斉木久美子『かげきしょうじょ!!』~ポスト『少女革命ウテナ』・『トップをねらえ2!』の物語~

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なんというか。
急に話題になってしまったので、遅きに失してるかもしれないけど、自分で書きたいことは先んじて書いておく。


先日、一作の漫画がTwitterのTL上でにわかに話題になった。
その名を『かげきしょうじょ!!』(作:斉木久美子)
宝塚歌劇宝塚音楽学校をモチーフに、トップスターを目指して入学してきた「歌劇少女」たちの青春の日々を描いた長編作品。


筆者は4年前、ちょうど「!!」(※あとで後述)の1巻が出た際に思いがけず表紙買いをして、のめり込んで以来、どっぷりと掲載誌である月刊メロディを定期購読して、最新話まで追っかける&作者、斉木久美子先生の全作品を購入するまでに至ってるわけですが、まあそれはともかく。
個人的に言わせてもらえば、漫画の面白さとしてはここ5年間の中でも不動のトップを走り続けている作品なので、今頃話題になっているのが不思議なくらいですよ。まあ、あんまりにも面白すぎて、筆者としては「人には知られたくない」と思いましたし、むしろ周囲に振り回されずに作品を描き切って欲しいなとも感じてたので、今までわざわざ声高に言ってこなかったんですけど、話題になってしまったのだから仕方ない。


筆者が「かげきしょうじょ!!」で語りたいことは記事タイトルにも書いたとおりです。
ついに現れたとも過言ではない、ポスト「ウテナ」「トップ2」作品であることです。このポストウテナ、ポストトップ2の意味するところは、翻って幾原邦彦監督、脚本家の榎戸洋司さんを意識するところであるのですが、個人的には近年の両氏の手掛けた作品には満足がいってない、というか時代の役目を終えて、作風の熟成があってもいいはずなのにそこで足踏みしてるという悩ましい状況が続いているように感じていた矢先に、この「かげきしょうじょ!!」が両氏の描いたものの先を描いてくれていて、これがあったからこそ個人的には近年の創作を楽しめた、という感じの作品です。一昨年から現在もなお筆者が追いかけ続けている、アニメと舞台演劇のメディアミックス作品「少女☆歌劇レヴュースタァライトとは同工異曲といいますか、むしろ同作品を内包して物語の筆致的にはさらに上を行った作品でもあるのです。


というかですね、「かげきしょうじょ!!」読んでいると、



と、思ってしまう箇所があちこちに出てくるのですよ…!!
本当にそうかはわかりませんが、かなり端々にその影響があるように思うのですよ。そもそも「宝塚」だし? だから知っている人が読むと、幾原・榎戸成分をオマージュとしてふんだんに溶け込ませている上で、なおかつ「かげきしょうじょ!!」という作品へと昇華しているのが本当に凄まじい。なにが凄いかって、単行本でまとめて読んでも十二分に面白いんですが、最新話を読む度にこちらの期待をさらに上回る出来を繰り出してきてて、真面目にヤバい。例えると今のところ打席に立てば、必ずホームランを打っている状態、株価で言えば毎回最高値を更新してるストップ高、昇り調子が止まらない感じ、読んでいて圧倒的な感謝しか出てこない作品です。


もうここまで話題に上がってしまっている以上、注目されてしまうのは致し方ないので個人的にこの作品に感じていることをざっと書いてしまって、作品紹介とともにその面白さを感じていただければな、と。


ここから先、ネタバレに近い話をバシバシ飛ばすので、それが気になる人は原作を読んでからご閲覧ください。前述したように幾原・榎戸作品が好きな人には漏れなくぶっ刺さる作品なので、それらが好きな方には損をさせない作品だということは筆者が保証いたします。 


なお以下より、「かげきしょうじょ!!」の画像は全て、単行本及び雑誌掲載時の切り抜きより引用しています。




まず主要な人物紹介から。この物語は二人の少女が主人公です。


一人は奈良田愛
人気女優の娘にして、元JPX(作品におけるAKBグループ)の人気アイドル。とある事情により男性不信に陥っており、男性から距離をおきたいがために「紅華歌劇音楽学校」に入学をする。人見知りで友達との付き合い方も分からない子。


そしてもう一人はこちら。


渡辺さらさ
男性並みの身長(178cm)を持つ少女。東京下町の出身で祖父と二人暮しだったが、幼いころから憧れていた「紅華歌劇団」で「ベルサイユのばら」のオスカルを演じる(=トップスターになること)のが亡き祖母との夢。ダンス・勉強は未熟だが演技の素質は天性のものを持つ。溌剌としててちょっぴりオタクな性格。実は彼女の出自は……?


