音楽鑑賞履歴(2018年11月) No.1279〜1286

月一恒例の音楽鑑賞履歴。

8枚。
今月からようやく2016年購入分に突入です。いやあ、長かった。
とりあえずDavid Bowie「★」の感想がかつてなく長くなってますが、いろいろあった年なので文量も増えた感じです。
気づけば今年も一ヶ月を切りました。今年もなんだかんだありますが、暮れが近づくと思うことも様々です。
とりあえずやらなければいけないことを処理しつつ、新しい年を迎えられればいいなと。
というわけで以下より感想です。


Bongo Fury

Bongo Fury

・75年発表20th(通算)。ザッパが学生時代よりの親友であるキャプテン・ビーフハートと共演した唯一のアルバム。基本的にビーフハートマザーズのライヴに参加した時の音源で、テリー・ボジオがザッパのアルバムに参加した最初の一枚でもある。内容は下世話な泥臭さと理知的な構成が入り混じっている
この盤を聞くだけでも、ザッパとビーフハートが同じ方向性を見ているようでまったく別方向の方法論で音楽をやっているということがなんとなく察せられ、お互いの仲がどうであれ、資質的には水と油なのは見て取れる。ザッパは理論的であるし、ビーフハートは感性が勝っている。
あくまでビーフハートがザッパのライヴで客演してる体裁なので、がっぷり四つで火花を散らしているわけではないので注意が必要だが、アクの強い両者の個性が絡み合っており、アルバムとしては他とは異なった独特さもある作品だ。全盛期ともいえる70年代中期のマザーズからの移行期でもあるの含めて。
本作はザッパ作品の中でもきわめてアーシーな作品でもある。73年の「オーヴァーナイト・センセーション」から本作に至るまでは、高度なアンサンブルと楽曲の密度の濃さの一方、土埃っぽい垢抜けないサウンドなのだが、その土臭さが特に濃厚なのだ。ぬかるんだ泥のような粘っこい演奏が聴けるのは珍しい
ビーフハートの影響があるのかは定かではないが、その雰囲気に呑まれて、楽曲もスマートというよりはなにかのた打ち回った印象が強く、ザッパ特有のスマートさが陰に隠れているようにも感じられるか。しかし聞けば、間違いなくザッパサウンドなのは確か。そういう点ではアクがさらに強くなった一枚かと。

★(ブラックスター)

★(ブラックスター)

