ揃えておきたい。どちらにしても作品に寄り添った良い楽曲集という印象だ。
以下がDVD同梱版のリンク。
Candyboy主題歌(DVD付)

Candyboy主題歌(DVD付)

Bring up・・・LOVE(冬服仕様ジャケット)(DVD付)

Bring up・・・LOVE(冬服仕様ジャケット)(DVD付)


80年発表2nd。度重なる延期と発売中止の末にようやく再発売されたポストパンクの代表格、ザ・ポップ・グループの二作目。なのだけど、版権問題の紆余曲折があって、元々収録されていたラストポエッツの参加した「One Out of Many」から当時のシングル曲「We Are All Prostitutes」に差し替えられている
この為、リリース当初の内容が完全収録とはなっていないのが惜しいところだが、アーティストの意向としては今回のリイシューこそが「アルバムの完全な形」ということだそうなので、これが決定盤ということなのだろうと思う。というわけで今回は16年再発盤のレヴューとしたい。
さて肝心の内容は前作に施されていたダブ処理が鳴りを潜め、演奏の肉体性と凶暴性が増大している。とにかく「怒り」に満ちたサウンドで、甘ったるい感傷や夢見がちなロマンティックさは一切皆無。録音当時、バンドはほぼ解体状態で、録音もメンバーの衝突が茶飯事であった事もあり緊張感がスゴい。
まさしく抜き身の怒りによって、奏でられる音楽はファンクを通り越して、アフリカンリズムにまで接近し、その躍動感によって肉体的な暴力性を剥きだしている。そこに当時の英国の社会事情も絡み、歌詞は社会・政治批判を多分に含んだ扇動的なもので、演奏・歌詞の両方から「怒り」が溢れ出す。
ファンク、アフリカンミュージックにケルトやNWサウンド、非ロックのありとあらゆるものが渾然一体となって、ポストパンクの塊となって繰り出されるサウンドは非常に濃度が濃いもので当時20歳前後の若者たちに満ちていた鬱屈した感情がぶち撒かれている点だけでも盤として輝く理由として申し分ない。
程なくしてバンドは3rdアルバムの完成を待たず解散。メンバーはそれぞれ活動を続けていくが、その後の活動で繰り広げられる要素が本作には目一杯詰め込まれている。未分化ゆえの可能性が詰まっていたといっても過言ではないが、もはや再現不可能な青春という感情の無軌道な爆発が記録された一枚だろう


ザ・ゲーム

ザ・ゲーム

・80年発表9th。彼らのアルバムでは英米の両方で1位を獲った作品として知られる。前作が70年代を総括したアルバムだと考えるなら、本作は80年代の幕開けを象徴するものだろう。既に導入しつつあったが本作でついに「ノー・シンセサイザー」の表記が消え、冒頭から鳴り響いている。
内容も当時のパンク/NWの波を受け、メジャー級のバンドがその文脈で自分たちの音楽を表現するとどうなるか、というのを地で行くものとなっている。大ヒットした3や5はそういったファンクを経由したポストパンク後のダンスミュージックやロックリヴァイバルとしてのプレスリーだったのではないかと。
70年代の全盛期のような大作主義は影形もないが、クイーンらしい華やかなポップスは席巻していた新しい息吹をまとって、刷新されていたと思うのだが、3がヒットした手応えでよりブラックミュージック、ダンスミュージックへと舵を切ってしまったのは勇み足だったのかもしれない。
もちろん手応えがあったからに他ならないのだが、やはり受けた理由は時代の波を上手く取り入れられたからであって、少なくともダンスミュージックだったからというわけではなさそうだ。無論次作も出来は悪くないのだが、その商業的失敗の遠因には本作が売れた事による認識の誤りがあったのは疑いない。
そういう点では罪作りなアルバムでもあるが、それでもこの作品の軽すぎず重すぎずのポップな質感と蛍光灯のような明快な雰囲気はやはり魅力であると思うし、彼らのポジティヴがよく表れた一枚だろう。彼らはこのアルバムの成功とともに前途多難な80年代の一歩を踏み出したのだった。


ライヴ・フロム・ザ・ショーボート

ライヴ・フロム・ザ・ショーボート

76年録音盤。フィル・ウッズアメリメリーランド州ライヴハウス、ショーボート・ラウンジにて76年11月に録音したライヴ盤。以前は収録曲を削っていたバージョンが出ていたが今回はライヴの内容を完全収録した二枚組アルバムとなっている。演奏の方は非常に熱気のあるもの。
ライヴパフォーマーとして定評のあるフィル・ウッズのサックスはエネルギッシュかつ伸びやかにブロウする。当時の充実振りが伝わってくる演奏で、ソロパートになると文字通りアルトサックスの野太いフレーズをこれでもかと、自由闊達に吹きまくるウッズの姿が目に見えてきそうなほどだ。
ウッズの脇を支えるメンバーも気を吐く。70年代後半というフュージョン全盛時代というのもあってか、全体にシャープで硬質なサウンドで聞き心地も非常にクリアなトーン。その分、音の粒立ちがよく、サックスなどの音とともにリズムの躍動感が素晴らしい。非常にタイトなビートによって演奏が際立つ。
圧巻はDisc2に収録の21分超の「ブラジリアン・アフェア」。縦横無尽に各楽器が雄弁に語り合う光景にはただただ圧巻というほかない。約二時間の内容があっという間に聞けてしまうベストパフォーマンスといっていい演奏が楽しい一枚。ジャズにおける名演の一つかと。
このライヴの翌年、フィル・ウッズビリー・ジョエルの大ヒット曲「素顔のまま」のサックスソロで客演することとなる。そういう点からも円熟味の増した芳醇な演奏とも言えるでしょう。


Drukqs [帯解説 / 2CD / 国内盤] (BRC557)

Drukqs [帯解説 / 2CD / 国内盤] (BRC557)

01年発表5th。テクノ界の奇才、リチャード・D・ジェームスのもっと有名な名義であるエイフェックス・ツインの00年代にリリースした唯一のアルバムにして二枚組の大作。元々アンビエントテクノをリリースする名義だったのもあり、それらをメインにごった煮な内容となっている。
エリック・サティジョン・ケージに影響受けた自動演奏ピアノ楽曲や、エイフェックス正調であるコーンウォールサウンド、奇妙な電子音が飛び交うリズムクレイジーな楽曲、アブストラクトテクノなどなど前衛スレスレの所で聞かせるテクノ=IDMを縦横無尽に鳴り響かせている。
そういったリチャードの音楽性がごった煮されている中で、全体のトーンは瞑想的でもあり、自然とアンビエントな陶酔感に満ちたものとなっていて、身を委ねて聞いていると何かか覚醒するような恍惚も感じられる。個人的にはその中でもアコースティックな静謐さを秘めたピアノ曲などが興味深く聴けた。
ドラッギーな感覚というよりは感情の澱が積もっていく中でなにかしらの意味が導き出されそうなインナーミュージック然としたアルバムだと思う。なんというか宗教音楽などにニュアンスが近いかもしれないが、それをクドさなく軽やかにかつ狂気的に聞かせる作品かと。奇才という相応しい内容だった。


