コミックスベスト2021

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2022年最初の新規記事は昨年2021年のコミックベスト15作(内5作は選外)の発表です。
過去のベストは以下のリンクのツイートツリーとリンクを。気になる方は参照いただければ幸いです。



terry-rice88injazz.hatenablog.jp




今回も目次を配置しています。各作ごとに短評を付けておきますが、どの作品を選んだかザクッと見たい場合はそちらをご覧いただければ。
基本的には2021年に発行された単行本ベストです。複数巻で選出した作品もありますのでこのような形を取っています。またブログやTwitterでの筆者の発言を知っている人はご存じでしょうが筆者は斉木久美子「かげきしょうじょ!!」をずっとマイベストトップとしていますので、当該作は永世1位として認定しています。ゆえに以下の選出で語ることはしませんがそれを踏まえていただけると幸いです。



それでは以下より、ベストコミックの目次一覧と短評です。

1.髙橋ツトム「ギターショップ・ロージー」(1)

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1発目は「爆音列島」「地雷震」などの代表作を持つ髙橋ツトムがビッグコミックス増刊でひっそり連載してる作品。いわゆるビッグコミックス系統に多い、職業系人間ドラマのフォーマットを下敷きにした作品。これを髙橋ツトムが手掛けると「ギターのレストアショップを営む兄弟の元にやってくるギターとその持ち主たちのドラマ」となるから面白い。作者の持つ個性と雑誌の持つ誌風が上手くマッチングしてて、ドライな台詞回しと特有のザラついた画面に、良くも悪くも音楽やギターに心掴まされた市井の人々のドラマが重なってくる。変に泣かせに向かわせることなく、ギターに詰め込まれた物語を丁寧に描く姿は意外にもビッグコミックとの相性の良さを見てしまいますね。語りの定型が出来ているので、安定感もあって変に若ぶろうとせずに枯れた風合いが味わい深くもある作品。

2.早川パオ「まどろみバーメイド」(10)

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7巻から続いていた「BARメテオ(砕明寺耕)編」の完結編にして、バーマン・プラチナム決着。作品最長エピソードの結びになったのは「歴史と革新」。このエピソードでは「BAR文化を日本国内でより身近に感じさせるにはどうすればよいのか?」が焦点で、砕明寺が「常に革新を求めて、話題性を維持する」姿勢に対して主役の一人、伊吹騎帆が示したのは「古典に新しい息吹を与える」姿勢。古典、スタンダードに新しいアイディアを付加して生まれ変わらせることで、砕明寺の示す「先鋭化」よりもカクテルの存在を広く認知させる事で文化としての裾野を広げる「一般化」を提示した。今まで積み重ねた来た歴史を拡散し、文化として定着させる。砕明寺の見せた「革新」は文化の可能性を切り開く上で重要だが、文化を成熟させる点においては「歴史」に新しい価値を与えてみせた騎帆がエピソードの焦点を捉えていたと言えるだろう。一つの文化が岐路を迎える時点での対立を上手く落とし込んだ幕切れであると同時に、SNS時代の「シェア(共有)」をも視野に含めた描きと文化に対しての考え方に共感を覚える描きだったのが頼もしい一冊だった。

3.もんでんあきこ「エロスの種子」(5)

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男と女の性愛を描くシリーズ作品。5巻目の本巻では「冬虫夏草」全3話と「少女」のエピソードが白眉の出来だった。このエピソードの間に収められている東京オリンピックの開催された64年の北海道を舞台に描いた「真珠」のエピソードも男女のままならぬ、生と死が複雑に絡み合った「愛」の筆致もなかなか得難いものだが、コロナ禍という状況を上手く舞台装置に使い、愛される女(「冬虫夏草」)と愛されない女(「少女」)を各々の視点から描いた連作エピソードの仕掛けには唸った。仔細はあえて語らないが気になった方は是非読んで欲しい。一話完結(時たま連作)の短編シリーズとしては高品質にまとまってるので。

4.小池定路「若旦那はザンネン。」(2)(3)

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漫画も絵も無茶苦茶上手いのに、なんでか4コマ漫画をメインに描いている小池定路の、街のお茶屋さんを営んでるコミュ障な若旦那とひょんな事からそこに居候する事になった男子大学生の織り成すご町内コメディ。この作品で主軸に描かれているのは、若旦那の成長と彼が身を置いている商店街というコミュニティとの向き合い方。コメディの筆致ではあるのだが若旦那のキャラクター性は複雑で、とある性的指向を抱えている人間である事が物語を読み進めると明らかとなる。そんな彼の異物感が思春期にイジメを受ける遠因ともなり、トラウマとして描かれている。作品は若旦那のコンプレックスを解消していく物語なのだが、そこで重要になってくるのが商店街というコミュニティ。今はシャッター商店街になりかけているが、若旦那は自分の属する商店街の温かさを心の支えとしており、寂れていく様をどうにか打開していくことで、自分の心の傷を埋めていく。個人が社会に身を置く時に切っても切り離せないものに人の繋がりがあるわけだが、若旦那の場合は商店街というコミュニティに身を置く事で、自己の居場所や生きる意味を自覚している。人によって「生きる」理由は様々だが、この物語は社会に対して自らの身をどう置くかというテーマに一つの答えを見出している生き方の描いた作品だと思う。そんなテーマを重すぎず、軽妙なコメディとして描いてるのもまた作者の巧さが感じられるのではないかと。

