コミックスベスト2020

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2021年新年あけましておめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願いいたします。

新年のご挨拶に代えまして、昨年2020年のコミックベスト15作品を発表いたします。
ブログの記事として纏めるのは10年前の2011年以来となりますね。以降はTwitter経由で発信していました。以下のリンクのツイートツリーに過去ベストをまとめていますので、気になる方は参照いただければ幸いです。


また今回は目次を配置しています。各作ごとに短評を付けておきますが、どの作品を選んだかザクッと見たい場合はそちらをご覧いただければ。
なお15作品を選出していますが、基本的には2020年に発行された単行本ベストです。複数巻で選出した作品もありますのでこのような形を取っています。またブログやTwitterでの筆者の発言を知っている人はご存じでしょうが筆者はここ5年以上、斉木久美子「かげきしょうじょ!!」がずっとマイベストトップに君臨していますので、該当作は永世1位として揺るぎないものと認定しています。ゆえに以下の選出で語ることはしませんがそれを踏まえていただけると幸いです。



それでは以下より、ベストコミックの目次一覧と短評です。

1. 上野顕太郎「治虫の国のアリス」

博覧強記のギャグ作家、上野顕太郎による手塚治虫への一大オマージュ奇譚。ほぼ全編全頁コマ割り、キャラクターまで手塚治虫作品からの引用と模写で構成された気の遠くなるような作品。コマ割り、ページ構成までコラージュした上で描かれる「マンガによる手塚治虫(作品)批評」というのはおそらく氏にしかできない所業であり、手塚治虫という巨星の偉大さを改めて目の当たりにする。誰もここまでやれとは言ってないはずだが、「思いついたら描く」を徹底する上野顕太郎の作家精神には感嘆するばかりだ。

2. 笹生那実「薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―」

美内すずえ山岸凉子樹村みのり三原順くらもちふさこなどの少女漫画黄金期にアシスタントとして渡り歩いた作者の体験を描いた一作。今まで語られることはあっても、スポットの強く当たってこなかった70年代少女漫画家の事情や作品制作の背景が描かれているのが本作の特筆すべき魅力。個人的には本作で描かれる樹村みのりの人となりが作品の雰囲気そのままなのに「らしいな」と感じ入った。昨今、このような「トキワ荘以後」の漫画家実録ものが頻出してて、知らなかった歴史を垣間見るのが興味深い所。昨年「連ちゃんパパ」が予期せぬリバイバルとなったありま猛あだち勉物語」なども面白い。
しかし別のニュースで作者が「静かなるドン」の新田たつおの細君だと判明したのには驚いた。

3. 古賀亮一×山田J太エコエコアザラクREBORN」(1)

70年代少年チャンピオン黄金期を支えた、古賀亮一のホラー漫画「エコエコアザラク」を「JKハルは異世界で娼婦になった」のコミカライズを手掛ける山田J太が現代に蘇らせた作品。原作のおどろおどろしい絵柄に対して、極めてスタイリッシュな絵が魅力的だが、本巻収録の美術教師のエピソードで描かれる人間心理の表裏など、物語の方も見応えあり。主人公、黒井ミサのゴシックな魅力を存分描き出してる点では今後が楽しみな作品だ。

4. オノナツメ「BADON」(2)

作者の「ACCA13区監察課」と舞台設定を同じくする作品、タイトルもACCAの首都バードンから。「ACCA13区監察課」は基本的に政府組織内の駆け引きをメインとしたサスペンスだったが、今回は賭博の街ヤッカラ出身の前科持ちの男たち4人が共同経営の煙草屋(規制の厳しい高級嗜好品として流通している設定)を始めるという出だし。背景に陰のある元・悪党たちと煙草を軸に繰り広げられるサスペンスをじっくりと描いていくのが魅力的。シックな海外ドラマ的センスの光る作品だけど、2巻はそういった趣の強い上質のサスペンスとして単巻としても面白く仕上がった内容。TV局のドラマ制作に端を発する殺人事件の顛末が描かれていく中、そこに流れる男仲間の不和と後ろめたい感情に元悪党たちは何を見るか。肩筋張った話運びにならず、仄暗くも穏やかに包み込む作者の筆致に唸った。