Orbital 2

Orbital 2

93年発表2nd。80年代末~90年代初頭のアシッドハウスに代表されるハートノル兄弟によるテクノユニット。セカンド・サマー・オブ・ラブアシッドハウスムーブメントの流れを汲んだ、ドラッギーでトランシーなハウステクノが展開される、当時の王道的なサウンドが聞けるのが特色。
現在のテクノ・エレクトロシーンの音に比べると、モコモコとした音像と例えれば画素の荒い、アナログな肌触りが残るキックとメロディ、ミックス感がいかにも人間くさい印象を与える。しかしそれが悪いというよりも、隙間の多いシンプルな構成だからこそ、プリミティヴにノレる作りとなっているのが良い
この時期はまだまだドラッグ文化とも結びつきが強いためか、トラックもサイケな質感が多いの特徴だ。この時期のテクノに多用されるシタールの幻惑的な響きやジャミロクワイとも呼応するディジャリドゥの音など、キメた時にトリップを促すような音が盛り込まれているもの時代の雰囲気を感じさせる部分だ
音自体は今の耳には若干古臭くもあるが、現在に繋がるテクノシーンのベーシックな部分を形成したアルバムの一つでもあると思う。ここから日本のアーティスト、たとえば電気グルーヴなどに辿りつけるのであるから、テクノ好きなら一度は触れておいても損はない名盤だろう。シンプルゆえに響くものもある


ドラムジラ

ドラムジラ

96年発表日本独自編集盤。アシッド・テクノ・シーンでその名を馳せたDJ、ティム・テイラーとダン・ザマーニによるプロジェクトユニットの楽曲を編纂したアルバム。リミックス違いを含む全10曲、すべてがフロア仕様のキラーチューンばかりのアシッド・ハウス・アルバムとなっている。
メロディや鳴り物はほぼ最低限に、トライバルなアフリカンリズムと四つ打ちキックのビートを中心に据えた、極めて潔い、なおかつプリミティヴにリズムの快楽を伝えてくる楽曲がアルバム全編に渡って、暴力的に鳴り響く内容となっており、フロアではない場所で聞いていると、自然にリズムを取りたくなる
フロアでアガって踊り尽くすのにメロディなどいらない、心駆り立てるビートがあればよい、というとてもストイックにアシッドハウスに向き合いながらも、オーディエンスのことを常に意識した作りになっているのがなにより本作を惹きつける魅力なのではないかと思う。ビートだけでご飯三杯は美味しい良盤


以下はレヴューの該当盤ではないが、近しい収録内容の編集盤として参考までに掲載しておきます。

音楽鑑賞履歴(2019年4月) No.1309~1315

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
平成から令和へ。
元号の変わり目なんていう、滅多にない出来事を経ての最初の定期記事更新です。
相も変わらず、7枚という体たらくですが去年に比べたら聞いてますね。
今回は割りと雑多に。ブラックミュージック系が多い感じでしょうか。
一番最初のJAGATARA「裸の王様」のレビューが長々と書いてます。
令和年間が良い時代になることを祈りつつ。
というわけで以下より感想です。


裸の王様(紙ジャケット仕様)

裸の王様(紙ジャケット仕様)

87年発表3rdでオリジナルアナログMixを使用した07年リマスター盤。これより一つ前のリイシューである99年盤は初CD化の際に、レゲエ畑のエンジニアであるゴドウィン・ロギーがミックスを施したものとなっている。今回レビューをする、07年盤は20年の時を経て、当時のアナログ盤のミックスが初CD化された
聞き比べるとボトムラインの重低音を中心に据えて、アルバム全体の統一感を出しているゴドウィン・ミックスに比べると、オリジナルミックスは収録曲の個性がそれぞれ際立つミックスになっていて、曲ごとの印象がより鮮烈なものになっているのが大きな違いだ。故にアルバムの印象がまったく異なる。
重低音を全体に高めることでアルバムのトーンと演奏のグルーヴが強く意識され、「裸の王様」というアルバムの像が浮かび上がってくる、ゴドウィン・ミックスは同じ場で演奏されているような錯覚もあり、各曲のトーンが均質化されているのが分かる。グルーヴの整理整頓がされているのは一つの判断だろう
対して、オリジナルミックスドンシャリ感の強いミックスで「一曲完全燃焼」という印象が強く、一曲ごとのプレイヤーたちのエネルギッシュな熱量が迸っている。曲ごとの様相がころころ変わるので、全4曲ながらリスナーが心地よく「疲れる」一枚であることは間違いない。
事実、ゴドウィン・ミックスを先に聞いていると、オリジナルミックスの楽曲たちの鮮やかな表情に驚く。アフロ・ファンクな「裸の王様」で幾度となく繰り返されるリズムのキメにブチ上がり、「岬で待つわ」ではラテン・ファンクの細分化されたホットなパーカッションリズムに温度は上がるばかり。
「ジャンキー・ティーチャー」はここまでNW・ポストパンク色を帯びた演奏だったのかと驚かされ、ラストの「もうがまんできない」ではレゲエのクールネスな響きとサヴタージな悲哀と皮肉が押し迫り、アウトロでの残響の余韻がたまらなく印象的だ。と、このように濃度の高さが肌で感じられる。
個人的にはゴドウィンミックスの纏まりの良さも嫌いではないが、オリジナルミックスの際の美味しい部分だけを集めたような、メリハリのついたサウンドを先に聞いていると見劣りしてしまうのも頷けてしまう。また99年盤はミックスの際に江戸アケミの要望で一部楽曲のボーカルが録り直されている。
その辺もネックとなって、ファンの不興を買っているのは事実ではあるが、全体に音がオリジナルよりも分厚くなっているゴドウィンミックスは今聞くと現代的な音のようにも聞こえなくないから、良し悪しといった所。内容的に名盤である事実は変わらない。入手困難ではあるがファンは一度聞いてみてほしい
※99年盤のレヴューは以下のリンクにあります。
terry-rice88injazz.hatenablog.jp


じゃがたら/JA・BOM・BE (UKI UKI)

90年発表ライヴ編集盤。インディーズで出していた2枚のライヴ音源EP「UKI UKI」と「JA・BOM・BE」を2in1した編集盤。それぞれ前者が86年9月、後者が87年12月に行われたライヴを収録している。時期的にインディーズ時代末期で、中間に挟まれたリミックス曲を境に様相が変わる。
収録曲は基本1st「南蛮渡来」のものとイアン・デューリーのカバーが1曲。しかし、演奏の雰囲気は全く趣を異にする。「UKI UKI」収録の3曲(リミックス曲もこちら)はバンドのホットで猥雑な部分が展開される扇情的な演奏。時代的な音(圧)の弱さが災いしてガツっとした重量感はないがグルーヴ感は強い
印象深いのは後半「JA・BOM・BE」収録の「クニナマシェ」と「タンゴ」。どちらもバンドの代表曲であるが前半に比べて、こちらはクールかつ醒めた印象の演奏で土着的なリズムが響く中、死の淵や社会への諦念を感じさせる、凄みのある演奏。印象には弱いが「タンゴ」にはミュートビートの小玉和文が参加
1st収録曲のライヴテイクという貴重さもあるが、内容的にはバンドの生々しい演奏が聞けることが主眼となった内容といえるかと。しかしこれだけ磁場が強いバンドだとやはり生でライヴを体感することが一番なのだろうけど、それが叶わない事だけが悔やまれる。一度体感してみたかったと思わせる一枚だ。

