キャプテン・アース2話における歴代榎戸作品の「重み」


どうもです。
2014年も既に1/3を経過。
時の流れの早さを日々、感じながら過ごす毎日ですがいかがお過ごしでしょうか。


アニメも春クール作品が次々スタートを切り、話題になったりならなかったり。
筆者も目当ての作品を楽しみに見ています。


さて、そこでキャプテン・アースです。
先日放映の2話「銃の名はライブラスター」がやはり素晴らしくて。
自分はTV放映前の先行上映会で拝見しましたが、何度も見てしまいます。


榎戸洋司×五十嵐卓哉コンビの第二作目。
前作「スタードライバー 輝きのタクト」はサン・テグジュペリの「星の王子さま」でしたが、
今作はシェイクスピア作品が主なモチーフで英文学科出身の身としては心踊る物があります。
(その割にはそこまでシェイクスピア作品に触れているわけでもないですが)


それと、2話ではOPとED映像も公開されましたね。
OPは初見時でもしやと思いましたが、「エヴァ」や「フリクリ」などの監督で有名な鶴巻和哉氏。
EDは「交響詩エウレカセヴン」監督の京田知己氏。
どちらも素晴らしい出来の映像でした。


今回の記事は2話の内容と絡めて、EDの映像で気付いたことをざっくりと語りたいと思います。
以下から本編スタート。


《広末レイトと夢塔ハナから感じられる榎戸作品の重み》


正直、言いますとですね。
初見時、1話が感触としてそんなでもなかったんですよ。
非常に「TV版エヴァ」の第1話の影がちらついて、引っ掛かりがあまりなかった。
しかし2話で急激に引き込まれるわけです。
それはもうロボットバトルが自分の中で添え物と化すほどで。


何が素晴らしかったかって、主人公は主人公らしい立ち居振る舞いをしてるだけでも凄い。
ですが、今回語りたいのはそこじゃない。


何度か見返して、凄いなあと思った所を単刀直入にいいます。


夢塔ハナと広末レイトのBパート終盤におけるやり取りがとてつもなかった。


特に今回のエピソードで出てきたGlobe内の監察官兼内務調査官の広末レイト。
彼のCVを当てているのはベテラン声優の草尾毅さん。
榎戸作品で草尾さんというと、ファンの方としては「少女革命ウテナ」の西園寺莢一ですね。


彼がこのいかにも偏屈というか疑り深い大人としての広末レイトの声を担当しているのが非常に意義深い。
レイトはダイチがライブラスターで打ち抜いたリードギアを脱ぎ、外へ出ようとするハナを捕まえて、言います。


「外へ出るつもりか、ハナ」


この言葉の意味の重さがいかほどかは「ウテナ」を見たことのある方なら感じ入ってくれるはずです。
かつて鳳学園の生徒会副会長、また薔薇の刻印を持つ「決闘者」だった、あの西園寺に言わせている。
あの「永遠」というものに執着し、「世界を革命する力」を我が手に入れようとした男が、です。
そう考えると、
広末レイトは「かつてダイチと同じ目線に立てた(はずの)者」という作外のメタファーが機能してるっぽい。
さらには「かつて自分の持ち得た力を危険だからと抑圧する大人」でもあり、二重の意味が含まれている。
この辺りの演技というか芝居付けが榎戸作品の歴史的な厚みを出しているのに気付き、戦慄しました。


※追記
ちょっと修正。
西園寺のキャラを思い返してみると、確かに「世界を革命する力」を得られる近い場所にいたのに、
それを得ることが出来ずに終わる人間ではあるので、イソップ童話のキツネポジションではあるか。
記事の反応でそういうご指摘がありましたので、謹んで訂正させていただきます。
あと記事書いてから気付きましたが、
レイトが「大人の象徴」としてコーヒー飲んでるのもまた、トップ2のハトリのリフレインですね。
「大人になる上で、無垢でいられなかった苦味」を知る人間としての立場もありそう。
というかOPでもけっこう大きいカットでいる上、
背後にマクベスエンタープライズの面々がいる構図なのも、「大人の構図」ですね。
今後も重要な役割が待ってそうです、レイトさん。


※さらに追記。
よく考えたら、
ウテナ:西園寺×アンシー(薔薇の花嫁という束縛)
トップ2:ハトリ×ラルク(手錠)
キャプテンアース:レイト×ハナ(リードギア)
って、拘束褐色系女子繋がりだな!