16年発表28thにして遺作。自身の誕生日(1/8)にリリース、その二日後の1/10に亡くなるというニュースは世界に衝撃を与えた。この突然の訃報によって、さまざまな議論や賛否が渦巻き、このアルバムは死というバイアスのかかった過大評価であるという向きもあったが、改めて聞くとその像が見えてくる。もちろんこれはボウイが全世界へと向けた「遺言状」、あるいはスワンソングであることは疑いようもないし、ボウイはデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズではなく、デヴィッド・ボウイとしての最期をこれ以上にない形で表現したのはいうまでもないが、あえてそこから一歩引いて考えたい。作品の内容はジャズバンドのマリア・シュナイダー・オーケストラのメンバーが多数参加したジャズ要素の強い作品という触れ込みであるが、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによれば、ケンドリック・ラマー、ボーズ・オブ・カナダ、デス・グリップスなどに影響を受けたものであるという。実際聞いてみるとわかるように、このアルバムは少なくとも「ロックアルバム」ではない。ヒップホップも入っているし、テクノもあれば、演奏陣の出自でもあるジャズも感じる。ヴィスコンティの語った影響先から考えると、これらが統合されたものが本作であると感じる。結果的にではあるが、本作でヒップホップとテクノを繋げたのはロックではなく、ジャズなのだ。いや、ロックもいわゆる新世紀ジャズとして市民権を得る、新しい形のジャズに内包されてしまっていると言い切ってしまってもいいだろう。ことこのアルバムにおいてはロックはまったく主体ではないのだ。
10分近くに及ぶ1曲目だけを聞いても、ビートの感覚、メロディの展開は少なくともロックの格式ばったものとは異なり、非常に自由かつ開放的だ。サビがありギターソロがあり、のようなものではなく、ボーカルと演奏が個々に独立していながらも呼応しており、なにかしらの塊として形作られている。生音と電子音のビートがユニゾンしたり、ギターやサックスなどがアドリヴのように曲空間に旋律を漂わせ、ボウイのボーカルも呼応するように変幻自在に乗っかっていく。もちろん歌詞の内容を見ていくと、迫り来る死に直面したボウイの内面を感じるがそれすらも音楽に導かれて出てきたものにすら思える。アルバム全体を聞いていくと、ジョン・フォードの演劇へのオマージュや、ゲイの間で使われた話法ポラーリ、「時計じかけのオレンジ」で使われた人工語ナッドサットなどの引用も本作の演奏とまったく等価に扱われており、その全てが有機的につながっている。まるで細胞が入れ替わるように。ボウイの歌唱もバンドの演奏もインプロヴィゼーションでもあり、めまぐるしく変化していく。ともすれば節操もない印象も受けるが、死が生を解き放っていくかの様にありとあらゆるものを呑み込んで収束していく様はマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」で繰り広げられるパッションの逆流を見る思いだ。
そういった自由闊達さは非常にジャズ的であり、ボウイが根ざしてきたロックミュージックもその中のひとつに組み込まれていく。拡散から収斂へ。このアルバムの表現しているのはそういうものであると思う。だからこそ、I Can't Give Everything Awayと結ばれていく、そのプロセスが非常に美しくある。ロックスターからブラックスターへ。そして黒き星は次なるビッグバンに向けて眠る。だからこそ、今、最も生命的な現代のジャズに寄り添っていったのではないかと思う。完全に勝手な憶測ではあるが、最後の最後に「種」を残していった、んだろうと。今改めて聞くと、その音楽的な自由さに驚くばかりだ。自由とは創造性と置き換えてもいいかもしれない。このボウイの置き土産はそういう可能性を残しながらも、ひとまず「葬った」一枚でもあると思う。だからこれはロックアルバムではなく今最も自由に満ち溢れた「現代ジャズ」の一枚として聞いた方がすんなりと聞ける様な気がする。
ボウイの求めていた音楽や表現も本来はそういうものだったんだろうと、おこがましくも思うわけだが、ボウイが末期に表現した音楽がジャズであることはやっぱり皮肉的でもあるし、時代は変わったのだ。しかし、ボウイは最期までボウイだった。それでいいのだと思う。立つ鳥跡を濁さず。R.I.P.

META

META

16年発表1st。現状唯一作か。14年1月に「テクノリサイタル」と称して高橋幸宏がライヴを行った際のスペシャルバンドがそのままグループとして発展して製作されたアルバムがこちら。Leo今井砂原良徳テイ・トウワ、ゴンドウトモヒコ、小山田圭吾高橋幸宏といった錚々たる面子のスーパーバンド。
内容としては10年代型のテクノポップといっても過言ではないもので、YMOのオリジナルメンバーである高橋幸宏とそのYMOチルドレンたるミュージシャンの競演であり、高橋幸宏らしいウェットなメロディが全体を貫く中で、現代のテクスチャーを纏ったエレクトロサウンドがポップに響き渡る。
メンバーがそれぞれの特色を生かしつつ、楽曲によって入れ替わり立ち替わり、Voすらも替わって行く中で不思議と統一感があるのはなんというか、ディレクションが際立っているという印象を持つか。メンバーの砂原良徳自らがマスタリングを手掛けているのもあり、全体にグループの意図が行き届いた良作だ

curve of the earth

curve of the earth

16年発表5th。前作から4年ぶりの新作。故スティーブ・ジョブズがスピーチで内容を引用したことでも知られる『全地球カタログ』の監修者、スチュワート・ブランドの思想にインスピレーションを受けた作品。堅実かつ地に足についた佳作であった前作からスケールアップした印象を受ける。
前作のアーシーさを引き継ぎつつ、サウンドスケープの景色をタイトルのとおり、地球を俯瞰するような視点で捉えており、テンポはミドルが主体ながら、バントの持ち味であるサイケ感と宇宙的な浮遊感が重なって、果てしなく広がる空間を遊泳する心地になる。しかしそれが野放図にならないのがスゴい。
前作までに培った滋味あるメロディに一音一音に重みを感じ、自由に浮遊しているようで、軸足はきっちりと地球に根差している。指針がはっきりとした内容・演奏だからこそ、壮大なサウンドもバンドとして自然な変化に感じられるか。過去の経験の研鑽と積み重ねが結実した、最高傑作といっていい名盤だ。