Esso Trinidad Steel Band

Esso Trinidad Steel Band

71年発表1st。石油会社で有名なエッソがトリニダード・トバゴに投棄していった質のいい鉄製ドラム缶を使って、現地人がスティールパンを作り、楽団を結成したところ、評判になってエッソがスポンサードして出したアルバム。そしてバンドのプロデュースにかのヴァン・ダイク・パークスが関わっている。
彼のプロデュースによって、スタンダードポップスなどしか演奏していなかった彼らがキンクスサイモン&ガーファンクル、ジャクソン5、当時のミュージカル「ヘアー」の劇中歌などを本作でカバー。スティールパンの響きが十全に伝わるポップな味付けとなっていて、内容の出来に一役買っている。
スティールパンの独特かつ柔らかな金属音によるメロディの響きと、そこにドラムやパーカッションのリズムが加わり、カリプソなどのカリビアンミュージックがアルバム全体の眩しいくらいの陽気さを生み出していて、とても楽しそうな演奏が聞こえてくる。71年という時代を考えても底抜けに明るい。
そういった世情や時流を抜きにしても、伝わってくるのはスティールパンのあの響き。このきらびやかな音を聞いてるだけで桃源郷にいるような感覚に浸れる、甘露のような音楽であることが何よりも耐え難く、音楽そのものの魅力が伝わってくる。当のヴァン・ダイク・パークスが惹かれたのも頷ける良盤だ

Roy Buchanan

Roy Buchanan

72年発表1st。ローリングストーンズにメンバーとして誘われたこともある実力派にして、世界一無名なギタリスト(手違いでそう呼ばれたそうだが)の異名をとる、ロイ・ブキャナンのソロ初作。ジャケットからも分かる、無骨な印象そのままのテレキャスターが鳴り響く。
内容はロックというよりは、出身地であるアメリカ南部アーカンソーに根ざした、ブルースやカントリーウェスタン調の楽曲がメインだが、彼のテレキャスターから奏でられる硬質なギターフレーズがシャープに響き渡るのが印象的だ。最低限のバンド構成だけのきわめてシンプルな演奏がそれに拍車をかける。
余計な装飾がない分、ギターの金属質な音がエモーショナルに鳴り、心を揺さぶる。曲よって、その表情は豊かに変わるが、やはりテレキャスターの音がなんと言っても滋味深く、そして時に素っ気無く、付かず離れずな味わいが良い塩梅だ。その奥行きの深さに浸る一枚だろう。32分ほどの短さだが味は深い。

Electric Ladyland

Electric Ladyland

・68年発表3rd。ダブルアルバム(当時)の大作で、初期三作の中では一番ブルース色が濃いアルバム。スティーヴ・ウィンウッド率いるTrafficのメンバーなどゲストが多数参加している。サイケデリック色が後退している分、ブルージーで骨太いサウンドが特徴的。特にギターの熱気と音の分厚さがすごい。
ディランカバーの「見張り塔からずっと」や代表曲「ヴードゥーチャイル」などが目立つが、中盤(レコードside2~3)のポップな楽曲の粒立ちの良さもアルバムの充実度に貢献してるように思う。75分超と今も当時も量的にはかなりの大作ではあるが不思議と長さは感じさせないのど越しの良さには驚くばかり
それもジミによる練り込まれた楽曲と天性の即興能力が絡み合って結実したものであることには間違いなく、今なおリズム・メロディ・アレンジに新たな驚きと発見があることがそれを物語っているように思う。センス・オブ・ワンダーが時代性を超越しているという証拠のような驚異的な一枚ではないかと。

A(エース)

A(エース)

・97年発表7th。彼ら最大のヒット作にして、一般にまで知名度を広めたことでも知られるアルバム。ロングヒットした「Shangri-La」が収録されている事でも知られている。続く次作に比べると、音楽然とした楽曲が立ち並ぶが、同時に電気グルーヴらしいアシッドなテクノが全面に押し出されている。
持ち味でもあるユーモラスかつ毒気を感じるコミカルさとクールなトラックが絡み合い、奇妙な酩酊感があるのは彼らの真骨頂といったところ。アルバムとしての完成度が高い反面、「Shangri-La」もそうだが、全体に即効性に乏しいトラックで占められているので、ジワジワと利いてくるサウンドという印象。
ユニット名よろしく、グルーヴが渦巻く一枚となっており最大のヒット作にも拘らず、かなり玄人好みな内容にも聞こえなくないか。意外とスルメ系の良盤なので、魅力を実感するには何度か聞き返してた方が吉か。本作を最後にまりん(砂原義徳)が脱退。以降、卓球&ピエールの二人体制に。

The Gold Experience

The Gold Experience

・95年発表15th(本人単独名義で)。前作で「プリンス」という名義を葬り、3年前のアルバム「Love Symbol」で登場した記号をアーティスト名にした、最初の一枚。所属のレコード会社との確執による結果なのではあるがこの後、しばらくこのややこしい名義での活動が続く。
とはいえ、内容は気を吐く勢いで漲った、エネルギッシュな作品だろう。プリンスらしいクセの強さを物語る、ロックともファンクともつかない鋭い演奏がHI-FIな印象で密度高く聞こえてくる。しかしそうはいっても80年代のポップな作風と比べると、濃密なブラックミュージック然としたサウンドだろう
だからなのだろうか、ロックミュージック的な勢いのある曲よりはミッドテンポでうねりのある曲の方が味わい深く、魅力的でもあるか。めくるめく官能の世界というか、プリンスサウンドのねっとりとした、濃い世界が繰り広げられる点では90年代の作品の中でも最良の形で提示している。
一口目が非常に飲み下しづらいが、それを乗り越えてしまえば、あら不思議。タイトルの通りの「黄金体験」が堪能できるアルバムではないかと。苦闘が続く、雌伏の時期であることを感じさせない、プリンスがプリンスたりうる音楽が所狭しと押し寄せてくる。ギラギラしてるけど美しさのある一枚だ。

音楽鑑賞履歴(2019年3月) No.1302~1308

月一恒例の音楽鑑賞履歴。

今月は7枚です。少し復調。

最近、TwitterのTLから流れてくる新譜の情報を元にSpotifyで聞くということもしてますけども、本記事は基本的に購入物のレビューなのでTwitterのつぶやきは含まれない方向で書いてますので悪しからず。なんというか定期更新用の生存報告記事ですので、向こうは向こうで見ていただければなと思います。
しかしまあもう今年も1/3が過ぎてしまいました、早いものです。
3月はなんとなくGrapevine特集となってます。リリース順に買ってないのでアルバムの順番が前後してますが。それはそれとして。
書いてるのは4月なので、新元号「令和」が発表となって色々と世間が賑わっていますが、このブログはマイペースに行きたいと思います。
というわけで以下より感想です。


イデアの水槽

イデアの水槽

03年発表6th。ガレージロックとソウルの影響が色濃く出たアルバム。そこにUKのギターロック的な荘厳さがかすかに感じられ、アメリカンな黒さと英国的なシニカルな野暮ったさが同居してるのがなかなか興味深いし、面白い感じ。ボトムラインに重きを置いているためか、骨太なギターロックがより強靭に。
心地よくうねるベースライン、跳ねるビートにガレージロックというかギターロック的なザクザクとしたリフが重なって、グレイプバインならではというバンドスタイルが出来上がっていて、呼応するようにボーカルがシャウトする。歌っていて気持ち良さがあるのだろうなと思わせるエネルギッシュな演奏。
後追いで聴いているせいもあるかもしれないが、この時点でやはり相当にソウルミュージック的な黒さを滲ませているのが目を引く。もちろんバンド名の由来がマーヴィン・ゲイの曲だというのは百も承知だが、本作に至って、その影響を素で出せているようにすら思う。ダークさも含めてソウルフルな快作かと