※さらにさらに追記。
引用台詞が間違ってたというご指摘を受けて修正。あいすみません。
で、その部分見返すと
後に続く「だって、ブーメラン見たいんだもん♪」のハナの台詞もすごいなあ。
アンシーは「西園寺様→(ウテナに負けてからの)西園寺先輩」のあてつけ感がすごいし、
ラルクは「うるさいなあ…、ニコラと遊ぶんだから」とトップレスとニコラへの依存感がありありと出てる
アンシーはそのキャラの異様さが出ているし、
ラルクはトップレス能力とニコラを妄信し、外部の人間を顧みてない。
どちらも自らの内向性に重きを置いてて、変化は外部への促ししか期待してない
そこへハナ。
ハナがダイチに向かう際の上記の台詞の軽やかさが面白い。
あれで一気にシリアスな空気がガス抜きされて、爽やかな物語に引き戻されているんですよね。
大人が入り込めず憧憬の念に駆られる、若さの結晶=青春の輝き。
先の二人の、人間関係の酷薄さや思春期の閉鎖感よりも自分の意志で向かう強さを感じるわけですね
もちろんそんなハナにもアンシーやラルクのような感情の闇がないわけがないと信じてますがw


そうするとハナとレイトの関係も非常に興味深く感じられます。
2話の描写を見る限りでも、
レイトはハナ(ひいてはテッペイ、ダイチ)の力を忌避しながら、ハナという人間を庇護している。
それも過保護に。
閉じ込められている一室にあった、鳥かごのように。
ここまでくれば何が言いたいか、お分かりでしょう。


レイトはそのまま西園寺莢一であり、ハナは姫宮アンシーのごとく存在している。


レイトとハナの構図はほぼ20年前の西園寺とアンシーの構図なのです。
ただニュアンスとして異なるのはレイトは大人であり、ハナは子供であること。
青春を通過した者と青春真っ只中にいる者の対比としての[束縛」と「自由」
ダイチがハナとテッペイをその「自由」に開放した若さのカタルシスこそが2話の正体だと思います。
その裏で隠し味に利いているのがそういう一人の脚本家の歴史の「重み」だと感じました。


とすればです。
夢塔ハナが姫宮アンシーと同項の存在であるならば、さらにED映像は物凄く興味深い。


《EDから読み取れる夢塔ハナのあれこれ》



2話の終わりからのED映像がまた素晴らしくて、録画を何回も見直したわけですよ。
で、初見は「榎戸さんからの輪るピングドラムへの回答」みたいな印象でした。
(シリーズ構成の方がED映像の製作に関わるとは思いませんがファーストインプレッションとして)


何度見返すと、今度はテッペイが緑、アカリが橙の光を背負ってハナと手を繋ぐ。
さらにダイチという青い光に導かれて、地球と繋がる。
というシークエンスが合って、宇宙で独りぼっちだったハナはアースカラーに導かれているんですよね


非常に興味深い。
恐らく物語の重要なモチーフとして夢塔ハナというヒロインがいるのは間違いないんです。
幼いダイチたちに出会った段階でライブラスターを抱えている少女です。
なにかしら含みがあるものだと確信してますが、ここまで語ったことを踏まえれば、
やはり宇宙から「来た」と考えるのが妥当でないのかなあと。


宇宙を彷徨っていた生命が、地球で出会った仲間と繋がることで生まれる関係。
それがED映像で表現されているのではないかと邪推をするわけです。
夢塔ハナ=姫宮アンシーだという想像を踏まえると、映像表現がもっと面白く感じますね。


さらにさらに、冒頭の花(百合?)から零れ落ちる雫→宇宙にうずくまるハナが海らしき水に落ちる場面。
花、宇宙空間、うずくまる人のイメージと来ると、ある一つのアニメ映画と符合します。