ボールルーム

ボールルーム

14年発表6th。時代の流行に乗ってか、彼らなりのエレクトロポップスを志向したアルバム。音の感触は3rdに近いが、そちらはヒップホップ色もあり、比較的サウンドがソリッドだったが本作は80s前半オマージュが色濃い、滑らかでソフトなメロディーが際立つ作品。レトロモダンという点でも今風な印象。
しかし、元来のポップマニアな一面が功を奏して、かつてのエレポップが60年代のポップスやR&Bを下敷きに置いたように、過去から現在に至るまでの膨大なデータベースによる練り込まれたメロディを、カドの取れたシンセサウンドで鳴り響かせている。そこに卓越したセンスを垣間見る作り。
シンセの温かみのある音、というと語弊はあるがシンセ音にグルーヴを求める昨今の流れとは一線を画しており、オマージュにオマージュを重ねたウェットなメロディラインをシンセで奏でる心地よさに比重が置かれてる点にポップマエストロたる矜持を感じる一枚。聞けば聞くほどじわじわ染み渡る好盤だ。

adore life

adore life

16年発表2nd。現代ポストパンクガールズバンドの第二撃。ライヴツアーで鍛えたらしい、持ち味の骨太さには拍車がかかった印象。金属質なギターとよりソリッドになったリズムにはメンバーの確信に満ちたアディテュードを感じ、心強くもある。過度な派手さよりも、真に迫ろうとする求道的な趣も強い。
ストパンクと称してはいるが、本作はバンドサウンド以外のキーボードの演奏やゴシックロックやガレージ、メタル(ハードロック?)に接近した楽曲もあり存外、バリエーションにも富んだ作りが目を引く。反面、バンドの演奏が単調なせいか、その主体の演奏よりも、オブリガードに面白い響きを感じた。
この点ではけっこうサウンド等々、バンドそのものが柔軟になったとも考えられて、興味深いが同時にひとつのスタイルにこだわり続ける事も、ことロックという分野においてはかなり困難が伴ってしまうのは時代の流れゆえか。飛躍作だが、まだまだ余白があるはず。今後に期待を持ちたい。

創世記

創世記

83年発表12th。二匹目のどじょう狙いというべきか、Prophet 5の分厚いシンセサウンドによるエレクトリックブギーとアースらしいコズミックなディスコブギーとのギリギリの臨界点を見極めた一作。なかなかキワドいバランスで成り立っている印象で、一歩間違えば踏み外していた事も容易に想像できる作り
いずれにせよ、前作の成功再びという面は否めないが楽曲の質は非常に安定しており、サウンドプロダクション的には今、再評価されてもいい内容にもなっている。ホーンズを効果的に使う曲がある一方で、シンセ主体になっている楽曲もあり、方向性を模索していた、ということも見て取れる。
ただそれ以前に、バンド自体のキレと勢いが鈍りつつあるのも感じられるか。一定以上に仕上がっているのは確かなのだが、演奏も非常に「手慣れた」雰囲気でクリエイトするという面では減退している事は否めない。佳作ではあるが、最前線から足が遠のきつつある事も感じてしまう、翳りのある一枚か。

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

06年発表6th。意外にもソロキャリアでは初のギターインストアルバム。今まで本人のソロアーティストとしての拘りが、全編インストを頑なに拒否してたという趣旨がライナーにも書かれているが、内容も彼のソロキャリアを反映したようなもので、過度のテクニカル指向には陥っていない。
もちろんギタープレイヤーとしては確固たる実力の持ち主であるのは疑いようも無く、曲によってはテクニカルな趣向を凝らした演奏もしている一方で、彼のポップ志向やルーツのブルース、クラシックなどのエッセンスも抽出されていて、過去のソロ作の作風をインストに落とし込んでいる印象が強く残る。
重低音のへヴィさを押し出すよりかは、カラっとしたハイノートのギターフレーズをポップに響かせることを信条としているプレイヤーと言う印象もあってか、ファンク調の楽曲も重くならずに聴けるのが面白い。ソロとしての彼の魅力はインストアルバムでも変わりないことが確認できる作品。