VOXXX

VOXXX

・00年発表8th。大ヒットした前作の余波を受けて制作され、前作以上に作りが過激になった感のある一枚。楽曲ともコントともつかないものが入り混じり、シニカルな毒気とコミカルなユーモアが渾然一体となって、ドラッギーに構成されるミックスパーティといった趣がとても強い。
その根底にはYMOスネークマンショーの影がちらつきながらも、ジャーマンテクノやアシッドハウスの影響も包み隠していない、分厚いシンセとゴリゴリのキックを滝のごとく浴びせられる。その上でミックスの切り替わりが恐ろしくスムーズで流れてくるリズムとメロディによって、自然とノセられていく。
構成もきわめてクレバー、後半の盛り上がり所でアルバムに提示されていたシニカルとコミカルがピークで混ざり合い、一気にブレイクしていくのはただ快感でしかないだろう。それでいてミュンヘンディスコらしい下世話さとパチンコのようなフィーバー感覚が重なり合わさり、日本らしい感触にもなっている
笑い(コミカル)とアジッドハウスが混ざり合って、乱痴気騒ぎに祝祭感を伴うのがえらく日本っぽさを感じさせるわけだが、この領域に到達してるアルバムもあまり類を見ないか。海外のシーンに目配せしながらも、日本のテクノも見事に提示しているアルバムだと思う。

d e racin e

d e racin e

05年発表7th。前作との間に一枚ミニアルバムを挟んで、発表されたアルバム。前作に比べると、ざらついた感触のギターロックにブルージーな憂いの表情とうっすらウェストコースト的なアーシーさも目立つか。ベースが相変わらずうねっているのがバンドの屋台骨という印象。
スローやミディアムの楽曲がより味わい深さを増しており、先に説明したブルージーさやアーシーな感覚がファストナンバーより際立っているように思う。かといって枯れた味わいがあるのではなく、ギラついた生気がスキあらば所構わず、ギターをかき鳴らしてくるのがグレイプバインらしい。
内省的な感情を携えつつ、どことなくすっきりとしない開放感を感じさせてくれるアルバムで、楽曲には華や派手さが削ぎ落とされた内容ではあるが、良くも悪くもその武骨で骨太い印象が我が道を行くバンドらしい姿勢が伺えて、ほっとする安定感のある良作の一枚だろう。意外とスルメな作品だと思う。

アーダー(熱情)(紙ジャケット仕様)

アーダー(熱情)(紙ジャケット仕様)

75年発表1st。プログレ辺境地アメリカ出身のバンド。YesやGenesisの影響が色濃いアンサンブルを主体に、ジャジーな質感やアメリカンポップスの素養も伺えるサウンドの構築力の高さが特徴か。ぎりぎりハイテクポップスになりきれない、70年代らしい垢抜けなさも感じられるがそこも味わいだろう。
やや古めかしいシンセサイザーの音色や全体に感じられる朴訥とした雰囲気、あるいはヨーロピアンな感触の薄いSF色や曲展開のモンドなブレイク感は今聞くと興味深く、サンプリングソースとしても有用なのではないかと感じられる。時代の遺物ではあるが、かとなく人懐っこしさも感じられる佳作の一品かと

Autobahn-Remastered

Autobahn-Remastered

・74年発表4th。主要メンバーが習作だと位置づける前作までを踏まえてリリースされた、テクノミュージック開闢の一作と目される金字塔的作品。22分の大作であるタイトルトラックとよりサウンドスケープ室内楽的要素を含んだ小曲という構成。とにもかくにも、タイトルトラックが目を引く。
非常にたおやかな電子音トリップミュージックといった趣で、その空疎な緩やかさが返ってクセになる。曲構成も悠然としたドイツのアウトバーンを走行するイメージが強く、ビートやメロディもまったりとしていて温かみのある印象を受けるか。ポップな響きではあるけど非ポップな趣きも強い。
どちらかというと室内楽や現代音楽的なアプローチがこの時点ではまだ強く、まさしく電子音の響きがポップに聞こえたことがエポックメイキングだったと言えるだろう。そういったフレーバーを提示した一枚でもあり、音楽の新たな可能性が開けた点で歴史的に重要な作品だ。今聞くとそのユルさが趣き深い。


Mothership Connection

Mothership Connection

75年発表4th。いわゆるP-FunkP-Funkたるコンセプトが確立された一枚。これまでも平行して活動していたファンカデリックのコズミックなサイケ感覚をよりファンクの形でSF的なコンセプトによって昇華されたものがこのアルバムという位置づけなのだと思う。
本作からスターチャイルドというキャラクターが、ファンクと敵対するキャラクターサー・ノウズ・ディヴォイドオブファンクとの戦いを繰り広げていくSF的なコミカル叙事詩という体で展開されていくそうで、そういう点では戯作的な要素も含んだP-Funkワールドが提示された作品でもあるのかと。
反面、そういった下世話なSF設定とは裏腹に演奏自体は非常にタイトでスマートな印象すら与えるクールなファンクで驚く。ファンカデリックのホットでロックな感じとは対照的。もちろんグルーヴの高揚感はあるが、知性を感じさせる構築美も感じられ、スライ由来の醒めたトーンも顔を見せるのが興味深い。
面白いのはファンクのミニマルさがロックオペラ的な叙事詩の語りと意外にもマッチしているということ。楽曲に起伏のない、反復によるグルーヴが生まれてるので歌によって抑揚をつけることはある種、発明でもありコンセプチュアルな内容をつむぐ上でも最適なのかもしれない。様々な点でエポックな名盤だ


another sky

another sky

02年発表5th。前作におけるUKギターロックのサウンドスケープ的な荘厳さへサイケなフレーバーが散りばめられる一方で、ボトムラインのグルーヴィーさや裏で鳴るオルガンのフレーズだったりはソウルミュージックの要素が垣間見えたりと枯れた味わいとウェットなギターのサステインがいい塩梅の作品。
英米のロックが程よく混ざり合っていて、それがグレイプバインの音楽になっているというのがよく窺える内容だと思う。ブルージーでもあり、サイケでもあり、一方でソウルフルでギターロックもしていて、それらが渾然一体となって奏でられている。こういう匙加減は返って本場では生まれ得なかったと思う
骨ばっかりじゃなく、きちんと脂の乗った肉も付いた味わい深いサウンドになっており、アルバムのまとまりで言えば、本作はバランスの良さが際立っているアルバムだと思う。次作になるとソウル色が色濃くなるのも含めて、彼らのベーシックな魅力がよく伝わってくる良盤なのではないかと。

音楽鑑賞履歴(2019年2月) No.1299~1301

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
3枚。
ちょっと少なすぎですね。他の事に気を取られていたといえばそうなのですが、もう少し聞きたかったところ。
なんだか色んな事に時間を削られすぎですが、まあともかくぼちぼちと聞いていきます。
というわけで以下より感想です。