5.うたたね游「踊り場にスカートが鳴る」(1)

もう一つ「生き方」にまつわる作品。百合姫で連載されている社交ダンスもの。ホントはダンスのパートナー(女役)をやりたいのに背が高いという理由からリーダー(男役)を不承不承やってる少女、春間きき。ある日、ダンスのパートナーからコンビ解消を言い渡され失意の中、放課後に独り階段の踊り場でパートナーのダンスを踊っていると、それを見た小柄な下級生鳥羽見みちるが「私のダンスパートナーになってください」と申し出て……というお話。周囲からもそして自らもそれが「合う」「らしい」と決めつけて、窮屈さを覚えるききが「自分がやりたいからパートナーをやる」と真っ直ぐなまなざしを向けるみちるに触発されて、「自分らしくダンスを踊る」事に徐々に目覚めていく様子が描かれていく。思春期の女子独特の不安定さも詰め込まれる中で、いかに自分を律して生きていくかというテーマにおいて、ききとみちるが戦友として学校、クラスメートひいては部活動と向き合っていく、いわゆるロマンシス的な描きがその繊細な描線と比して芯の入った骨太さを感じた。それは社交ダンスというスポーツを題材に扱っている為かも分からないが、これからを生きるための武器をコンビとなった二人が互いに影響しあいながら身に着けていく物語でもあるように読める。そのしなやかに生きる術を学んでいく青春ものとしての筆致がこれから楽しみだ。



6.三原和人「ワールドイズダンシング」(1)

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室町時代能楽観世流を確立させた世阿弥の生涯を追った作品。こちらはもっとダイレクトに「舞う」という所作に「生命」を感じ、その躍動こそが人の「生きる」様であると捉えている物語で、作中ではまだ少年期の世阿弥が「人はなぜ踊るのか」という命題に対して、そこに「身体があり心があるから」と見出す過程の気持ち良さが堪らないというか。世阿弥は見出した「表現」、つまり感情を舞に乗せていく事、その為に森羅万象を感じて、それを思考し、身体に重ねていく。そういった流れの中に、自らが存在しているのを肌で実感し、極めて濃厚な「生」を浴びる世阿弥を現代の身体表現的な視点から眺めていくのが実に興味深い。室町時代という今よりも活力のあった時代の「生きる」事を舞踊に見出した人物の壮大な一代記を手掛ける作者の力強さも感じられる。大変だろうが、作品を描き切って欲しいと思わせる一作。

7.町田メロメ「三拍子の娘」(1)

若くして母を亡くし、この上なく適当な父親にある日突然捨てられた三姉妹がそうシリアスに捉えず、日々の暮らしをほんわかと過ごす様を描いた作品、と書いてしまうとこの作品の魅力が半分くらいすり抜けてしまう程度には面白さを伝えようとすると悩む作品でもある。それでも何よりも絵が魅力的なのは言うに及ばずなのだが。両親が不在でも、彼女たちには依然として生活があり、それぞれのリズムで過ごしていて、それが交差したり、縺れたり、並列したりする。その生活で繰り広げられる可笑しみがあり、時にハッとする美しさや、あるいは素っ頓狂な千鳥足を見せたりもする。そんな三姉妹の生活をオフビート気味に描いているのがとても心地いい作品でもあり、時にボディブローもかますという油断ならない作品でもある。日常系という言葉もあるが、その日々の生活ほど「普通」ではいられないし、人々の認識する「ふつうの日常」はそれぞれにイメージが異なるわけである。その中に「リズム」があり、それぞれが響き合って「生きている」。ゆえに生活は続く。そんな作品。あ、キャラの好みはとらとふじです。

8. 仲間りょう「高校生家族」(1)~(4)

個人的に2021年の少年ジャンプ作品で一作選べと言われれば、問答無用に「高校生家族」を選ぶ。そのぐらい勢いがあった作品だと思う。久々に声出して笑いすぎて涙が出そうになったギャグマンガですね。ペット含めて家族全員が高校生になるという設定も直球ど真ん中のおかしさなんですが、それゆえに作品として「勝ち」な強さなんですよね。家族各々の「青春」の過ごし方が見事で、通常の青春マンガの4倍濃縮みたいな面白さもあるし、家族全員が青春ドラマを演じてるのがそのままギャグとなって昇華されているからズルいという他ないですし、美大出身の作者ですから描線のタッチが独特ながら画力もハンパなく高くて、どんなに真面目に表現してもそれがギャグとして使えてしまう脅威。なおかつ一番強いのが「ネーム」なんですよね、この作品。いちいちキレのある言葉で斬ってかかってくるから割と不意を突かれます、マジで。家族生活がそのまま高校生活になっているのはシュールさが極まっているけど、そんな状況になっても「生活は続く」わけで当事者(特に家谷光太郎くん)としては溜まったものじゃないだろうけど、この過剰な家族生活は端から見てるとエルギッシュだし、楽しそうだ。