音楽鑑賞履歴(2018年10月) No.1271〜1278

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
少し復調して、8枚聞けた。ホントはもうちょっと聞けたらいいんですが。ともあれ10月鑑賞分でついに2015年の新規購入分を聴き終えることが出来ました! いやー長かった。とは言いつつ、ようやく2016年に入ることが出来るわけですが、その間も購入続けてて、どんどん聞くものが溜まっていっているのはうれしい悲鳴という感じでしょうか……。地道に聞いていきたいと思います。年の瀬もいよいよ迫ってきています。病気や怪我をせずにこのまま過ごせるといいのですが。体調を崩しやすい季節に差し掛かって着てますのでこれを呼んでくれている皆さんもどうかお気をつけて。

というわけで以下より感想です。


海洋地形学の物語

海洋地形学の物語

73年発表6th。ブルーフォードが脱退して、アラン・ホワイト加入後初のスタジオ録音にして、前作以上の大作主義によって作られた2枚組アルバム。ブルーフォード独特の不規則なビートから一転して、タイトさのあるアラン・ホワイトのビートによって、音が太くなった向きはあるが、奇妙にユルい。
前作からの緊張感のあるサウンドが全体のトーンではあるが、一曲ごとが非常に大作になったため、演奏そのものが間延びした感じになっており、緊張感を保ったまま、たおやかなユルさが感じられてしまうのが冗長であるという原因だろうと思われるが、それがこのアルバムの魅力でもあるので痛し痒しだ。
メンバー自体は全盛期のテンションを維持しているので、聞き応えがある演奏が続くのが興味深いし、ある種の宗教体験としてのトリップミュージックとして聞くと、このアルバムは結構心地いい事に気づく。サイケというか、今で言うジャムロック的なのをもっとスピリチュアルにやっている感覚が面白い。
そういう点では、バンドのセッション風景を眺めているようでもあり、きわめて自由律な作品であるが、これを作り上げるのは壮絶な作業だったことも目に浮かんでしまう。事実、このアルバムの製作に嫌気が差し、リック・ウェイクマンが脱退してしまう。これによってバンドは新たな舵取りを要求される事になる。
バンドメンバーのクリエイティヴィティがアルバムの出来と一致しないという典型的な一枚である一方、プログレという音楽ジャンルの曲がり角を記録した一作でもあると思う。73年を境に各バンド、それぞれの道を模索していくことになるがこれもそういったバンドのターニングポイント的一枚といえるだろう


サウンドミュージアムファミコン編〜スーパーマリオブラザーズ3

・04年発表OST。雑誌ニンテンドードリームvol.112に付属された88年発売の「スーパーマリオブラザーズ3」のサウンドトラック集。あくまで雑誌のおまけなので一般流通はしていない代物。当時食玩シリーズで出ていたものの特別版という形での8cmCDサウンドラックとあっており、収録時間も20分足らず。
後にファミコンマリオシリーズを取りまとめたCDは出ているが、マリオ3のBGMを単体で聞けるのはこれがおそらく唯一。今改めて聞くと、8bitの限られた音数の中でリズムパターンがあまりにも多彩だということに驚かされる。音楽を担当した近藤浩治氏の手腕が冴えたものとなっている。
88年という時代柄か、ヒップホップのリズムが織り交ぜられたり、ウェスタン調やラテンの陽気さが漂うサウンドなどかとなくワールドミュージックを意識した音楽なのも、当時のバブル景気とともにファミコンサウンドの進化も分かるものとなっており、興味深い一枚だと思う。個人的にはワールド6が印象に深い。

15年発表4thSG。当時飛ぶ鳥を落とす勢いそのままの高いテンションが収められている意欲的なシングル。スキャンダルが露呈する直前とはいえ、歌詞のやるせなさや諦念感、ぐちゃぐちゃなルサンチマンの自己言及感が聞いていてぐさぐさ来る。なんというか鬼気迫るという言葉が似合うような際どい感じ。
ダブルA面となっている楽曲以上にハイライトは4の「灰になるまで」だ。今聞くと本当にスキャンダル以前の曲かと思わんばかりに、切迫感と焦燥感がちりつく赤裸々な歌詞内容に心がざわついて仕方ない。本当のことを言っているかどうかはともかく、何かが渦巻いていたことが窺えるもので興味深い。
このシングル発表以後は報道の通りだがこの時点では何かが張り詰めていて、今にもはちきれんばかりに鬱屈していたようにも感じられる内容であることは確か。スキャンダルが良くも悪くもガス抜きになったというより凧の糸が切れたようにも思えるか。なんだかんだで彼らの分水嶺的なシングルではないかと。