Zero Tolerance for Silence

Zero Tolerance for Silence

・92年録音盤(発売は94年)。ジャズ・フュージョン~コンテンポラリーギターの代表格の一人、パット・メセニーによるソロギターアルバム。とはいっても、ファンが期待する音楽は全く収められていない。むしろロック的、あるいはノイズミュージック的なアプローチの作品なので聞く場合は注意が必要だ
一流のギタリストがただただ野放図にギターをかき鳴らす。それだけに特化した演奏であり、メセニーらしい柔和かつたおやかなトーンは一切ない。ディストーションを利かせ、ノイジーなギターの多重録音がストイックに響いていくだけ。聞く人によってはただ辛い内容かもしれない。
とはいえ破壊的、あるいは衝動的なアプローチはそこまでなく、重ねられていくギターノイズのは聞き込んでいくと、実は統制がとれていて、なにか規則的に構築されているようにも思えてくる。計算されているかは分からないが確かな技巧を持つ実力者の演奏であることが窺える。
不思議と構築美が見出されるのは、感性の赴くままに弾いているようで、その実、持てる技術を駆使して、演奏をコントロールしている為からではないだろうか。これを初手で聞く人もいないとは思うが、メセニーの引き出しの多さを感じる、興味深い一枚だ。異色作といえる作品なのでお勧めは出来ないが。


Home

Home

02年発表1st。フィッシュマンズのベーシストだった柏原満がオオヤユウスケと結成したバンド。サウンドからも分かるとおり、フィッシュマンズの精神的な継承者バンドだが、歌詞・質感ともによりポップス寄りになっている一方で、たおやかにグルーヴする長尺曲もあったりと一概にポップ路線ではない作り
柏原の図太く深いベースラインをサウンドの核として、ギターやピアノなどで奏でられる煌びやかなメロディが染み入るようにゆったりと広がっていく心地よさはなんともいえない。全体に浮遊感漂う空間的なサウンドなのでじっくり聞き込みたい場合はどっぷりと浸れる。隙間の大きさが堪らないというか。
フィッシュマンズとは似て非なる方向性だが、遺伝子は確かに受け継がれている。Polarisらしさはその上に乗っかっているものではありながら、よりメランコリーに、よりポジティヴに、穏やかな光の差す方へと踏み出した音はポップスそのもの。その点ではフィッシュマンズの作った道を拡張した良作だろう


Family

Family

03年発表2nd。前作のシンプルなバンドサウンドと比しても、かなり音色を増やし、ゲストミュージシャンなども多数迎えた作りとなっていて、ポップな比重が高まったアルバム。しかし、その下味にはダビーなテイストが見え隠れもしていて、重層的なサウンドとなっている。
前作までの音が好きだと、結構面食らってしまう変化ではある。実際にあの深い重低音を響かせていたベースが鳴りを潜めて、ギターや鍵盤のきらびやかなメロディが目立つ。しかし、何度か聞き込むと今までの素地が見えてきて、新しい部分がそこに混ざり合っていくようにも聞こえる。
フィッシュマンズから受け継いだ遺伝子に新しい要素を付け加えることで、サウンドを拡張していく手段を取ったのだと感じられ、方向性としては必然を持って進んでいるだとも受け取れる。持ち味を残しつつ、更なる進化を開拓する点においては大きな舵を切った作品だろう。

音楽鑑賞履歴(2019年1月) No.1292~1298

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
7枚。
調子が上がりませんね。いろいろとネット上のタスクを自分で増やしてるせいなので、致し方ありません。

今回から2019年、はてなBlog移行後の鑑賞分となります。なもので、一発目がマーヴィン・ゲイなのも、ブログの看板替えが影響したチョイスです。70sソウルが多目な鑑賞履歴になっています。今年も楽しく聴いていきたいなと思います。また今年から試験的にSpotifyの埋め込みも添付してみることにします。面倒になったらやらなくなるかもしれませんが、試聴できるようになればいいなと思いまして。またストリーミング解禁されていない作品についてはリンクを貼っていませんので悪しからず。

というわけで以下より感想です。


What's Going on

What's Going on

・71年発表13th。いわゆるニューソウルの歴史的な一作。泥沼化したベトナム戦争を背景とした反戦的なコンセプトアルバムでもある。当時のモータウンにおいては異例のセルフ・プロデュース作品でもあり、ブラックミュージックひいては社会問題にいたるまでさまざまな角度からのテーマを内包している。
シングル主体のレーベルでもあったモータウンにおいて初めてアルバムという作品形式を強く意識した嚆矢であり、マーヴィン・ゲイの問題意識がそこかしこに滲み出たアルバムだが、そこまで小難しくはなく、感じられるのはその官能的ともいえる「愛」を密に伝える内容だ。
彼の出自が牧師の家庭というのもあり、戦争や当時のアメリカ社会問題などに対してひたすらに「愛」を説く。サウンドもそれに呼応して、A面B面ともに曲間がシームレスにメドレーで流麗に繋がっていく構成なのもそれぞれが単一の問題ではなく、全てが繋がっている事を示しているように思う。
深刻な問題を愛で包み込んでいくというのは絵空事かもしれないが、そのマーヴィン・ゲイの真摯な語りが、シルキーなストリングスと滑らかなバンド演奏によって、甘美な響きとなってあっという間に過ぎていく。その美しさゆえに、問題提起の重みも強く意識するし、マーヴィン・ゲイ本人も真剣勝負である
そういった妥協しない姿勢が、普遍的なメッセージともなって歴史に残っているのではないかと思う。ちなみにモータウンとしては初の演奏クレジットがついているという点でも画期的な一作だ。特にベースのジェームズ・ジェマーソンは代表作といって過言ではない演奏を披露してくれている。
60年代末~70年代初頭を貫くテーマに「愛と平和」があるように思うが、そのテーマに対して、黒人の側からメッセージを発し主張するという点においてもそうだし、非常に真摯かつ真っ向から立ち向かった傑作だと思う。もちろんそういう主張を抜きにしてもサウンドも非常に素晴らしい一作だろう。



Killing Me Softly

Killing Me Softly

・73年発表4th。ロバータ・フラックの全盛期を伝える代表作。自作曲はないものの、全曲に渡って、編曲を彼女が手がけ、その上でストリングスやホーンアレンジをデオダードなどの当時気鋭のアレンジャーに一任している作り。バックはエリック・ゲイルやロン・カーターなどのジャズ畑の人材が並ぶ。
このアルバムは形容が難しい。当時のニューソウル(彼女はダニー・ハサウェイとも共演盤を作っている)を基調に、フォークやカントリーの要素も内包しているし、同時に演奏陣はジャズ・クロスオーバー勢なので、端正なプレイが印象的でもある。ロバータ自身もピアノで弾き語っているのでSSWっぽい。
一括りにしてしまえばニューソウルのアルバムなのだが、そのサウンドの全容の奥行きはかなり深い。先に言ったように、彼女はアルバム全体のアレンジを統括しているので、そこがまず特殊。そして選曲の妙もある。代表曲のひとつでもあるタイトル曲は元はドン・マクリーンが歌っている。
ほかにもジャニス・イアンレナード・コーエンなどの曲が立ち並び、ソウルフルな楽曲を揃えていないのが目を引く。3やユージン・マクダニエルズ作曲の5などがそれらしいが、その他の曲のソウルフルさを支えているのが他ならぬロバータの歌声であるのが興味深い。
絶妙なアレンジのなかでロバータの歌声がわかりやすく響くことを計算して構成されている点でもかなり作り込まれている事がわかるし、なにより聞こえてくる歌や演奏のとても心地のいいことは筆舌に尽くしがたい。最大の功労者はグランディ・テイトのドラムだろうか。キックの捌きが実に絶妙だ。
ソウルらしくないはずなのに非常にソウルに聞こえてくるというのがこの盤の不思議な魅力だし、なによりロバータ・フラックの柔らかでしなやかな歌声がずっと聞いていたくなる名盤だろう。多分R&B以外のファンにも受け入れやすい、エヴァーグリーンな一枚。改めて良さを実感した。