5. 松浦だるま「太陽と月の鋼」(1)

「累ーかさねー」で女の美醜にまつわる話を舞台演劇に絡めたサスペンスとして描いた作者が、江戸時代の天保年間を舞台に武家社会で居場所の見出せない男を描く伝奇SF時代劇。刀を握れない下級武士にまとわりつく出自の呪いに、親子の呪い。「~であらなければならない」という苛烈な強迫観念によって生きる道筋や術が見つけられずに追い込まれる男の前に現れた一人の女性。その出会いが男を束縛から解き放ち、自らの存在価値を認められるようになるが──。 短期連載の「今/渦子 往く琥珀色のはて」を経て、送り出された新作はこう来たかと膝を打つものだった。翻って、男性にまとわりつく呪縛を解く物語を時代劇にして描くという作者の捻りが利いていて、現代的なフィクションの筆致として響くものになっているのはお見事という他ない。物語の引きも強く先が気になる所。

6. 近藤聡乃「A子さんの恋人」(6)(7)

漫画家のA子さんが二人の男性の間で行ったり来たりする物語。ラブストーリーというか、男女間の異性関係への捉え方の違いをさりげなく、そして深く抉った作品だと思う。私小説的な内容でもあるけど、どっちかというとこれは男性に読んでもらいたい作品。男性の思ってる事と女性が思ってる事が同じなんてわけはなく、結ばれるという事を引いて考えると、お互いの足りない部分を補える関係が最良である、と言葉で書いてしまえばなんてことないかもしれないけど、そこにメリットデメリットがあってデメリットが上回れば、無理になるのは当たり前で「本当にそこの所、分かってるの?」と突き詰められる作品かなあ。総じて人間関係の話ですね。

A子さんの恋人 6巻 (HARTA COMIX)

A子さんの恋人 6巻 (HARTA COMIX)

A子さんの恋人 7巻 (HARTA COMIX)

A子さんの恋人 7巻 (HARTA COMIX)

7. 小川麻衣子「てのひら創世記」(2)

という「A子さんの恋人」のテーマ軸をよりもっとセカイ系ジュブナイルSFに寄せて、ラブコメ度を高めた作品が「てのひら創世記」と言っても過言ではない。その他、80年代末~90年代初頭の漫画・アニメの諸作のオマージュも引用しながら、中国雑技団的なバランス感覚で取っているのが頭おかしいわけですが(褒め言葉)。男女が陰陽であるという提示から、陰と陽の男女カップルの構図が浮き彫りになって、世界の命運を左右する攻防が胎動する、昨今、ヘテロ(異性間)カップリングを描く事こそ繊細な匙加減を要する時代になってきているけど、それでも結ばれる価値を描こうとしている作品は貴重だなあと思う。

8. 眉月じゅん「九龍ジェネリックロマンス」(1)


恋は雨上がりのように」の作者が次の一手に打ったのが「欠落したノスタルジーがまとわりつくディストピアSFラブストーリー」というのも攻めているなと思う。この欠落感に恋愛感情を散りばめると、それは「初恋」のように手の届かないイタチごっこでもあり。男女双方に「こびりついて忘れられない感情」に囚われていけばいくほど、見えなかった真実に近づいていくのはとてもサスペンスフルではないかと。どこまで作者が計算しているかは分からないが、隔週連載にペースを落としてまで作品構成を練っていることが伺える力作という印象が強い一作。