ドラム・オード

ドラム・オード

75年録音盤。エレクトリック期のマイルスバンドでサックスを吹いていたデイヴ・リーブマンがその在籍中にECMで録音したアルバム。当時のクロスオーバーサウンド的な内容であるが特筆すべきはツインドラムをはじめ、パーカッション陣が8人も参加しているというメンバー構成。
パーカッションの多さやアルバムタイトルからもわかるようにリズム探求的な楽曲が立ち並んでおり、ラテン、アフリカン、ブラジリアン的な細分化されたリズムが入り乱れる。そこにリチャード・バイアード、ジョン・アバークロンビーといったECMお馴染みのメンバーが絡み、熱っぽい演奏が繰り広げられる
リーブマンの吹き上げるサックスは、オーソドックスなプレイが力強さと存在感を高めており、全体のサウンドの中核を担う。RTF期のチック・コリアウェザー・リポートなどに接近したサウンドではあるが、よりリズムに特化した印象でECMの静謐なイメージとは異なり、神秘的な躍動感に満ちた一枚だろう。

Amazing New Electronic Pop Sound of

Amazing New Electronic Pop Sound of

68年発表4th。ディズニーランドのエレクトリカルパレードで有名な「Baroque Hoedown」の作曲で知られる、ジャン・ジャック・ペリーのソロ作。と言ってもやってることはPerrey and Kingsleyの頃とあまり変わらず、モーグ・シンセザイザーを使った演奏によるハッピーでモンドな楽曲群という感じ。
このアルバムは自作曲(&クラシック曲のマッシュアップメドレー)で構成されており、楽曲タイトルのイメージからすると、当時のアポロ計画による宇宙趣味や映画音楽、あるいはエキゾチックミュージックなどエッセンスがふんだんに盛り込まれた、陽気なトラックが生ドラムのリズムに乗って聞こえてくる
面白いのはこの陽気な底抜け感やエキゾチックな感触、シンセの人工音と人間の叩くリズムの妙味と言うのがそのまま、後のYMOが送り出すテクノポップの形そのままであるということ。勿論、時代的にYMOの方が洗練はされているし、どちらにしてもマーティン・デニーなどからの影響は隠せないだろう
しかし偶然?にもこの組み合わせが68年の時点で形作られていることを考えると、YMOの音楽のインスパイア元のひとつではないかとも思えてくるから興味深い。後ろめたさのない、極めてハッピーなトラックから感じられるキャッチーな印象は古くはあるが、今聞いても楽しい気分にさせられる。
実際そうであるかを抜きにしても、ジャン・ジャック・ペリーの作り上げた音楽が源泉となって後の電子音楽の歴史を切り開いたのはいうまでもなく事実であるし、その線上にYMOもいると言う歴史的な流れを感じ取れるだけでも意義のある一枚だし、そんなことを考えずとも、楽しい聞ける好盤だ。

Free

Free

69年発表2nd。前作から7ヵ月後にリリースされたアルバム。当時、10代のメンバーが繰り広げるブルースロックといった趣なのは変わりないが早くもその枠を飛び越えて、音楽的な幅広さも感じられる内容となっている。英国出身らしく、ブルースを演奏していてもそこまで泥臭くならず、垢抜けた音。
都会的なシカゴ・ブルースとも趣が異なり、なんというか草の匂いと英国の叙情的なメロディが絡み、乾いた音というよりは枯れた味わいの中にも湿度をじんわり感じるのがこのバンドに限らず、ブリティッシュロックの特徴なのかもしれない。湿度の重さの分だけ、ボトムラインの安定感が映えるか。
この盤に限っていえば、アンディ・フレイザーのベースの存在感が目立っているというか頭ひとつ抜けている印象も感じるか。ポール・コゾフのブルージーで神経質なギターがその上に乗っかって、奏でられている感じで繊細さと骨太さが同居した奇妙なバランス感覚が耳に残る。
非常に筋肉質な反面、内面のセンシティヴかつナイーヴなセンスが当時一線を画す、バンドのオリジナリティであったのかなと推察される。同時にそれは諸刃の剣でもあり、まだまだ青春という時代に生きていた人間だから成立できた音でもあるかと思う。成長著しく、音楽性を幅広く拡張した早熟の一枚。