ファンキー・ナッソウ

ファンキー・ナッソウ

・71年発表1st。バハマ出身のバンド。タイトル曲は後に「ブルース・ブラザーズ2000」でエリカ・バトゥがカバーする一曲。ジャンカヌーというバハマ特有のダンスミュージックを奏で、マイアミで活動していた所を地元のレコードレーベルに拾われるという経緯で製作されている。
一聴しても分かるように、ノリのいいカリビアンなメロディが鳴り響く。マイアミという土地柄が影響しているのか、雰囲気は非常にナンパでチャラい印象のサウンドでもある。とにかくダンスホールなどの盛り場で流れる軽快でノレる音楽が詰め込まれたアルバムといって良いだろう。
反面、ファンクやソウルの粘っこいビートに感じられる重さは皆無で、トロピカルで細やかなビートのとにかく軽いダンスチューンが中心の構成で、タイトル曲の再生産的な楽曲が多く、一辺倒な嫌いもあるが楽しさは十分に感じられる佳作ではある。陽気ば雰囲気に浸りたい場合にはうってつけの一枚だ。

・69年発表3rd。ニューヨーク出身の女性SSW。当時22歳ながらも凄まじい迫力に満ちた、深遠な世界を見せつける一枚。基本、ピアノの弾き語りで装飾的にバンド演奏やオーケストラとストリングが重ねられているが、なによりも圧倒されるのはその歌声だろう。1曲目から咆哮とも言うべき歌唱には凄味がある
一体、どんな奥底から声を出しているんだろうかと思えるほど、爆発力のありパワフルな歌には確かに過度な装飾(アレンジ)はいらないだろう。実際、本作のアレンジは最大限にその力強い「声」を生かしたものであり、楽曲を彩るものに終始しているように思える。それほどにエネルギッシュなのだ。
同時に69年作でありながら、アルバムの纏っている空気はまさしく70年代のそれであり、SSWブームに先駆けてもいるが、なんにつけても激情ともいうべき歌唱はまさしく「魂の叫び」という他ない。ポップであるか以上にローラ・ニーロの剥き出しの感情に深く深く共鳴する一枚だろう。まさしく傑作。

Dawning of a New Era

Dawning of a New Era

93年発表編集盤。1stリリース以前の初期音源集。バンドがまだThe Specialsと名を変える以前のものであり1stに収録される楽曲が大半を占めるが、肌触りはまったく異なる。というより1stのエルヴィス・コステロのプロデュースは雑味が取られ、非常に整理された音であることがこれを聞くとよくわかる。
録音のミックスに弱さも感じるが、そのラフさの残る、すれっからしサウンドはルードボーイらしさがより感じられる。1stはきれいな服を着こなしている印象を受けるが、こっちらはだらしなく着こなしてる感じが返ってクールな印象。こちらの録音の方が素の彼らの雰囲気が漂っている。
このどことなく気怠い感じのスカは2ndやSpecial Akaのそれであり、全体的にジェフリー・ダマーズ色が強いといえるかもしれない。1stはもちろん名盤だが、そのダイヤの原石をそのまま聞いているような、そんな一枚。いろいろ興味深いし、この盤にしかない魅力やカッコよさが滲み出ている良盤だろう。


Writer

Writer

70年発表1st。ジェフリー・ゴフィンとの離婚から2年経ち、その間組んでいたシティというバンドを発展期解消させたのか、メンバーがそのまま参加したソロデビュー作。収録曲は書き下ろしも含み、ほとんどキング=ゴフィンの共作。ミキシングもゴフィンが担当している。
大ブレイク作となる次作とはかなり趣が異なる。というより60sアメリカンポップスにカントリーや、スワンプだったり、ソウルだったりとかなり雑多なサウンドが繰り広げられており、興味深い。他アーティストに提供した曲のカバーもあり質感としてはかなりポップだ。
翻って考えてみれば、「清算」のアルバムなのだろうと思われる。60sのアメリカンポップスを彩ったキング=ゴフィンという稀代のコンビはもはや無く、ソロアーティストとして踏み出す第一歩としての彼女なりの60年代の清算。今聞けば古き良きオールディーズではあるが、そういう決意のあるものに見える。
事実、次作において彼女は再び「時代」をつかむ傑作を生み出すわけだが、その背後にはソングライターとしての過去と履歴がぎゅっと押し詰められているわけである。この清算をした下地があってこそ、彼女の70年代が始まるわけだが、60年代を総括している点からこそ、こちらも良作と言える一枚だろう。


ウインカー【通常盤】

ウインカー【通常盤】

16年発表8th。復帰第二作。前作の猟奇的プログレ路線は鳴りを潜め、より演劇性の高い従来のラウドロック色が押し出された一枚。今回は静と動のコントラストの落差が激しく、メランコリックなサウンドラウドロックの成分と混ざり合い、得がたい質感の内容になっている。
アルバムタイトルの「ウィンカー」よろしく、この作品に出てくるコンセプトキャラ、荒井田メルを初めとして、不可逆な可能性について言及しているように感じた。コンセプトアルバムとはいえないが、明確に何かのテーマに沿って、可能性をポジティヴに酸いも甘いも含めて、描かれる歌詞と演奏は染み入る
大槻ケンヂのこれまでの音楽活動から滲み出たメッセージがこのアルバムの演奏の素晴らしさと比例して、なにか垢抜けた印象すら持つ、会心の出来だろう。前作の腰をじっくりすえた作りから、軽やかにステップを踏んでいる一枚。シングル曲のキャッチーさも相まって一皮剥けたような名盤だろう

音楽鑑賞履歴(2018年12月) No.1287~1291

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願いします。
はてなダイアリー終了に伴い、はてなブログに移行してもやることはあまり変わりませんが。
昨年12月の鑑賞履歴です。
6枚。
なかなかペースは戻りませんが、楽しく聞いていければいいかなと。
今回はMr.Big関連特集でしょうか。肝心のMr.Bigを一枚も聞いてませんが。
ポール・ギルバートもリッチー・コッツェンも好きなアーティストです。
今年はどんな年になるか、想像もつきませんが趣くままにやっていきます。
というわけで以下より感想です。


Silence Followed By a Deafening Roar

Silence Followed By a Deafening Roar

  • アーティスト:Gilbert, Paul
  • 発売日: 2008/04/08
  • メディア: CD
08年発表7th。味を占めたのか、インストアルバム第二弾。前作以上にテクニカルにギターが躍り、ポップにハードドライヴィングしているのが目に付く。もともと早弾きと超絶技巧で腕を鳴らしていただけあって、水を得た魚のように弾き倒す姿が目に浮かぶ。しかし、それでも独り善がりにならないのが良い。
楽曲についてはジャンルの区分なく、ポール・ギルバート自身が思い描くメロディが繰り広げられている印象で、クラシカルな旋律があったと思えば、思い切りメタルなソロがあったりと息つく暇のない感じだが、ポップな側面が影響しているのか冗長にならず、きっちりコンパクトにまとまっている。
この盤でも見え隠れするのは、ファンクというかブラックミュージックの横ノリアプローチ。縦ノリだけではなく、グルーヴに根ざした演奏が出来るのも彼の懐の深さを窺い知れるだろう。ポール・ギルバートのやりたい事が凝縮された結晶のような一枚。その屈託のない朗らかさが魅力的だ。