9. LEN[Aー7]「ラブスコア」(1)

こちらも恋愛を絡めたSFストーリー。AIのシミュレートによって、実際付き合った際の相性をも評価してしまう恋愛アプリが大流行している世界。この漫画が面白いのは、「~との相性はn%です」というシミュレート結果に至る「行間」を仮想現実として読者に提示して読ませるという所。アプリの利用者である主人公には算出結果であるパーセンテージしか見えていないけど、読者はその算出「過程」が見えている仕掛けが上手い。主人公にはどこがどう起因してその算出結果になっているかは見えないが、読者はアプリの出す算出結果が本当に正しいのかという観点を必然的に持ってしまう。AIの結果が全てではないが生物の生存戦略が現代的な文明の利器に左右される危うさを面白い角度で描いている作品じゃないかと。

10. 伊藤伸平「地球侵略少女アスカ」(3)


2020年は新型コロナウィルスの世界的な大流行によって、各国経済が大打撃を食らったのも記憶に新しい所だけどこのコロナ禍によって様々なものの在り方も色々と一変せざるを得ない状況にまで追い込まれていった印象の一年だったかと。同時にこのコロナ禍をフィクションの中にどのように落とし込んでいくのか、今後の課題になっていきそうにも思えるが、「地球侵略少女アスカ」の最終巻はそういったコロナ禍によって生み出された世情をいち早く漫画の中に落とし込めた一例だと思う。コロナの文字は一つも出てこないが、パンデミックで社会にパニックになるエピソードや最終決戦での日本政府の緊急事態宣言の発令のくだりなど2020年という時代の不穏さをシニカルに活写し、当世風SFコメディ(時折シリアス)に仕立てていたのは上手かった。

11. ジョージ朝倉ダンス・ダンス・ダンスール」(16)(17)(18)

ここ2、3年のジョージ朝倉はずっと確変状態でヤバいですね……!20年に出た新刊は全てYAGP(ユース・アメリカ・グランプリ)編でもうほんとに全編全ページ面白い。いや、連載が始まった当初に思い描いていたパッショネートな展開がまさに展開されてて打ち震えっぱなし、雑誌連載で読んでいても熱量が物凄いし、単行本になるとそれが波状攻撃でくるからもうどうしようもないですね。こういうのを待ち望んでいたし、それがちゃんとやって来たことの喜びは筆舌に尽くしがたいですね。もう読んで下さいとしか。

12. Cuvie「絢爛たるグランドセーヌ」(16)

ダンス・ダンス・ダンスール」と同じくバレエダンス漫画ですが、こちらは先の作品と比べると理知的な筆致、いやけして「ダンス・ダンス・ダンスール」が頭悪いと言ってるわけではないですが。こちらの方がよりスポーツアスリートのようなストイックさを兼ね備えた内容。こちらはYAGPを通過して、1年間のバレエ留学編。ここに来て、寄宿舎ものの百合展開に入って来るとは思ってもなかったんですが、言葉や習慣の壁を乗り越えながらも、目指すべき場所へ切磋琢磨していく少女たちの姿はまさしく正統派の青春スポーツ作品として「ダンス・ダンス・ダンスール」とは一線を画すものと言えるでしょう。同じバレエでもこうも描き方が違うかと、より一層楽しめるかと。

13. 勝田文風太郎不戦日記」(2)

そしてこれもまた青春。
魔界転生」「甲賀忍法帖」などの小説家、山田風太郎の「戦中派不戦日記」の漫画化。第二次世界大戦末期に東大医学部の学生だった山田風太郎の昭和20年の一年が描かれた作品は、2020年の現代にも卑近しうる内容になったのではなろうか。コロナ禍によって、大学に通えずオンラインで授業をする現代の大学生と、空襲の恐怖や終わりの見えない戦争への焦燥感を持ちながら、医者になる勉強を積む風太郎たちの姿は重なって見えるし、原因は違えども、日本経済が困窮する中で生き抜こうとする様子も現在とダブって見えてしまう箇所がそここにうかがえる。違う所と言えば、風太郎は「日本が戦争に負けるはずない」という当時の青年たちなら持っていただろうありふれた感情を持っていたことだ。それが2巻の最後のエピソードで崩れ去る様はなんとも言い難い。当時の青年が受けた衝撃と喪失感が見事に伝わってくるカラー原稿の見開きは雑誌掲載時に読んだ時に相当なインパクトを思って受け止めた。日本の近代史の中でも極めて特異な1年間を過ごした人物の青春は今の人々にも共感を持てるものだろうし、なおかつ現代に響く描きがそこにあると思う。今読まれるべきマンガだ。

