「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#6 そしてふたりは出会った


第6話『ふたりの花道』
香子と双葉回。作中のカップリングの中でも一番分かり易いかつ付き合いの長い二人を描いたエピソードでした。反面、主役の二人が今までで一番出番のなかったわけですが、物語的には大きな動きも。シリーズの折り返し地点ということもあり、後半戦への布石も抜け目なく行われていた印象ですね。次回以降、物語が急展開していきそうですが今回はそんな嵐の前の静けさもあり、ここまでのテーマを集約した展開だったと思います。
www.nicovideo.jp

今回も舞台版の筋も含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホなどで読まれている方はそのままお進みください)




【たぶん約束のために】



今回6話で描かれた『執着』の物語は、この項にも名付けたように「約束」です。思えば、問題を自分の内に抱えていたまひるとまだその内情が描かれていないばななを除くと、華恋とひかりの関係性を語るための補助線として、キャラクターが配置されているように感じます。それぞれに「舞台」(純那)、「少女」(真矢&クロディーヌ)、「約束」(香子&双葉)という風に振り分けられていると考えれば、ここまでの構成も段階を踏んだものとなっているのが分かります。
ただ今回は華恋とひかりが話の主軸にほとんど絡んでこないので、その点ではここまでの総ざらいと香子と双葉を使って、シミュレーションしてるエピソードにも見えました。作中でのカップリングにおいても、一番付き合いの長い二人でありずっと一緒にいた関係でもあるので、その面からも華恋とひかりのifを窺う見立てとしてみることは可能でしょう。



香子と双葉の幼い頃の思い出。というより、今回のエピソードはアバンでの彼女たちのやりとりが全てです。彼女たちの関係はこの当時からさして変化がないのにも注目したいですが、それはさておき。今でも続く香子と双葉の関係はここから始まったのです。
日本舞踊の家元の孫娘である香子とその名取の娘の双葉。おそらく生まれた時からの主従関係といいますか、上下関係が彼女たちの「普通」であったわけですね。もちろんそこまで厳格なものではないですが、双葉は香子を身の回りを世話する役回りを小さい頃からずっとこなしている。アバン冒頭でも稽古から逃げた香子の行動を親よりも早く把握できてしまっているのが、双葉の悲しい所でもあります。



で、香子登場のファーストカットで花を持ってきているのも秀逸なところで。今回のサブタイトルである「ふたりの花道」にも掛かっていますし、香子自身の「象徴」としての「花」でもあります。この直後の双葉との会話で自身を「花」に例えている所からも、そういう自覚もあるし、自信も表れているのが分かります。同時に今回のエピソードを構成する重要な要素のひとつであることも、ここで印象付けていますね。



そして「同ポジション」演出(通称「同ポジ」)。カメラ(構図)を定位置に固定して、被写体の動作をつぶさに捉える事に比重を置いた演出です。分かりやすい所では、涼宮ハルヒの憂鬱」1期8話、または2期28話の「サムデイ イン ザ レインがいい例でしょう。また「未来のミライ」が現在公開中の細田守監督が多用する演出手法のひとつでもあります。6話ではこの手法がことある毎に顔を出します。それは当然のことながら、今回の被写体(メインパーソン)である香子(と双葉)にスポットを当てるためです。
上の画像などは特にそうで、大勢のカメラに囲まれてころころとポーズを変える香子の姿は自らを「花」に例えるほどには容姿の「華やかさ」に自信を持っており、それで注目を浴びることが出来るというナルシスティックな自惚れも同時に表出しているわけですね。この歳にして自分の持ち味を自覚しているのは、強かでもあり怖くもありますがここは展開的にも重要なポイントなので踏まえておきます。香子は自信家であり、こと自分の才覚には自惚れている。この事実が今回の本編で大きく響いてくることになります。まあなにせ、レヴューオーディションでの香子の使用武器は「水仙(いうまでもなくナルシズムの語源になった花)」という薙刀ですから、「名は体を表す」を地で行く武器であることも彼女らしいと言えるでしょう。