愛とさらさ、この二人の少女が「紅華歌劇音楽学校」でクラスメートたちと切磋琢磨して、「紅華歌劇団」入団を目指すのが今のところの物語です。さて、この身長差のある二人の構図、気を許した人間としか喋らない、内向きな気質で実力のある少女と秘めたポテンシャルと天性の素質は一級品な少女の対比というのは、嫌が応にもこの作品を連想せざるを得ないです。



04年から06年までOVAシリーズ展開されたトップをねらえ2!』(監督:鶴巻和哉、脚本:榎戸洋司、製作:GAINAXの主人公、ラルク(左)とノノ(中央)です。作品をかいつまんで説明すると、GAINAXの代表作とも言えるOVAシリーズ「トップをねらえ!」の続編で、太陽系にはびこる宇宙怪獣を倒すためにバスターマシン(ロボ)に乗って戦う宇宙パイロット、通称トップレスたちの戦いを描いたSF作品です。作中において、ラルクはそのトップレスの中でも最高の成績を残すパイロットであり、ノノはある志と憧れを持ってトップレスになるために上京してきた少女。


トップをねらえ2!』(以下『トップ2』)の物語の仔細を語ると、かなり膨大な文章になってしまうので割愛。が、「かげきしょうじょ!!」の愛とさらさの構図や物語は、『トップ2』のラルクとノノのパーソナリティや背景をかなりオマージュしたものとなっているのが特徴といいましょうか。『トップ2』のラルクとノノの構図はそのまま「トップをねらえ!」のアマノ・カズミとタカヤ・ノリコの関係性であり、ひいては彼女たちとバスターマシンの関係性と結びついています。「トップをねらえ!」ではあまり顕著ではありませんが、「トップ2」においては「思春期から大人へ」というテーマへの投げかけが大きくクローズアップされています。翻ってそれは「青春を拗らせてはいけない」という作品的な主張でもあると思うのですが、作品で繰り広げられるラルクとノノの関係性はまさにその「大人になるまで通過する青春の発露」であり、おそらくそれは「かげきしょうじょ!!」の愛とさらさの関係にも重なってくる部分だと思うんですよね。
気になった方はこれら作品の本編をご覧いただければと思いますが、言ってしまえばラルクとノノが同級生として学校に通い、寮のルームメイトとして友情を育みながら、切磋琢磨している」作品「かげきしょうじょ!!」なのです。「トップ2」を見ている人ならば、この文面に感極まる人も少なくないかと思うのですが、いかがでしょうか。


もちろんオマージュをそのまま出すのではなく、「かげきしょうじょ!!」の作品の肉付けとして、愛とさらさの出会いから入学、人間関係の諍いなどがあって、その上で友情を結ぶあたりまでを丹念に描いています。その辺りは漫画といいますか、時間的な尺のあるアニメに対してページ数制限のみしかない、本媒体の物語の利点である所でしょう。ちなみにこの物語は基本的に愛を語り手にして進行していきます。さらさを眺める愛という構図も、ノノを眺めていくラルクの構図と重なるものがあります。


ちなみに愛とさらさの出会いから友情を築くまでは、現在白泉社の月刊メロディで連載中の「かげきしょうじょ!!」の前日譚で、ジャンプ改で連載された「かげきしょうじょ」(現在は「シーズンゼロ」として刊行中)の内容です。白泉社版の1巻から読むと物語の途中から読むことになるので注意を。


かげきしょうじょ!! シーズンゼロ (花とゆめCOMICS)

かげきしょうじょ!! シーズンゼロ (花とゆめCOMICS)


さらにこの作品が「宝塚歌劇」と「宝塚音楽学校」をモチーフにとっているという辺りから、同様に「宝塚歌劇」や演劇をモチーフにとった少女革命ウテナ』(97年作。監督:幾原邦彦、シリーズ構成:榎戸洋司、制作:J.C.STAFF(以下、『ウテナ』)も見出すことができるでしょう。