風太郎不戦日記(2) (モーニング KC)

風太郎不戦日記(2) (モーニング KC)

  • 作者:勝田 文
  • 発売日: 2020/10/23
  • メディア: コミック

14. 雨隠ギド「おとなりに銀河」(1)

とりあえず第4話ラスト7ページに死んだことをご報告しておきます。
久々に好きな感触・造形のヒロインに出会えたので、善きかな善きかな。
なんだかんだキャラが好きだとラブコメは一気に楽しくなりますね。

15. 浅月のりと「ぜんぶきみの性」(1)

これも大好きですね、ラブコメとして。
もうキャラの相関図が色々グッチャグチャで楽しいという感情しか出てこない。
またヒロインが良いんですよ、これも。
騙されたと思って読んでいただきたい。
ラストの2作は久々に自分の嗜好に刺さるものが来たなという印象です。

選外作品

安藤ゆき「地図にない場所」(1)
ハナツカシオリ「焼いてるふたり」(1)
大和田秀樹角栄に花束を」(1)
宮崎周平「僕とロボコ」(1)
縁山「家庭教師(ガヴァネス)なずなさん」(1)


《終わりに代えて~2020年総括~》

2020年はあらゆるものの「呪い」が目に見える形で取り巻いていったという気がする。その発端がコロナ禍であることは言うまでもないが。ここ5年近く、TVアニメ話数10選の末尾にその年の総括的な事を書き連ねてきたがやはり今の状況は2016年から恐らく地続きであり、ひたすら悪い方向に向かっていったという他ないのではなかろうか、と思う事すらある。「呪い」はありとあらゆるところに点在し、ありとあらゆるものに絡みつき、染み付いている。今までそれに気づかないでいた、目を背けていた、なんでもいいがそれらが白日の下に晒された一年、だったのだろう。
古いものが新しいものに新陳代謝していくのは誰もが知る当然の摂理ではある。しかし、その「古いもの」が慣習として、新しいものに切り替わる時の弊害となる。もちろん新しいものばかりが良いものでもないことは百も承知であるが、こと日本においては旧態依然としたもの(それは慣習、価値観、体制、なんでも当てはまる)が「呪い」となって新陳代謝を阻んで行く。「呪い」は人の心も縛るが、組織や社会をも束縛してしまう。そうして国家全体に蔓延すれば、身動きが取れなくなってしまうのも、火を見るよりも明らかと言えるだろう。
「呪い」は解かなければならない。16年に「歴史の分水嶺」に入ったと語ったが、なにかを変えるためには様々なものが変わらないとならないのだ。出る杭は打たれるなどとはもはや言ってられない。そうやって束縛してくる「呪い」を社会は、個人は、自ら解き放っていくべきなのだ。どんなに小さなことからでも構わない。一人一人の人間がなにかしらの「呪い」を持った状態であるとするならば、まずはそこからだ。こんがらかりきった糸くずのようにこの国の「呪い」は骨の髄までこびりついてしまっている。今の進んでいるのかどうかすらも分からない微速前進の体をした「停滞」から抜け出さなければ、先はおそらくない。コロナ禍の状況でにっちもさっちもいかないのはもちろんだが、ひとりひとりが出来ることから何かに結び付けていけば、どうにかなるかもしれない。そこに希望を託す以外ないのだろう。
「呪い」を解き放つために。ここが「はじまり」だ。やれることをどうにかこなしていきたい。