この辺りも非常に巧み。香子の背後にいる双葉を横PAN(カメラを固定して水平に「横」へと移動させる撮影技法)して登場させる流れもまた双葉が香子に付かず離れずの関係性にある事を映像で上手く表現していますね。香子が気付かなくても、彼女はきっちりと後を追い続けているという構図もまた今回のエピソードへと結び付く描写です。今回の絵コンテはガイナックス出身で「放課後のプレアデス」などの監督を務めた佐伯昭志さん。映像の中へ情報をコンパクトに詰め込みながらも、動かすところはきっちりと動かすバランスの配分は言わずもがなな技巧を見る思いです。




鴨川の川端で駄菓子パーティなのが子供らしくて微笑ましいですが、ここも同ポジの構図が地味に続きます。構図をある程度、固定することで香子と双葉の関係性を強調して描いているものだと思うのですが、自尊心の強い香子の周りの迷惑を考えない、突拍子もないわがままに上手く手綱を取る双葉。香子は香子で双葉が付いてきてくれると信じての発言だし、双葉は「またろくでもない事を言い出す」といった風にあしらう。二人の人間関係は双方の親の立場が反映されている部分もありますが、そうではない所は幼馴染らしさもあるんですよね。ただお互いの捉え方には温度差があるのも事実です。それを言い表している箇所が、前日譚コミックス「オーバーチュア」に存在します。以下が引用。



香子にとって、双葉は「自分の言う事を聞いてくれる弟子」のようなもの。双葉にとって、香子は「手間のかかる姉妹(=家族)」のようなものであること。彼女たちの間ではっきりと一番身近な他人である人間の捉え方が異なっている。一口に言ってしまえば、6話はこの「認識」の食い違いによって発生したエピソードです。付き合いが長い分、その噛み合わない「認識」の溝を埋めないままでやってきてしまった事が彼女たちの関係にヒビを入れる原因となっていきます。




一方でそんな齟齬を抱えている二人を結び付けているのは「約束」です。双葉に香子の「世界で一番キラめくところを一番初めに見せる」という約束。ここでの会話で双葉は「香子の踊りが好き」とも語っているように、彼女の香子を想う気持ちは「見守る家族」のまなざしでもあり、だからこそ香子の面倒を私は見なければという思いにも駆られている。とどのつまり、お互いに幼い頃からの付き合いであることが拗れて、共依存の関係になっているのが二人の抱える問題点でもあります。
しかし、先ほども触れたように、この共依存の関係性にはそれぞれお互いの認識にズレがあるということ。そのズレについても、上の画像での同ポジで表れていて、香子は一番キラめく所へと辿り着く為に双葉に無条件の応援と世話を自分本位に要求しているのに対して、双葉は連れて行ってやってもいいけどその分の責任は取れよな、と運賃を要求している。彼女たちの「約束」は一種の契約でもあるわけですね。そしてこのアバンタイトルで語られた「契約」に始まり、その「約束」を改めて誓うことで終わるのが今回のエピソードの全てです。初手で提示されたことが最終的に回収されるという点ではお手本のような構成の一話ではないでしょうか。




その構成に従い、OP明け以後は香子と双葉の関係は徐々に攪拌されていきます。まずはタップダンスのレッスン風景ですが、双葉と組んでレッスンしているのはクロディーヌ。彼女のと組み合わせの布石は3話時点で置かれていましたが、ここでスポットを当ててきました。描写としては双葉の努力が実を結んできたという光景なのですが、そこに香子の姿はありません。