こちらも物語の全容を語るとなるといくら語っても尽きないのですが、ざっくり一口に語ってしまえば「『学園』というモラトリアムの中で青春を過ごす少女(と少年)たちが自らの苦悩や在り方を革命し、モラトリアムの檻から踏み出せるようになる物語」です。もっと言ってしまえば、「青春という色濃い時期の物語をドラスティックに演劇化した物語」とも言えるでしょう。


「かげきしょうじょ!!」は「ウテナ」のように隠喩を散りばめて、ドラスティックに展開する物語ではないですが、「ウテナ」が作品テーマを語る上で使用したに過ぎない「演劇」というモチーフが反対に主題に来ている作品であり、その「宝塚歌劇(作中では紅華歌劇)」を軸に青春というモラトリアムを費やし、その先の「演劇人」としての在り方を見出す、という物語でもあるのです。「ウテナ」はダイレクトに「青春」という不安定で曖昧なモラトリアムの蠢動を表現した作品でもあると思うのですが、「かげきしょうじょ!!」は「青春」という時期を通過すると、職としては特殊ですが「社会人」としての道筋が待っている、というのが「ウテナ」とは大きく異なる部分だろうと思います。「ウテナ」は「青春」を描くのに終始しているためか、その先が描かれているわけでもないし、幾原監督の後年の作品においても、「時代背景にまつわる青春」というものは描くけどその先を描くことはないんですよね。「若い人たちへのイニシエーションでありたい」という意識には頷くのだけど、なかなか難しいものがあります。全てを全て、創作が提示する必要はないのですけども。ちょっと話が逸れました。



何が言いたいのかというと、「かげきしょうじょ!!」では社会と自分の立ち位置を向き合った上で「紅華歌劇」というモチーフに対して、登場人物おのおのが苦悩し、試行錯誤して、自らを「社会」や「紅華歌劇」に刷り合わせていくし、同時に切磋琢磨していくという所に物語として現代性と普遍性を感じるわけです。「青春」を描きながらも、その先の「社会に生きる自己」というものを見つけ出す点においては、「トップ2」や「ウテナ」、ひいては幾原・榎戸両氏の描いたものから、一歩先に進めたものではないかと勝手に思っています。ちなみに先ほど「かげきしょうじょ!!」とは同工異曲の作品と評した「少女☆歌劇レヴュースタァライトは「かげきしょうじょ!!」と「トップ2」「ウテナ」の中間点のような作品で、こちらは「舞台少女」たちが「トップスタァ」を目指して、その感情をぶつけ合ったり、切磋琢磨しあうという所に特化していて、「青春」という時期に寄り添っている印象はありますね。そこをアニメだけではなく、生身のキャスト(声優)さんたちが舞台で演じるという所に強い特徴があるわけですが。


そんな観点で見ていくと、「かげきしょうじょ!!」は違和感なく主に「トップ2」のオマージュが物語の中に溶け込んでいて、それこそ物語展開のキーとなっている部分が結構散見されるのですよね、そんな中で一部ご紹介したく思います。



まずはここ。「紅華歌劇音楽学校」へ入学する前のガイダンスの一場面。さらさが予科生(同級生)や見学に来た本科生(上級生)や教師の面前で高らか(というより、発言した意味の重さを解さず事も無げ)に「オスカル(=トップ)になる」になることを宣言する下り。「トップ2」でも、根拠なく自信たっぷりにノノが「ノノリリ(≒トップレス)になる」という下りがありますが、それを踏襲しているふうにも見えますね。


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さらさにトップスターのきらめきを垣間見る愛の図。これは「トップ2」のなにかしらを直接オマージュしたわけではないのですが、「トップ2」の4話以降、色んな意味で「遠い存在」になってしまったノノを見つめるラルクの視点として、二次創作的に見るとなかなか趣深い場面でもあるかと、もちろん「かげきしょうじょ!!」的な味付けがしてあって、ラルク嫉妬にも似た感情をノノにぶつけるけど、愛はさらさに対して憧れというかリスペクトの感情を持ちつつ、自分もその高みに上って行きたいと感じる場面でもあります。なんというか「星屑涙」の歌詞や「多元宇宙内 時空検閲官の部屋」を想起してしまうようなシーンでもありますね。そう考えてしまうと、さらさは「特異点」っぽくもあるわけですが…。