Inner Galactic Fusion Experience

Inner Galactic Fusion Experience

  • アーティスト:Kotzen, Richie
  • 発売日: 1995/11/21
  • メディア: CD
95年発表5th。アルバムタイトルがバンド名のようだが、この一枚きりで以降、この名義では出していない。リッチー・コッツェンのアルバムとしてはジャズ・フュージョン色の強いアルバムでギターフレーズが初手からアラン・ホールズワースを髣髴とさせる流麗なレガートで本物さながらのプレイが聞ける。
ホールズワース的なテクニックもそうだが、それ以上に多彩なプレイが聞けるのでその引き出しの多さには驚くし、その点においては巧者っぷりを余すことなく体感できる。数曲ではあるが本家ホールズワースとの共演経験もあるジェフ・バーリンが参加しており、ますますその違いがよく分からなくなる。
しかし、コッツェンの方がやや硬質に感じられるか。どちらにしても、テクニックをひけらかすのではなく、楽曲の必要に応じて繰り出されるテクニックの数々がただただ心地よく聞けるのでただただお見事。2曲だけ歌ってもいるがそちらの方でも実力の高さが伺えて、舌を巻く。地味ながら質の高い一枚だ。

ウェイヴ・オブ・エモーション

ウェイヴ・オブ・エモーション

96年発表6th。ほぼ全編歌ものアルバムだが、内容がファンク&ソウルど直球な内容で、シンプルな分だけ巧さが引き立っており、非常にソツのない一枚。歌は上手いわ、ギターもテクニカルで、しかもマルチプレイヤーでソングライティングまで出来てしまうリッチー・コッツェンの才人っぷりに唸るほかない
単に技術をひけらかすのではなく、楽曲を生かすために持ちうる技術を使いこなすという時点で、相当クレバーなミュージシャンであるのは疑いようもないが、ここまで何でもできてしまう姿にはいやがおうにも、プリンスを思い浮かべてしまうが実際そのくらいの実力を持っているのだろうと実感する。
反面、ソツがなさすぎて派手さには欠ける作品ではあるのだが、それを補って余りあるくらいには、アルバムの完成度も高い。歌も非常にソウルフルで、楽曲もHR/HMらしさを微塵も感じさせない、ファンキーなものなので食わず嫌いな人は一度聞いてみてほしい。地味ながら名盤の輝きを持つ一枚だろう。

Slow

Slow

  • アーティスト:Kotzen, Richie
  • 発売日: 2004/01/13
  • メディア: CD
01年発表11th。比較的ブルージーサウンドに寄せた作品。とはいえ、フュージョン、ファンク、ソウルミュージックが渾然一体となった、リッチー・コッツェンらしい音楽が提示されている。適度にテクニカルでブルージーでソウルフル。当時らしいデジタルな打ち込みも混ざり、ソツのなさを随所に感じる。
特に売れるという野心もなくコッツェンのやりたい事をその都度、具現化してるような音楽なのでポップな響きや即効性のある派手さはやはりないが、自由闊達にイマジネーションを紡いでいく姿勢は流行に左右されない良さがあるように思う。その点では職人的な趣もあるが、良質な作品なのは疑いない所だ。

End of the Century

End of the Century

  • アーティスト:Ramones
  • 発売日: 2002/08/26
  • メディア: CD
80年発表5th。ウォール・オブ・サウンドで知られる、60年代を代表するプロデューサーのフィル・スペクターと製作した一枚。60年代のバブルガムポップスを彼らなりの解釈で繰り広げてきたバンドにとっては本家本元とのコラボレーションとなったわけだが、その製作の顛末はわりと苦い経験だった模様。
フィル・スペクターの製作姿勢とバンドの製作スタイルが噛み合ってなかったために軋轢があったようだが、実際バンドのアルバムとしてはヘンテコな感触を残す一方、バンドの直線的な演奏が本家ウォール・オブ・サウンドによって、メロディの境界線が曖昧になっていく様はわりとサイケな感触も感じられる
一方でラモーンズ自体のガレージロック的な演奏がフィル・スペクターの作り上げる音像とまったく喧嘩しあっていて、相乗効果が生まれているかというと疑問符はつくがここまでの作品に比べると非常にメロディの甘酸っぱさが増しており、その感触自体は悪くはない。
ただバンドとプロデューサーの意図がかけ離れているので、わりあい不幸な作品だろうか。過渡期の作品であるのは確かだが、この不器用さがラモーンズらしくもあり、今までとは違った側面が窺える点では結構楽しく聞けるかと。実際、バンド史上最大のヒットを記録したアルバムというのもその証明だろう

話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

さて、今年もやってまいりました。話数単位で選ぶ、TVアニメ10選です。
毎年、放映されたTVアニメの中から話数単位で面白かった回を選ぼうという企画。
新米小僧の見習日記さんが集計されている、年末の恒例企画です。
「話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選」参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記
大まかなルールは以下の通り。

ルール
・2018年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


本ブログは8回目の参加です。なお過去の10選は以下のリンクから。

話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

筆者としては「記録を残す」という点で、企画に参加してます。なお今年に置きましては色々と「宿題」を残してしまっていますので、10選コメントについては手短にまとめてあります。むしろ全話見てない作品からの選出もしていて、かなり寄せ集めな感じです。ご了承ください。ちなみにスタッフ名等々は敬称略となっております。日付は地上波放映日、Web上の公開日の最速に準拠しています。


《話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選》

・DEVILMANcrybaby IX「地獄へ墜ちろ、人間ども」(1/5)
(脚本: 大河内一楼/絵コンテ:湯浅政明/演出・作画監督:小島崇史)

原作の衝撃回に真っ向勝負をかけた一本。物語全体が不寛容さや人の獣性、死にまとわりつくエロスを描いた生理的嫌悪に背徳を覚える作品だったが、選定話数はその象徴ともいえる回。暴徒に祭り上げられた美樹の生首に艶かしさを感じさせる辣腕を思い知った。

多田くんは恋をしない 第8話「雨女だったっけ?」(5/24)
(脚本: 中村能子/絵コンテ・演出:藤原佳幸作画監督:山野雅明、瀧原美樹、凌空凛、伊澤珠美、菊池愛、助川裕彦、市原圭子)

人が恋に落ちる瞬間を描ききった一話。河口湖に野営し、星空を待つというベタなシチュエーションながら、奇を衒わずヒロインテレサの情緒を見事に活写した。平成末期の東京という舞台において、あえて「東京タワー」を出してこない試みなどその清新なドラマは地味ながらも冴えていた。

メガロボクス ROUND3「GEAR IS DEAD 絶望の果ての負け惜しみ。機械はハナから息しちゃない」(4/20)
(脚本: 真辺克彦/絵コンテ・演出:和田高明作画監督和田高明、原田大基)

あしたのジョー」を原案にして作られた近未来ボクシング作品。この回で、ジャンクドッグを始めとするチーム番外地が出揃った。アンダードッグ(負け犬)どもが明日なき明日を目指して向かおうとする姿は心惹きつけられるが作品がそれを完遂できたかはまた別問題。和田高明によるボクシング描写は流石といったところ。

働くお兄さん!第10話「レンタルDVD屋のお兄さん!」(3/9)
(脚本: 高嶋友也/監督:高嶋友也/シリーズ構成:宇佐義大/キャラクターデザイン:小田ハルカ)

ショートアニメ。2期をまったく見ることができなかったが、やはり映画ファンネタはコメディとして鉄板というか。キャラクターを始めとしてデザイン周りが非常に秀逸だったし、回を増すごとにおとぎ話を絡めたギャグ描写の拍車がかかってたのもドライヴ感があってよかった。この回はさるかに合戦。