Wasp Star: Apple Venus 2

Wasp Star: Apple Venus 2

00年発表12th。現時点における最終作。中心人物のアンディ・パートリッジ自身「もうXTCの新作は有り得ないだろう」とも発言しているそうなので、ラストアルバムだと考えて良さそうだ。前作の続編でエレクトリックサイドの楽曲がメイン、というか従来路線の内容が繰り広げられている。
XTCらしいパウンドケーキのように厚みのあるブリティッシュポップサウンドで、その影にはビートルズを始めとした、歴史と伝統も感じさせなくない作り。ちょっぴりサイケなラム酒を織り交ぜて、練りに練り上げたポップスは毎度毎度ながら安定感があり、全編を通して外れがない職人芸を感じる。
それゆえに楽曲のメロディなどはかつてないほどまろやかな口当たりでのど越しが小気味良く滑っていく。それこそ程よく熟成されたワインやウィスキーのように。反面、メロディの展開には過去作で聞いたことあるようなフレーズがちらほら出てきていたりと、自家中毒感が否めないのも確かだ
しかし、もはや音楽的革新を目指すバンドではないし、いかに金太郎飴であろうが、そこにポップさがある限り、職人的な腕前を楽しむ作品であり、そういう点ではまったく問題ないどころか、タイムレスな魅力をいつまでも放ち続ける作品だろうと思う。おしむらくはその歴史が止まってしまったことだけだ。

ウィ・スリー

ウィ・スリー

58年録音盤。名ドラマー、ロイ・ヘインズのリーダー作。当時ジャズクラブで定期的にギグを繰り返していたピアノトリオでの録音。フィニアス・ニューボーンとポール・チェンバースという実力派が繰り広げた演奏は熱っぽさよりかはリラックスした雰囲気のスムース&ブルージーなもの。
しかしその寛いだ中でも、各人の技量の高さが窺えるプレイを見せており、白熱した演奏ではないが達人たちが余裕を持って、事も無げに熟練したテクニックを披露し合っている。ある域に達した者だからこそ描き出される演奏の妙に凄みを感じる。あえて火花を散らさず、じっくりと聞かせてる演奏はクールだ。
そんなシブく決めているアルバムだが個々の演奏はそれぞれ聴いていると、どれも才気あふれるものであるのも興味深い。演武のような演奏、といってもいいかもしれない。攻めようと思えば、いかようにも出来る布陣だがお互い息の合った掛け合いがとても楽しい一枚だろう。何もしないで静かに浸りたくなる。

「少女☆歌劇レヴュースタァライト -The Live- #2 Transition」インプレッション


「少女☆歌劇レヴュースタァライト -The Live- #2 Transition」
渋谷のAiiA 2.5 Theater Tokyoから天王洲アイルは銀河劇場に場所を移しての舞台版第二幕。TVアニメ全12話の放映からバトンタッチを受けての、「二層展開式少女歌劇」ならではの舞台演劇が繰り広げられました。今回はその舞台のインプレッション記事を書きたいと思います。#1、TVアニメを経て、「変化」「過渡期」という意味合いを持つ「Transition」が冠された今回の#2でしたが、その名に違わず、何かしらの変化、転回があった舞台だと思います。TVアニメが終了し、ソーシャルゲーム「少女☆歌劇レヴュースタァライト -Re LIVE-(以下スタリラ)」の配信を間近に控える中での作品の先を捉えた物語だったといえるでしょう。
前回の記事よろしく筆者の所感を認めたいと思います。ちなみに10/18のマチネ(昼公演)を観劇しました。そして今回は少々ネタバレも含みますので、読み進めたい場合は以下をクリック。スマホなどでご覧になってる方はその点を了承した上でお進みください。

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音楽鑑賞履歴(2018年9月) No.1270

月一恒例の音楽鑑賞履歴です。

なんとか一枚聞けましたが、状況はあんまり変わらずですね。ぼちぼちこちらも復帰していきたいと思いますが、しばらくはあんまり数聞けないかなとは。自分としても音楽聴きたいんですけどね。まあ、致し方ない。
なんだかんだで今年も残り1/4です。「平成最後の〜」というフレーズが目立ちますが、そういうのはあまりに気にせずに過ごして行きたいなあとかそんなことを思いつつ。