上のシーンとこの愛がクラスメートに「トップをめざす」と宣言するシーンは「シーズンゼロ」のものですが、この辺も「トップ2」3話の木星急行の対策作戦会議辺りのオマージュかなあと感じてます。あの場面ではラルクの味方はいませんでしたが、この場面の愛にはさらさという友人がいて、男性から逃げる口実に入学したにすぎない彼女が、先のさらさの姿にも触発されて、「トップをめざす」という目的意識を持つというシーンなのは「トップ2」という作品を知っているのと知らないのでは、割と意味合いが大きく変わってくるものではないかと。




このシーンもオマージュに捻りが入った上に、「かげきしょうじょ!!」として一歩先を進んだシーン。オマージュしてるのは「トップ2」4話Bパートに挿入される、ラルクとノノがヒバリなどのスライドフィルムを見ているシーン。ラルクが地球で撮った鳥のスライドをノノに見せながら、思い出を語る場面でそれを見てはしゃぐノノに「見たいなら、一緒に見に来ればいい」と地球の実家に誘う箇所。「トップ2」では実際にそれが叶うことはなかったのだけど、「かげきしょうじょ!」ではさらさが習っていた「歌舞伎」に置き換えて、ひょんな事から「助六」の舞台に上がることになったことを語るという形に置き換わっています。そしてそれを受けて愛が「私を歌舞伎に連れて行って」とお願いしてる。「見てきたもの」を思い出とともに語るのがさらさ(ノノ)になっていて、それを見に行きたいというのが愛(ラルク)になっている上、実際に観劇に行ってしまうという織り込ませ方が凄まじい。しかもこの会話が行われている場所がさらさの実家というのも、また。



これも。注目して欲しいのが大ゴマの台詞ではなく、その下のコマの「出ました!小学生学級会発言!」の方。「トップ2」3話の木星急行作戦ミーティングのシーンで、作戦参加するために集合したトップレスたちの一人、グルカがラルクに向けて言い放った「出ました!優等生発言」のオマージュ。



あと極めつけはこれですね。入学した後の自己紹介の1シーン。さらさが「ガイナ立ち」してて、さらに飼っているの名前が「のの」という。これでどうして疑うなというんだよ…。意識無意識どちらにせよ、かなり「トップ2」に影響されているよなと思うのが筆者の見解です。

※8/25追記
よく考えたら、さらさの家族構成(現在は祖父とさらさの二人のみ。祖母は幼い頃に他界。母親(さらさの出産時に死別したものと思われる)についてはいまだ詳細不明)は、「トップ2」のノノと師匠(宇宙でノノ(アンドロイドという設定)を発見した科学者。を飼っている)なんですよね。ノノはアンドロイドという性質上、「記憶を蓄積する者」としての側面もあるわけですが、「かげきしょうじょ!!」のさらさはノノと違って人間である以上、「記憶を蓄積する」という肉付けが彼女の出自と「歌舞伎」(※後述します)にかかっているという、創作的な設定の「変換」が非常に巧みですね。


無論これらは、パクリだというつもりは毛頭なく、作品においてオマージュと成立している上に、物語進行上の描写として非常に巧く丹念に落とし込まれているので、「トップ2」を見ていなくとも、作品描写として破綻のないどころか、きっちりと盛り上がるものだったり、感銘を受ける場面として演出されているのに舌を巻くほかないのですよ。だから「貴様!見ているなッ!!」としか言いようがない。いや、確認は取ったわけではない(取れるわけもない)んですが、気付いた人には唸らざるを得ない描写なのは間違いないかと。


ここまで愛とさらさの関係性だけに話を終始してきましたが、「かげきしょうじょ!!」の恐ろしい所は、サブキャラのエピソードも外れがまったくないんですよ…!! それこそ「シーズンゼロ」の時から。



さらさたちのクラスメートの初登場シーン。ここに出ている面々はこの後ほぼすべて本編ないし、「かげきしょうじょ!!」3巻より挿入されるスピンオフ番外編でピックアップされます。これらも本編を読んで確認していただきたいですが、こちらもいくつか紹介してみます。





