極上同窓会#09

アニメ『極上生徒会』、勝手に10周年企画。
10年前の放映日に合わせて、1話ずつ振り返ってます。
今回は第9話。


脚本:黒田洋介/絵コンテ:駒井一也/演出:濁川敦/作画監督:渡辺邦州/総作画監督:川田剛


ついに来てしまったかという感じですが、作画が良くない回です。
EDクレジットを見ると、原画人数があからさまに少ないので致し方ないのですが。
所々、修正の入っている絵もあるので今の「総作画監督」の役割とは若干異なっているだと思います。
キャラ語り的にも、作品がコメディに向かってしまった為に割を食ってしまったキャラがメインですね。
(DVD2巻収録のパイロットフィルム見ると、どうもシリアス寄りだったようで)
といわけで、今回はこの人をピックアップ。



飛田小百合(CV:川澄綾子)。
遊撃のエースで、剣術の達人。
寡黙で生真面目な性格ゆえに、とぼけたところも垣間見せるキャラです。
今回は彼女の過去のトラウマと、得意とする剣術にまつわるエピソード。
言ってみれば、アイデンティティのお話でもあるのかな

冒頭、今回のドラマの主軸を担う来訪者。
よく考えれば、バイクを乗り回して宮神学園来るって事は大学生以上が確定な気がする。
黒のライダースーツ女性って、ベタだけどこのエピソードが復讐譚めいてることもあってパロディだよね。

今回の作画の調子が分かる画像ですw
絵に統一感がないのがキツいけども、先の回にも作画がよれている回はありますね。
ちなみに今回の原画陣の一人に後にプリキュアなどの各話作監をされる仁井学さんがいらっしゃいます。
まあ、今回は特に悪い部分と良い部分が極端な作画なのかと。




ココまで今回のエピソードの発端。
突如として現れた、君塚優子(CV:名塚佳織)。
小百合の過去に密接していて、因縁を持っている人物です。
今までのエピソードからしてもちょっと異質でシリアスな雰囲気を漂わせていますね。
特に一番最後のりのと優子の会話が一番顕著で、
「あなたがいい人だと思っている人は私にとって父の敵よ」
という主旨を語っています。
どんな人間にも二面性がある。
りのから見た側と優子から見た側で小百合の印象が異なるというのを端的に示した会話。
どちらが本当の小百合なのか。
今回のエピソードの問いかけはまさにそれで。
だからこそ小百合は過去と向き合わなければならないわけなのですが。

奏会長の回想でも小百合はれいんに助けてもらっています。
この状況は今も変わらない。
ご覧の通り、過去の出来事が小百合自身の根幹を成す部分に大きく影響しているわけです。
それも幼馴染のれいんが支えないといけない程に、彼女過去の傷跡が大きいのが分かります。

トラウマに苛まれ、夕飯がのどを通らないほど苦しむ。
彼女が真っ直ぐすぎる性格ゆえに。
れいんの方はギャンブラー気質らしく、硬軟清濁を併せ持つ生き方をどことなく肌で感じ取っている。
思い悩むのは色んな物が見えすぎるからだと小百合の眼鏡を外し、
時には逃げることも大事だと、諭す。
要するにどうしたいのか。
過去と対峙するのか、逃げるのか。
生き方が問われているんですよね。
非常にシリアスな問題ですが小百合をそこまで苛む過去とは一体、どんなものなのか。


原因は彼女に流れる、忌むべき血と技。
小百合が現在において突出した剣術の天才である(という設定)のが災いした。
これも情動と制御のお話なんだろうなあ。
人を殺める凶器だからこそ、心技体の制御が自らの内に求められるわけで。
元々、活殺剣だった飛田流の技を幼子が体得してしまっていたから発生した事故でもある。
活生流として伝承されていても、技の制御を誤ると簡単に裏返るわけですね。
って、説明しているとやはりココまでの作品にそぐわない位、ハードな設定だなあ。
密接に生死が関わる設定なのでゆるいコメディのノリからは明らかに浮いちゃってますね。
エピソードの方も終始バランス取りに苦心している回だと思います。
そういう点では一番初期稿の名残が強いキャラなのかもしれません。

で、この際に小百合の稽古に立ち会っていた門下生が優子の父親。
不慮の事故とはいえ、
小百合は人を傷つけた責任を重く感じており、剣を振るうことに苦悩する(している)。
優子の来訪によって、その自らの揺らぎがフラッシュバックされているという流れ。

とはいっても、彼女から剣術を取ってしまうと何が残るのか。
それは小百合本人も重々承知していることで。
優子の父親を負傷させた償いで、剣術から身を遠ざける。
それも一つの道だが、その決断を保留させたのが他ならぬ奏会長だった。
小百合の悩みと決断を奏会長はそのままに極上生徒会に招き入れた。
保留にすることで考える余裕を与えたということだろうか。
きっかけは遅かったが、自らの真意はどこなのかは元より分かっていたのだろう。

もちろん今の小百合にはれいんだけではない、たくさんの仲間がいる。
彼女自身を慮り、尊重し、時には支えてくれる仲間が。
それらを見据えるためには眼鏡がはやり必要なのだ。
極上生徒会に属する彼女の得た真実たちだからこそ。

優子との再びの立ち会いにおいて、迷いはなかった。
過去に向き合い、自らの気持ちで乗り越えたのだ。
痛ましい事故があった後、なお剣を握るのはなぜか。
その答えは既に出ている。
というより、ずっと小百合の心の内に存在していた。
剣が好きだから、だ。
優子の父親を負傷させた罪を背負いながらも、それでもなお貫くことを選んだ。
その意志を表明したことで決着は付いていたともいえる。

結局、勝負は優子の惨敗に終わった。
実は既に恨みはなく、小百合が本当の剣士であるかを確かめたかった模様。
そして、優子と父親の会話から浮き上がるもう一人の小百合。
剣士としての飛田小百合。
心優しき少女としての飛田小百合。
この彼女に内在する二面性のギャップを今まで埋められなかったわけで。
剣士である自分を否定せず、受け入れたことによって、
彼女は真の内面を手に入れることが出来た。
どちらも自分であるという解を得た事こそが彼女の真実なのだろう。

その真実を得られたことにより、周囲の反応にも揺るがない彼女がそこにはいた。
れいんが助け舟を出す必要も今後はないことだろう。
好きを貫く覚悟を小百合は知っているからだ。
たとえまた迷うことがあっても、仲間がいるし、
彼女の眼差しは真実を見据えることが出来るのだから。


以上、9話でした。
なんというかユルいコメディ作品にしては小百合周りの設定が重いんですよね。
ある程度のシリアスは許容している作品なんですが、それでも。
この辺りは恐らく、作品の初期稿から引き摺られている設定だと推察するのですが、
作品のコンセプトがひっくり返ったことで扱いに困った感じをちょっと受けてしまいます。
れいんと小百合はコンビで割を食ってしまった感が強くありますね。
彼女たちの関係を上手く生かせるエピソードがあまりないのはもったいないとも思います。
それ以上に、作画的にも不遇な扱いなのでかわいそうな感じが。
(れいんについてはまた次の機会に)
コメディ要素もあまりなかったのも、エピソードの異質さを醸し出しているのかもしれません。
ただドラマ分が強いけど、作品の性質のために煮え切らなかった部分があるのが惜しい所。
それでも落ち着くところに話が結びついているのは黒田洋介さんの上手さは感じられますね。
といった所で、今回はココまで。
ありがとうございました。