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これです。
榎戸さんは関わってない作品でありますし、意識されているかは分かりません。
しかし劇中の敵、フィオレとキセニアンの持っているイメージと同じです。
フィオレは衛に対する友情(愛情か?)をキセニアンに利用されてしまうわけですが、
キャプテン・アース」の2話でハナを解き放つのはダイチであり、非常に真っ当に描かれます。
真っ当に、というのはこの物語が「ボーイ・ミーツ・ガール」を主軸の一つにおいてるだろうという点です。


過去二十年で、百合やBLがアングラから表に台頭してきたという点では、
そのジェンダーにおける垣根が取り払われたとも言えますね。
いわゆる背徳感、禁忌感がオミットされて、ライトに受け入れられるようになった。
ある種、歪みだったものが正道として認知されてしまった価値観の歪みというか。


そこらの価値観を認めながら、男女の関係を捉えなおそうとしている、ようにも見える。
キャプテン・アース」のED映像から自分はそう読み取りました。


翻って、夢塔ハナに戻ります。
先ほどイコール姫宮アンシーだと面白いと話しましたがそこから更に発展していくと…、


夢塔ハナ=姫宮アンシー=薔薇の花嫁=オフィーリア


という図式も可能なんですよね。
シェイクスピア作品がモチーフになっている「キャプテン・アース」で、
初登場時、ハナは水の中で眠っています
EDでは冒頭、うずくまって眠るハナが地球の海らしき水に沈んでいく描写も。


これらの描写とシェイクスピアを照らし合わせ考えると、
思い浮かぶのがあまりにも有名なこの絵画。




ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」
シェイクスピアの「ハムレット」のヒロインで作中で水死した様を描いたものです


ハムレット」については、ダイチが「決断」という言葉を1話で語っていることからも、
キャプテン・アース」におけるハムレットではないかという想像も可能です。
「生きるか死ぬかそれが問題だ(To be, or not to be: that is the question.)」
この有名な一節がダイチの場合、どうなるか今から楽しみでもあります。
この事からも嵐テッペイの背負うだろう「テンペスト」ともにこれも作中重要なモチーフでしょう。
全体のイメージには喜劇である「真夏の世の夢」を使っていることから、
シェイクスピア四大悲劇の一つである「ハムレットの筋には寄り過ぎない物語になりそうですね。


ダイチがハムレット
ハナがオフィーリア。


だとすれば、これはやはり「青春」と「ボーイ・ミーツ・ガール」の一夏の物語なのでしょう。


ということは、これは「忘却の旋律」のリベンジなのかもしれない。
ボッカと小夜子は過酷な闘いと旅の果てにお互いの感情に気付くわけですが、
ダイチとハナはどこで気付くのか。
はたまた既にお互いに意識しあってるのかも。
「大地と花」ですからねえ。
ああ、花が咲くには「根を下ろす」ための大地が必要ってニュアンスもありそう。


これから展開される物語がどうなるかはまだまだ読めません。
しかし、夢塔ハナというキャラを2話とEDから読み取るだけ読み取ると奥の深さがよく分かります。


姫宮アンシーの鬱屈する本性が潜んでいそうでもあり、
恋人に疎んじられ、挙句に父を殺され、狂乱の果てに水死してしまうオフィーリアの影もある。
引用先と榎戸作品との重層的な深みがキャラの見えない内面があるように思わせるのが凄い。


2話ってそういう点で凄く面白かったし、積み重ねの先に向かう意志も感じられた、
意義深いエピソードだったように思うのです。


《終わりに》


以上で語りたいことは全部です。
OPもEDも本当に素晴らしい出来ですが、2話で物語が一気に開いた感がやっぱり凄いよなあと。
いろいろ読み取れるだけの情報量が芋づる式に出てきて、自分は楽しいです。
2クール作品なのでまだまだ序盤ですが、既に凄く楽しい。
またなにか深読みできたら、間髪入れず書いてみたいなあと思います。
それではまた。