3話において双葉とクロディーヌはお互いの胸のうちを明かし、レヴューオーディションを経て、友情を結んだものと思われます。該当話感想でも書いた通り、彼女たちは「実力が自分より上の人間が身近にいる辛さ」を共通項として持つ二人です。クロディーヌも双葉もその困難さを納得した上で、それでもなお追いかけ続ける努力を惜しまない二人といえるでしょう。6話で明らかになったように、双葉は今まで香子の世話をすることに対して、自分が一緒にいる価値を見出していた共依存の関係にありました。しかし聖翔音楽学園に入学し、レヴューオーディションに参加したことで風向きが変わった。脇役だと思ってた自分が主役になれるチャンスがあると気付いたのです。クロディーヌに「香子にしか興味がないと思ってた」と言われるほどだった彼女が「舞台少女」としての自分に目覚めたわけですね。香子の付き人をする以上に、舞台に立てるかもしれないという欲(情熱)の方が勝った、という変化が双葉に起こった。



しかし香子の方は双葉の変化に気付きながらも、あまり興味がない。一方で「最高の存在として常に追われる立場」として香子に同じ匂いを感じている真矢が珍しく話しかけていますが、香子はどこ吹く風であくびする。香子と真矢、双葉とクロディーヌという組み合わせはアニメに先んじて、前日譚コミックス「オーバーチュア」で明らかになっていますね。そして真矢とクロディーヌの関係性がそのまま香子と双葉の上位互換関係になっていることが見えると、今回の内容への理解は深まるのではないかと。



そんなこんなで始まる、第100回聖翔祭公演に向けてのオーディション。一年前とは違ったキャティングやらなにやら、いろいろ試してみたいという舞台創造科の意向も受けて、都合三回のオーディションが行われることに。ばななは3話や5話の描写から「脚本見習い」の立場で参加。オーディションは審査側から参加していることが分かります。香子は意気揚々、自信たっぷりに立ち向かいますが…。



結果は空振り。メインはおろか、サブキャストにすら引っ掛からず選考漏れ。表情の落差が物語るように、香子にとっては予想だにしないショッキングな結果だったといえます。この一回目の選考発表も眺めていくと興味深くて、真矢とクロディーヌ、ひかりはその実力から順当とはいえ、ばななもちゃっかりとオーディションを受けて、見事受かっていますし、まひる、さらには華恋も滑り込みで選ばれています。そして、双葉も同様にオーディションをパスしている。しかし、香子の名前だけがない。



ここも香子のショットになると、ずっと同ポジが続きます。彼女に渦巻く感情、滲み出てくる表情の変化を捉えている。当然、この結果に満足がいかない彼女はその足で舞台創造科にまで足を運びます。



今までどんな劇だって、役をもらっていたし、ましてや選ばれなかったことなんてなかったと訴える香子。しかし舞台創造科の眞井・雨宮の両氏は意に介さず、さらには香子の至ってない所を指摘して、「私たちの求めている舞台には力不足」と一蹴されてしまうほど。場面は切り替わってますが、香子の表情はずっと同ポジで捉えられていて、虚を突かれた瞬間の弱さも容赦なく浮き彫りにされています。



おそらくは自信家の気質が悪影響して、慢心へと繋がった結果であると思いますが、それゆえに香子は自身に原因があると思わず、「(うちを選ばないなら)こっちから願い下げや」と悪態をついて他人に責任転嫁してしまう。双葉の膝枕で駄々をこねる香子は、2回、3回目のオーディション、本番でも不合格だったら、(双葉の)役を譲ってな?とねだるが、双葉の返答はない。



ここで香子は様子がおかしいことにようやく気付きます。「なんでもいうことを聞いてくれるはず」の双葉が何も答えない、という変化。4話での二人の会話もそうでしたが、双葉のタップダンスの上達も含めて、香子は自分の周りで起こっている変化に興味がありません

立てば芍薬 座れば牡丹
眠る姿は月下美人
はんなりとひとひら桜の如し
気品背負って行きましょか〜
〜舞台版劇中歌「プレコール」より香子の部分を歌詞抜粋〜


舞台版で歌われる「プレコール」(自己紹介曲)での香子のパートを読む限りでも、ほぼ自分の「美しさ」についてしか歌っておらず、自己愛の強さが窺えますね。同時に、自らを「花」に例えている事からも分かるように、なにをせずともいるだけで場が華やぐ存在である、というような自惚れすら感じられます。このような自覚があるからこそ、オーディションに選ばれなかった事に腹を立てるわけですね。舞台向きな性格であるのは間違いありませんが、だからこそ他人を顧みていない事が選考から外れた原因でもあるはずです。そこに気付けていない以上、身近な人間の変化にも疎いわけですね。