・22/7 「あの日の彼女たち」day03 立川絢香(5/24)
(絵コンテ・演出:若林 信/作画監督堀口悠紀子

YouTube公式配信作品。秋元康による二次元アイドルグループ「22/7」の何気ない日々を切り取った内の一編。なんというか、こういう悪戯っぽさやはぐらかし方が思春期の少女らしい描写だが、それを堀口悠紀子という望外の人材によって描かれる作画と気鋭の若手演出家、若林信の競演によって成立させた企画者の慧眼が物を言う。百聞は一見にしかず。以下にリンクを張っておく。同シリーズはどれも必見。

・うちのメイドがウザすぎる! 第1話「うちのメイドがウザすぎる!」(10/7)
(脚本: あおしまたかし/絵コンテ:太田雅彦/演出:守田芸成
 /作画監督:伊澤珠美、杉田まるみ、鈴木絵万、濱口明、山崎淳

動画工房によりスクリューボール百合コメディ。とにもかくにも鴨居つばめというアンタッチャブルなキャラクターの一点突破で成立する、心に傷を負った幼女の超克ドラマだがそのアンバランスな物語を有無を言わさぬ作画力で押し切ったのは挨拶代わりの初手としてはこの上ないものだったかと。

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 第4話「ギャング入門」(10/27)
(脚本: ヤスカワショウゴ/絵コンテ:木村泰大/演出:鈴木恭兵
 作画監督:森藤希子、重本和佳子、岩崎安利〔アクション〕/総作画監督:田中春香)

Vsポルポ(ブラックサバス)編。5部以降、複雑化の一途を辿ることになるスタンドバトルだがその魅力をアニメで表現する事に注力した話数だと思う。同時に5部の真の意味での「始まり」が描かれたエピソード。イタリアらしい陰影の濃さにジョルノという「黄金の精神」のストイックさもまた重なって、5部の凄惨さが浮き彫りになったのも見逃せない。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない第3話「君だけがいない世界」(10/20)
(脚本:横谷昌宏/絵コンテ:増井壮一/演出:篠原正寛/作画監督:宮粼詩織、三木俊明、石毛理恵/総作画監督:田村里美)

前年(Just Beause!)に引き続き、鴨志田一原作の選出。西尾維新の「物語シリーズ」フォロワーとも言うべき作品であるが、昨今「空気」とも呼ばれる、目に見えない「圧力」をテーマにしている辺りがオリジナルとは一線を画すか。その第一章の完結編。先祖返りしたかのような学園青春ドラマをどストレートに展開して、甦らせた点に目を見張る。青臭くもあり、若さゆえの歪みを調律するという点は非常に電撃文庫らしくもあるが、現代性も携えているのが面白さだろう。

HUGっと!プリキュア 第38話「幸せチャージ!ハッピーハロウィン!」(10/28)
(脚本: 横手美智子/絵コンテ・演出:平池綾子/作画監督:上野ケン/総作画監督:山岡直子)

ハロウィン回。15周年という事もあって「お祭り感」の否めない今年のプリキュアだが、あえて「らしい」話数を選んだ。今シリーズは若手である平池綾子が頭角を現した点が個人的に目を引く。「らしさ」は人によって異なると思うが、15年培ってきたスタイルに新味を加えるという点では、プリキュア初登板となった横手美智子ともども健闘していたように思う。特別なことはしない、「いつも」のプリキュアを演出することの大事さをこと強く感じた話数だった。

・少女☆歌劇レヴュースタァライト第12話「レヴュースタァライト」(9/28)
(脚本: 樋口達人/絵コンテ・演出:古川知宏、小出卓史
 作画監督:松尾亜希子,小里明花,谷紫織,清水海都,小池裕樹,錦見楽,杉山有沙,大下久馬,小栗寛子,櫂木沙織,角谷知美)

今年、アニメで一本選べと言われたら、この作品を選ぶ。結果的に「舞台演劇」をアニメーションで表現することに挑戦していた作品であるし、生の舞台には出来ない表現で追いつき追い越そうとしていた。「二層展開式少女歌劇」の名目が災いしたのか、間口の狭い作品となってしまった感はあるが、それ以上に一度惹き付けられたファンを逃さない(逃せられない)構造は強固でもある。短い文章ではこの作品は語り切れない。やり残した「宿題」も本作にまつわるものだが、何とか完遂したい所。選んだ話数に一言添えるとしたら、物語そのものが『レヴュースタァライト』だったという事。どういう事なのかは、別の機会に改めて。


【次点】
少女☆歌劇_レヴュースタァライト第3話「トップスタァ」,第6話「ふたりの花道」,第8話「ひかり、さす方へ」
HUGっと!プリキュア第15話「迷コンビ...?えみるとルールーのとある一日」、第29話「ここで決めるよ! おばあちゃんの気合のレシピ!」、第33話「要注意!クライアス社の採用活動!?」


《終わりに》
今年2018年の総括を書こうと思いましたけど、上手くまとまらないので割愛します。まあ、今年は時代を考えられるほどには作品を見ていないというのもあるので、ともあれ。
昨年の総括で、時代の空気はなにかしら「淀み」を帯びたものになってきている、と語りましたがこの一年を振り返ってみると、国内ではその「淀み」が恐ろしい速度で広がり「汚染」されてしまった、としか言いようのない停滞感あるいは疲弊がそこかしこで目に見えてきた年だったのではないでしょうか。

良くも悪くも今年を象徴したMV、Childish Gambino「This Is America」で表現されているように「この不条理な世界こそ、アメリカだ」といわんばかりに各国、内憂外患の状況が続いているし、日本も他人事ではないかと。加えて、「平成」がいよいよ終わります。そういった時代背景からも色々と岐路に立たされているのは言うまでもないだろう。零細ブログで現状を憂えてもしかたないけど、舵取りひとつでいつ急転直下してもおかしくはない状況であるのは確か。だから注視しなくてはならない、のだと思う。
という風に書いてもいいんですけど、別に政治的なことが書きたいわけではないので。色々くたびれてきているというのが肌感覚としてありますが…。観測範囲ではやはり世間的に百合作品の飛躍した年かなあとも思いますが、バズッた作品を熱心に見ていたわけではないのでそこを語るにしてもなんだかなあという感じが自分の中にあったり。いや、個人的には「少女☆歌劇_レヴュースタァライト」をずっと追いかけていたわけですが、いかんせん全話感想がまだ終わってないのが心残りといいますか。まだまだ自分の中でケリがつかずにいる作品なので、噛り付いてもやりきりたい所存です。なのでお待ちいただいている人たちはもう少しご辛抱を。時間はかかると思いますが自分でもやり遂げたいと思っていますので。
今年のアニメ鑑賞についてはそんな感じで情熱を傾けすぎたせいで、他が霞んでいるという状態がずっと続いている状況でしたね。こんなのは滅多にないことではありますが、もうしばらく続きそうです。というわけで今回は縮小版という形で記事をまとめてみました。まあなんとか10本かき集められたので良しとします。平成最後の年末がこれでいいのか、という気もしなくはないですが、今年の記録として心に刻めたので悪くはないでしょう。それではひとまず今年の締めとして。
以上が自分の「話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選」でした。各所で関わりになった方々には本年もお世話になりありがとうございました。来年もまたお付き合いいただければ幸いです。それでは今年も残りわずかですが、よいお年を。