先ほどの愛の「トップをめざす」発言をする中で席をたって、その場を去るという動きで2コマだけ登場している黒髪の子、山田さん。この子がサブキャラエピソードの先陣を切った子です。初登場シーンだと一番下にいる子。少しぽっちゃり体質で周りに引け目を感じてしまっている子なんですが、この子にもちゃんと才能があるというエピソード。この子がずいぶん先のエピソードになりますが以下のような見せ場があります。もちろん、先の画像に続くエピソードもむちゃくちゃ良い話なんですが、変化という点では以下の画像でしょうね。



彼女には「歌」という他の誰よりも勝るに劣らない才があって、それが発揮されている場面です。他にも彼女の歌を使った時間経過の演出とかも非常に巧くて、唸ります。このように、各キャラの持つ問題点や苦悩をきっちりと捉えて描き、カタルシスを演出して、成長を描けるのは斉木先生の大きな強みではないかと。



初のスピンオフ番外編となった、星野薫のエピソードは言ってみれば「トップ2」3話のチコ・サイエンスのエピソードを地で行くもの。お話的には作品の前日譚っぽくもあるけど、彼女が一番女の子らしい青春エピソードをしているのが興味深い。




「紅華女子」になるための努力を惜しまない星野さんと、プロ野球選手の兄を持ち、何かと引け目を感じる高校球児のひと夏のエピソード。ってよく考えたら、相手役の高校球児のエピソード、「トップ2」の監督脚本コンビの前作OVAシリーズ「フリクリ」の主人公、ナンダバ・ナオ太の境遇そのままだな。そう考えると「トップ2」のチコのエピソードとフリクリのナオ太のエピソードをミックスして纏め上げてるんだな。どちらにしろ星野さんが可愛く思えるエピソードですよ。



続いては沢田千秋・千夏姉妹。双子キャラで榎戸洋司オマージュといえば、いやがおうにも「榎戸双子メソッド」ですよ!!ウテナでいえば薫幹・梢兄妹、榎戸さんの脚本を担当した桜蘭高校ホスト部常陸院光・薫兄弟、変則な所ではSTAR DRIVER 輝きのタクトヨウ・マリノ・ミズノ姉妹といった風に、榎戸さんが関わった作品ではなにかと双子というモチーフにドラマを重ねてくるわけですが、「かげきしょうじょ!!」の沢田姉妹は完全に「双子メソッド」オマージュエピソードです。





一番近いのは「ホスト部」の常陸院兄弟のエピソード。「双子だからすべて一緒が良い」から「双子だからこそ違っても良い」という風に変化していくドラマが描かれていきます。しかもその真理をさらさが見事に言われてしまっているのも非常にポイントが高い。



そして、先輩キャラのエピソードも。愛を指導する本科生、野島聖。最近、話題になった際も読んだ者たちから彼女の名を聞かなかったことはないほどのインパクトがあるキャラです。作中においては、この作品ほぼ唯一といっていい、憎まれ役ポジションの歯に衣を着せぬ嫌味なキャラなんですがこのキャラを主役にして、一本スピンオフ描いてしまうんだから、恐ろしい。



キャラクター的には、「ウテナ」の「有栖川樹璃の志を持った」高槻枝織といえばお分かりになるでしょうか…? 彼女たちがどういうキャラであるかを知っているのならば、野島聖の危うさやヤバさがお分かりになるかと思います。




周囲に何を言われようとも「好き」という事を貫き通し、成し遂げていくさまはまさしくダークヒーローの佇まいであり、野島聖というキャラクターを一気に立たせてしまったといっても過言ではないかと。いや「シーズンゼロ」から登場しているキャラですし、何かしらの含みがあっての役回りだったのも確かなので、スピンオフが来た時のそのへヴィな読み味と得も言えぬ複雑な読後感は完全に斉木先生の手のひらで踊らされているような感覚を味わいましたよ、マジで。しかもさらにもう一波あるんだから、恐ろしいとしか。