9. 荒木飛呂彦ジョジョリオン」(27)

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足掛け10年というシリーズ最長の連載期間となった「ジョジョの奇妙な冒険」第8部最終巻。先日もTwitterの呟きで少し語ったのでそれを以下に再掲します。ツリーとなってますので続きはクリックしてご覧ください。

今年、アニメが放映となる第6部「ストーンオーシャン」での大転回があった以降、第7部「スティール・ボール・ラン」そして第8部の「ジョジョリオン」とキリスト教的宗教観に基づく、ジョジョシリーズにおける「脱構築」と語り直しが図られていて、作品の根幹テーマである「人間賛歌」をよりフォーカスした作りになっているのが興味深い。呟きでも語ったが、長期連載作が陥りがちな基本設定やキャラクターの因縁が「呪縛」となって、作品を硬直*1化させるのを回避しているし、「ジョジョリオン」においては「何者でもない」主人公、定助が家族という「居場所」に受け入れられる物語だったのではないかなと。作品構成的に紆余曲折あるシリーズだったのは否定できないが、作品史上最も穏やかなラストシーンになったのは印象的だった。


10.和邇「勇者先生」(2021年2月期JUMP新世界漫画賞準入選作)

shonenjumpplus.com

最後はジャンプの月例新人賞準入選作。リンク先から閲覧可能です。
投稿当時20歳の作者が描く終末世界の絶望と一かけらの希望と救済。絵やコマ割りの拙さなどの欠点を補って余りあるほどの熱量が込められた一作かと。ありきたりかつ悲観的な題材でもある一方で、勝ち目のない戦いへと子供たちを赴かせてしまった青年の懊悩、戦場で訪れる死の呆気なさ、虚しさを逃げることなく描いた先に見えてくる、それでも「生き抜く」という薄皮一枚ほどの希望が鈍く光る。決して幸せな結末ではないが、そこを拠り所にして「生きる」事を鮮烈に描いていると思う。21年1月時点では作者の新作を拝めていないが、編集部はワンヒットワンダーに終わらせず、漫画家活動を軌道に乗せて欲しいと強く願う。

選外作品

藤本タツキ「ルックバック」
熊倉献「ブランクスペース」(1)
くずしろ「永世乙女の戦い方」(5)(6)
金田一蓮十郎「ラララ」(10)
真鍋譲二(原作:すかいふぁーむ キャラクター原案:大熊猫介
「脱法テイマーの成り上がり冒険譚 ~Sランク美少女冒険者が俺の獣魔になっテイマす~」(1)


《終わりに代えて~2021年総括~》

今回の選出作品からも見えてくる21年とは、生きる事への希求だったのかもしれないとハタと気付いた。いまだコロナ禍は収束するどころか、重症化のリスクは低いものの感染速度の極めて早いオミクロン株の登場によって、再び感染拡大の一途を辿っている。そういった状況の不安さや見通しの立たなさもさることながら、それを取り巻く日本国内の社会状況、世界情勢なども徐々に予断を許さないものへと移り変わろうとしている。しかしそれでも我々は生き続け、生活を続けていかなければならないのだ。反対の声が叫ばれても、東京オリンピックは開催し、衆議院選が行われ、日本は新体制の中、荒波立つ海に船出していかなければならなくなった。過去に積もった負債も多大であり、早急に更新していかなければ問題も山積みである。ありとあらゆる問題が無造作に積まれていく中で、民衆はそれぞれ自分の暮らしを維持しなければならない。故に「生きる」を強く求めるのだ。今以上に、そしてこれからも叫び続けなければならない。しかし強く希求する事によって、何かが大きく変わる事はおそらくないだろう。それでも一人一人が「生きていく事」を丹念に言い続けなければ、発展も進歩も変化もないのだ。生きる事は死ぬまでの道程である事は間違いないが、それでもなお必死で生き抜くことで活路を見出さなければ、国も民も先行きいかなくなってしまう。現状に希望があるのかないのか問われれば、分からないという他ない。一昨年見えて来た「呪い」をもはや通り越して、強引にでも「力のうねり」を手繰り寄せなければ後はない。だから声を上げて、叫ぶのだ。「生きる事」を。生きて生き抜いて、未来に続く「希望」を作らなければならない。そうでもしなければ国がなくなってしまうほどの危機感をいよいよ持たなければいけないのではなかろうか。生きる事を諦めない事を第一に、生活を積み上げていこうと思う。進むことを恐れてはならないのだから。

*1:(=マンネリ)