というわけで以下より感想です。


Street Lady

Street Lady

73年録音盤。ブルーノート晩年期の作品群のひとつ。後にスカイハイ・プロダクションを設立し、クロスオーバー/フュージョンサウンドの流れを決める、マイゼルブラザーズとの共同制作第二作目。当時バードはハワード大学の音楽主任教授として教鞭をとっており、彼らはその教え子でもある。
73年という時代を考えるとこの盤で繰り広げられる、クリスタルな響きとコズミックなグルーヴは程なくして大ブームとなっていくディスコサウンド、あるいはライトメロウ(AOR)、フュージョンサウンドへと直結した先鋭的な音だろう。もはやジャズの黒っぽさはなく、非常に洗練されたファンキーさを感じる。
比較的アドリブを廃した(ように思える)スクエアな演奏なのはファンク起因によるものだろうが、その規則的な反復リズムによるグルーヴを機能的に生み出している辺りにクレバーさを感じるのは大学教授とその教え子が生み出した研究成果なのかもしれない。前作に引き続き、先駆的な音を提示した一枚だ。

音楽鑑賞履歴(2018年8月) No.1269

月一恒例の音楽鑑賞履歴です。
定期的にここのブログをご覧になっている方はお分かりと思いますが、先月はほとんど音楽を聴く余裕がなかったので一枚しか聴いていません。これを書いている時点で9月もあと僅かというところですが、9月にいたってはまともに一枚も聞けていない状況が続いています。
日々の記録代わりですから、これを目当てにいらっしゃる方がどれくらいいるかわかりませんが音楽鑑賞については徐々に復帰できて生ければなとは考えています。復帰はアニメ感想の片がついてからになりそうですかね。まあ仕方ないですが、やるといったからには完遂するつもりです。


というわけで以下より感想です。


ライヴ・イン・ジャパン(紙ジャケット仕様)

ライヴ・イン・ジャパン(紙ジャケット仕様)

・72年発表ライヴ盤。72年6月の来日ツアーの模様を収録した、日本独自リリースの2枚組ライヴアルバム(後に海外でもリリース)。なにより驚くのはライヴ音源にしては録音がとてつもなくいいことだ。しかも当時「シカゴV」製作途中の絶頂期の演奏が聞けてしまうのだから、まさに空前絶後といったところ。
いわゆる「シカゴⅣ」である「ライヴ・アット・カーネギーホール」の冗長さもなく(あれも彼らのライヴセットを完全収録するという点では意義深いが)、コンパクトかつタイトなセットリストで一気呵成に聞かせてくれるし非常に熱っぽい演奏がやはり凄まじい。2曲ほど日本語で歌っているのがご愛嬌だが。
ライヴバンドとしてのシカゴのテンションの高さを思う存分体感させてくれる点ではこちらに軍配が上がる。スタジオ録音ではあのバタバタとしたダニー・セラフィンのドラムがまさしく暴れ太鼓で暴れまわるのと、テリー・キャスのギターの艶やかさが映えるし、なによりホーンの華やかさが眩しい。
完全に音の塊として、シカゴという「音」が存在しているような奇跡的なバランスとそれを見事にパッケージングした日本チームの仕事が時代を超越している。なによりアドリブパートの縦横無尽さは筆舌にしがたいほど。一度は聞いてみてほしいアルバムだ。聞いていて自然と心躍るエネルギーが詰まっている

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#8 ひかりの人生の物語


第8話『ひかり、さす方へ』
ここまでがBD-BOX第2巻収録内容。三幕構成といいますか、1巻収録内容ラストエピソードである4話で華恋とひかりの「約束」が確かめられたのを受けて、ひかりサイドの物語背景が明かされた回でもありました。前回のばななの背景に引き続き、本筋の舞台裏で展開されていた物語が明かされていく一方で、作品全体を覆う「なにか」もいよいよ朧げに見えてきた、のかもしれません。
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今回も舞台版の筋も含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホなどで読まれている方はそのままお進みください)

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「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#7 舞台少女の条件


第7話『大場なな』
この物語の全容が「少しだけ」明らかになった回。大場ななというキャラクターを通じて描かれる、その内容は予想外というよりはわりと予想の範疇に収まった感じでしょうか。舞台版を見ていると、ばななが一番闇が深い人物だったので何かあるだろうとは思っていました。ただここまで物語の鍵を握る人物だったのはちょっと意外ではありましたが。その得体の知れなさを紐解いていくと、一筋縄では行かないばななの背景がおぼろげに見えてきました。今回はその辺りをば、考えていこうかなと。

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今回も舞台版の筋も含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホなどで読まれている方はそのままお進みください)

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