たぶん、最近になって「かげきしょうじょ!!」読み出した人にとって、衝撃なのは最新7巻収録のさらさの指導役を勤める本科生、中山リサのスピンオフでしょうか。あえて内容は申しませんし、これについては「まず読め!」としか言えません。個人的にこのスピンオフを雑誌で読んだ時には真面目に変な声が出かけたし、斉木先生がキャラクターの行く末に容赦をかけない人ということが分かって、より作家としての信頼感が爆上げしましたとだけ。



ここまででお分かりのとおり、どこを切り取っても「かげきしょうじょ!!」は面白いんですよ。いや、ホントに。メインもサブもエピソードに隙がないのは、隔月連載だからという事も大きいのかもしれませんが、巧い漫画家さんが練りに練った構成を毎回毎回ぶつけてくるからなのだろうとも思うわけです。この他にも紹介しなかったスピンオフ番外編では紅華歌劇団冬組の男役トップスター、里美星のエピソードやさらさたち予科生の筆頭、杉本紗和(下の画像)のエピソード(こちらは本編内で描かれます)なども見逃せない出来ですね。物語全編において、斉木先生の筆致は冴え渡っており、この調子はいつまで続くのかと読者のこちら側が心配になってしまう所が唯一の悩みかと。それほどに密度の濃い、なおかつ綿密に練られた作品を読んでいる感覚は久しくなかった感じです。



さて、それでは最後に作品の綿密さが分かる部分を語って、本記事は終わりにしたいと思います。




愛が男性不信に陥った直接の原因は、官能ドラマに出演する人気女優の母親の再婚相手にセクハラを受けたこと。この際、普段からネグレクト気味だった母親に助けを求めても、意に介してくれずどうにもならなくなって、ある意味自傷行為の代替として持っていた熊の人形をばらばらにした挙句、自らの髪も切ってしまいます。助けてくれたのは母親の弟の太一(バレエダンサーで紅華歌劇音楽学校でダンスの教師もしている。なおゲイ)で、彼に部屋の鍵をつけてもらい、さらに逃げ場所としての太一の自宅の鍵をもらい、事なきを得た。幼いながらに可愛らしく取り繕っていた仮面をはぎ捨てて。そうして成長していく中で、愛はJPXにスカウトされて、アイドルになるわけだけど、握手会での男性不信からなる超塩対応がネットで炎上して、引退。結果、紅華歌劇音楽学校の試験を受けて、合格といった経緯。



そこで愛はさらさと出会い、様々なことを経て友情を結び、彼女もまた「紅華歌劇団」のトップを目指すことを心に決めます。さらさと同じ舞台に立つために。
さて、その事によって、彼女には変化が起きます。それは非常に何気なく、人間の変化としてもあまり目立つものではない、というよりあまりにも自然な変化で見過ごしがちなものといえばいいのでしょうか。ご覧ください。


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彼女の髪が伸びてきているということを。


そうなんです、母親への不信と男性不信が極まって、可愛らしく女の子らしく取り繕っていた自分と決別したはずの彼女がさらさや他のクラスメートたちと出会って、自分らしさを取り戻していく、という物語が水面下で進行しているんですよね。
なにがすごいのかというと、愛の物語以上にさらさの物語(こちらはより直接的に演者として「舞台に立つ」意味や、役を演じるということといった、演劇ドラマの王道を行くもの)がクローズアップされているからです。



さらさはさらさで白川暁也という次代を担う歌舞伎役者という彼氏がいて、その彼氏とのドラマもかなりページを割いて描かれています。というのも、暁也との繋がりはさらさの出自へと通じており、そこのこと自体が今後の大きな複線(まだ明言はされていないけど事ある毎に、暁也の師匠である白川歌鴎の娘婿、白川煌三郎の娘であるように仄めかされています)でもあるわけですが、これらの大きな物語の流れに、愛の自立の物語が潜むように流れているのは非常に秀逸としか言いようがありません。それでなくとも、1巻で描かれた演技カリキュラムでの愛の演技が今後の更なる布石にもなっているとかも、ホントに恐ろしい構成してると感嘆するしかないほどには一級の漫画作品だと思うところではあります。


