Angel Beats!と新世紀エヴァンゲリオン。

前回の記事の続き、のようなもの。
キャラについてちょっと思ったことを。


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前回の記事では主要キャラ三人の奇妙な三角関係をとりとめなく書いていきました。



とりあえずつかずはなれずの不思議な関係で、この三人についてはなにか孤独感を感じさせられた三話でした。


で、今回の話題です。
これは前々から思っていたことなのですが。
Angel Beats!一話の放映時、微妙な作画と相まってよく言われてたことに、ゆりについて、


「これなんて(涼宮)ハルヒ?」


っていう、大勢の意見があったと思います。
まあ、これは言われても不思議なことじゃないと思います。
あの強引な性格を見れば、近年最大のアニメアイコンであるハルヒが思い浮かべられるのも当然ですね。
けど、私はその意見に対して、なんとなく違和感がありました。
確かに似てはいるけど、とは思いましたけどね。
でも、後々の話を見ていくうちにそういった第一印象は薄らいだとは思うんです。


さて、今回の記事のタイトルは「Angel Beats!新世紀エヴァンゲリオン。」であります。
個人的にはAngel Beats!の主要キャラ(ここでは音無、ゆり、天使のことを指すことにします)はセットで語るべきなんじゃないかと思うんです。
でまあ、この男一人に対しメインヒロイン二人、と言う構造はとある作品と類似していることに気付きました。
そう、エヴァンゲリオンです。
(注:ここでは旧世紀版のエヴァを指します。新劇はまだ完結してないので今回は外すことにします、ご了承を)



こちらも男一人に対しメインヒロイン二人。(※上のAngel Beats!のキャラと符合するだろうキャラ順に並べてます)
律儀にもAngel Beats!では短髪のヒロインと長髪のヒロインの性格がエヴァと逆になっているのも気のせいじゃないかなあと。
このエヴァでの三角関係とAB(以降、この略で)の三角関係は比較できて、


シンジ(内向的で自虐的)⇔音無(全体のツッコミ役。外向的ではある)
レイ(無表情、他人に興味なし)⇔天使(無表情、監視者?なので他人を見ていることは間違いない)
アスカ(行動派、人間関係的には孤立)⇔ゆり(行動派、戦線のリーダー(人間関係的は豊か))


という対比が出来ます。


ここでキーワードになるのが「ディスコミュニケーション」ではないでしょうか。
シンジ、レイ、アスカの関係も音無、天使、ゆりの関係もコミュニケーションをしていない関係と言えます。
まだABは序盤なので、キャラ関係が深まっていないのは確かです。
けれど、一話では音無と天使の会話はほとんど成立していませんでした。
二話でのゆりの過去語りもほとんど一方通行で、コミュニケーションはしていません。
さらに三話では、音無、天使、ゆりがどこかしら孤独であると言う演出がされていました。
現時点ではABの三角関係はコミュニケイトしていないけども何か共通項の垣間見える関係であると思います。


対して、エヴァはどうだったかというと。
彼らの関係もまたディスコミュケーションです。
心の奥の内を言葉にして吐露せようとせず、(物語的には)全員同化することでお互い分かり合えばいいじゃないかという。
うわべだけの関係では同級生でありクラスメートであり、同じエヴァパイロット(同僚)ではありましたが、
真の意味で友人関係にも発展していないし、むろん恋愛関係にもならなかった。
物語内のキャラの関係の上で、会話に対する反応で「〜はこういう人間なんだ」っていう反応はほぼなかったはず。
分かり合おうとして結局分かり合えてない、というのがエヴァ全体の流れだったように思います。


ここからは想像ですが、ABはおそらくこの逆パターンを進むのではないかと思うんです。
要はキャラがコミュニケイトしていく物語。
もしかしたらセカイ系の打破を目指しているのかも分かりません。


セカイ系 - Wikipedia


以下はwikipediaセカイ系の解説を所々、抜粋しました。

「一人語りの激しい」「たかだか語り手自身の了見を「世界」という誇大な言葉で表したがる傾向」
「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」
セカイ系の特徴とした「方法的に社会領域を消去した物語」
「みずからのジャンルの虚構性、チープさを明らかにした上で、なおかつ真摯な物語を語ろうとした」
「ループものの作品」「セカイ系への自己言及的応答作品」

抜粋部分から察するにABの世界観(今後明かされていく内容がどんなだとしても)もセカイ系の一種に属しているように思います。
ここら辺は原作者である麻枝准美少女ゲームにおける泣きゲーのシナリオライターであると言うことも影響してそうな感じ。
ループ構造と言うか、繰り返して遊ぶのを前提にされているゲームの話を書いていた人ですから、そこら辺は織り込み済みで話を考えていると思うんですがどうなんでしょうかね。(ちなみに私はKey作品はまったくやったことがないので、どうと言える立場ではないのですけども)
そうするとABが死後の世界が舞台の社会領域を限定された学園内の物語と言うのも説明が付くのではないでしょうか。


ということは、仮に死後の世界=仮想世界だと考えると、
やっぱりABのキャラで実体(つまり本当の人間)を持っているキャラクターって少ないんじゃないかなあと。
三話の岩沢さんにしても自分の問題を自己完結して、消滅してしまったわけですから。
彼女(と言うか戦線のメンバーも)はそういう風な役割を義務付けられたNPCって可能性は捨て切れません。
となると、今後は主要キャラ三人が(おそらく)コミュニケイトして、世界(または世界の危機)を打破する話になってゆく気がします
いや、今後がどうなるかなんてのは製作者側しか、知るよしはないのですが。
エヴァ新劇の方でも旧世紀版のディスコミュケーションさを払拭しようとしているのを個人的には感じているんですが、
ABは旧世紀エヴァを踏み台にして、新しい解を導き出そうとしてるようにも思います。
そうなってくると、この作品は大変なことになってきそうですね。
なんたって、いまだにエヴァという呪縛は強いわけですから。
それを破れたら、まさにエポックメイキングですよ。


けどまあ、そうならない可能性もまた大であるわけなのですけどね。
あくまでそういう可能性も孕んでいる作品かもしれないと言うお話です。


しかし、もしかしたら私たちは、
今後のあらゆる創作において「コミュニケーション」というのが時代のテーマとして打ち立てられる瞬間を目の当たりにしてるのかもしれませんね。
まあ、そこまで大仰じゃないかもしれませんけども、そういう流れは出来つつあるのかも。


さて、ABの公式サイトでの謳い文句は「最高の人生賛歌」だそうです。
この文句にふさわしい作品になるかどうか。
今後も注目していきたいところです。


※追記
そういえば音無とシンジ、どちらもOPで似たようなカットがありましたね。


エヴァのOPはフラッシュカット(瞬間的に映像が切り替わる技法)を多用していますが、ABのOPでも、この音無の直前が多様な感じ。
そういえば、エヴァのOPもキャラが入れ替わり立ち代わりですね。
検証してみると面白いかも。