※8/25追記
もう一人の主人公、さらさについての話があんまり書けなかった(というか、書いてしまうと話の大筋のネタバレになってしまう)ので少し追記します。さらさについては、上でも書いているように出自が仄めかされていますが、明言されていないのでなかなか難しいところです。が、先に書いた追記でも触れたように、彼女の出自が要因で、幼い頃に日舞や歌舞伎を習っていた事が描かれています。「歌舞伎」は長い歴史の中で推移していた結果、伝統的に女人禁制の舞台芸術です。ですから、さらさがいくらその「歌舞伎」に才覚を見せても、不可逆的に舞台に立てないのです。さらさはある出来事がきっかけで、「歌舞伎」から離れていくわけですが、それが結果的に亡き祖母の好きだった、女性だけの舞台芸術である「紅華歌劇」へと興味が移っていくことになります。



彼女の「オスカル様(=トップ)になりたい」という発言は、彼女が幼い頃に望んだ助六(歌舞伎の演目名であり主役の名前)を演じたい」という事がすり替わったことに端を発してるのだろうと思います。つまりさらさの根底には未だに「歌舞伎を演じたい」という気持ちが残っているということです。それゆえに暁也(※かつて幼いさらさと歌舞伎を習っていた仲)の「繋がり」も持っていたいのでしょう。それゆえに助六を演じたい」は「オスカル(男役)を演じたい」とイコールで結ばれているのです。


「歌舞伎」とは反対に女性だけの「紅華(宝塚)歌劇」では男役も女性が演じること自体は、日本人ならばわりと常識であると思います。しかし、このさらさの「オスカル(=助六)を演じたい」という心持ちはやはりアンビバレント、倒錯的だろうと思います。なぜかといえば、女性が「歌舞伎」を演じたいと思っていても、2019年時点の現代日本においてはそれは許されない行為です。同様に男性が「宝塚(紅華)歌劇」を演じたくても演じられないように。つまり、さらさは「なりたくてもなれない」事を夢に持った少女であるわけですね。「歌舞伎」で助六を演じられなくても、「紅華歌劇」でオスカルを演じることは出来る、という事が彼女にとってのエクスキューズになっているのです。


しかし、この「なりたくてもなれない」事を望んだ少女というのには先例があります。そう、彼女です。



少女革命ウテナ」の主人公、天上ウテナその人です。


彼女も両親と死別し、悲しみに暮れる中で出会ったいわゆる「白馬の王子様」に憧れるあまり、自身も王子様になりたいと考えた少女です。彼女の場合は王子様のように気高くかっこよく生きることを信条としているので、特に男性になりたいというわけではなく、女性という「レッテル」に縛られた生き方をしたくないというところからの「王子様になりたい」であるので、どちらかといえば概念的でもあるのですがそれはそれとして。


「王子様」という信念を持つことは可能であるが、その身も心も「王子様」になるということは不可能です。ウテナは当然ながら女性であるからです。「ウテナ」では物語の終盤でそういった「女性性」と「男性性」の抽象的な拮抗が繰り広げられ、ウテナはその瀬戸際に立たされることとなります。まあ、「ウテナ」について、ここで詳しく語りはしませんが「王子様になりたくてもなれないウテナ」と「助六を演じたくても演じられないさらさ」にはどうしても同質のアンビバレンツを嗅ぎ取ってしまいます。


先ほども語ったように「ウテナ」は非常に抽象的で婉曲的に「青春」を語った作品なので、現実に即した描きの「かげきしょうじょ!!」と比較して語るものではないかもしれませんが、その主役たちが引きずる「倒錯感」については比較して語れると思います。「青春」を演劇的舞台として切り取った「ウテナ」と比べると「かげきしょうじょ!!」は現実的なお話なのでその分のエスキューズがあるのは先ほども話したとおりです。ですから、さらさの「オスカルになりたい」というのは「助六を演じたい」というエクスキューズであり、ひいては「役を演じる」という演劇においての根本的な問題と直結しているのです。


ウテナの「王子様でありたい」というのと、さらさの「オスカル(=助六)になりたい」という事はものすごく翻って考えれば、志の問題であり、生き様の問題でもあります。つまり「自分がどうありたいのか」ということです。ウテナは「王子様」、さらさは「オスカル(であり助六)」に。「なりたい自分」を重ね合わせています。しかし、それは「ウテナ」の影絵少女たちが語るように「それってどうなの~?」という投げ掛けがあるわけです。ウテナは当然ながら、さらさにも同様にそれは降りかかってくるわけですが、彼女はさらに「なりたい自分」に「役を演じるということ」が重なり、ひいては役者として生きるか否かという問いが投げ掛けられるわけです。


この説明に当たっては、2019年8月現在、単行本未収録の画像を以下に使いますのでネタバレにご注意を。




要はさらさと祖父の会話で「俺のことは構わず、お前はお前の人生(舞台)に立て」というものですが、これは一種のアーティスト(クリエイター)論でもあると思います。たとい親の死に目に会えなくとも、アーティスト(この場合は役者ですね)はその歩みを止めてしまってはならないという普遍的な回答だと思うのですが、さらさ自身が内包する倒錯感、問題点はこういった真理へと結びつくものであるように思うのです。同時にこの場面の見立てとしては、祖父が「死者(に近づく者)」でさらさは「生者」でもあるので、そのまま「生きる」ということへのメッセージでもあるのですね。この辺りは幾原監督作である輪るピングドラム「さらざんまい」へも繋がっていくテーマでもあるでしょう。


とまあ、このように。「かげきしょうじょ!!」の二人の主人公、渡辺さらさと奈良田愛はそれぞれが持つテーマが異なっている事がよくわかります。さらさは役者として、ひいては彼女自身の「生き様・在り方」を問われており、愛はもっとダイレクトに「自分らしさ」や「自立」という事がテーマとなっています。


ここまで書けば、ファンの方はお分かりになるかもしれませんが、さらさと愛はそれぞれ幾原監督の描くテーマと榎戸洋司さんが好んで描くテーマをそれぞれ課せられていると見ることが可能なのですね。さらさは幾原的主題である「自分はどのように存在して、どう生きるのか」であり、愛は榎戸的主題である「自分が何者であり、何のために世界に立つのか」という事を。物語の中で捜し求めていくように仕向けられているように筆者は感じています。もちろん斉木先生がそこまで意識しているか、という問題はありますが。少なくともこのニュアンスの違いが重なり合って、「かげきしょうじょ!!」という作品の大きな物語の流れは生まれているということは間違いないかと感じています。というか、これを両立して描けてしまえる筆致が恐ろしいわけですが。

以上、追記終わり。




あと時流の汲み取り方といいますか、切り取り方といいますか、そういうのも巧いというか。先の二枚の画像は直近の最新2話(つまり今年に入ってからのエピソード)のものですが、もうこういった浅草近辺の絵や台詞を繰り出してくる所がもう斉木先生、一生ついていきます感がハンパないわけです。というか、見てますよね…?(何をとは言いませんが


自分の語りたいことは以上です。
突貫とはいえ、今日一日で一万字書いたのは「かげきしょうじょ!!」が大好きだからこそに他なりません。というより、個人的には話題にするつもりはあまりなかったんですが、ここ最近の流れを見てると、いつブレイクしてもおかしくない秒読み段階に入ってしまったからで、一個人が口を噤んでもどうにもならない状況になりつつあるから、です。4年近く追いかけているからこそ、書きたい事は色々あるわけですがとりあえず駆け足ですがやることはやりました。読むに当たっての一助になれば幸いです。
また裏は取れてないので、ここまで語ってきたことに何か確固たる証拠があるのかと言われれば、ないわけですが本編の描写を見ている限り、ここまで物証が多いというか示しが多いと疑りたくなるのも事実です。けど、間違っている場合もあるので、その場合は自分の勘違いだったということでどうかひとつ。
そしてなぜこのタイミングで急いで書いたというのはもうひとつ理由がありまして。今月が月刊メロディの発売月でもあるわけですが、今月売りの号から…。



本科生編のスタートだからです


ついにさらさたちも進級して、「紅華歌劇団」に入団するまでのカリキュラムを受けることになります。後輩も入ってきますし、作品的にも第二部突入というのもあって、今、読み始めた人たちは凄くタイミングがいいですね。ちなみに予科生編完結の第8巻は10月発売のようです。単行本派の人は首を長くして待ちましょう。


とまあ、そんなこんなで記事も終わりです。本科生となったさらさと愛たちがどんなドラマを繰り広げていくのか、首を長くして待ちたいと思います。
それではここまで読んでいただきありがとうございました。