それだから双葉が隠れて、自分以外の人間と練習を重ねていることもへそを曲げる。というより香子の認識では双葉は「自分の手足」とほほ同様で、自分の一部と思っているからこそ、彼女が勝手な行動をとる事が許しがたい行為に見えるわけですね。もっと言えば、香子にとっては双葉は「自分の所有物」なのでしょう。



しかし、先に語ったように6話冒頭で描かれた事からも双葉にとって見れば、香子は「家族のようなもの」であるからこそ、同い年の「姉妹」という認識なのでしょう。姉妹や家族の「ようなもの」である以上、時には別行動をとったりするのは互いに別個の存在なのだから、当然の行為であるはずです。だからこそ「身近な他人」として、今の香子の不甲斐なさも躊躇なく指摘します。それが「優しさ」でもあると理解しているからこそ。
香子には耳の痛い話であるのに加えて、「自分の一部」に思いがけない反発を食らったとしか受け取れない。双葉の「優しさ」に気付けないどころか、それを「裏切り」だと感じてしまうのですね。



こうなってしまうと二人の仲はさらに拗れてしまい、収拾がつかなくなります。元々お互いの持っていた認識の齟齬も大きく影響して、彼女たちの距離感は恐らくかつてない程、疎遠な状態へと進展してしまいます。




信号機の「」が象徴するようにどん詰まりの関係。双葉にかまってもらえないと、香子は身の回りの事はおろか登校するのも一苦労なほど。文字通り「箸より重いものを持ったことがない」ような状態であることが窺えますし、双葉がいないと人と接することも出来ない(それでもばななが見守っているけども)。香子が双葉以外の人間に対しては、極度の人見知り(なお自分から立ち振る舞って、見られることは問題ない模様)という設定は、前日譚コミックスの「オーバーチュア」で先んじて描かれていますが、人付き合いすらも双葉を介さないと出来ない程度に任せきりだったのがよくわかります。というよりほとんどの事が一人だと何も出来ないというのが、これでもかと駄目押しされていきます。



それだから、香子が「他人」「情熱」「キラめき」を競い合う、レヴューオーディションに挑んでも勝てない理由ははっきりとしています。他人を顧みず、周りにも興味がなく、それにもかかわらず「自己愛」だけは人一倍持っている。つまり自分をどう「舞台」へと生かすかではなく、自分の為に「舞台」が存在していると思い込んでいる事が彼女の自惚れであり、最大の問題であるわけですね。



そんなこんなで仲違いしているにもかかわらず双葉に頼ろうとしてしまうのも、香子を内外から構ってくれる「他人」が双葉以外にいないということでもあり、哀しいかな香子本人も双葉がいてくれるだけでいいと自覚してしまってる辺りに関係性のルーズさがよく表れてしまっているわけですね。



それで香子が双葉に再び構ってもらう為に考えた秘策が、「退学して京都へ戻る」というあまりにもあまりにも稚拙な一芝居を打つという手段に出る他ない事が、彼女の「世界」の狭さを感じてしまうわけですね。それは同時に香子が自己中心的にしか物事を考えていないというのもありますが、そうすることでみんなにも構ってもらえるという旨みも少なからず感じてしまっていて、それが余計に首を絞めていることにも気付けていない。



そういう状況であるのを見るに見かねて、双葉がやってくるわけですが香子は彼女がなんだかんだ言いながら、付いて来てくれると思い込んでいるから、態度は突っぱねるわけです。しかし双葉は「舞台少女」として、香子の世話をする以上に「舞台」への「情熱」が生まれているわけですから、自分からその場を離れていく香子に構う必要がないわけですね。先ほども言ったように、香子は「自分の一部」だから双葉が付いて来てくれて当然だと思っている一方で、双葉には「家族のような他人」であるわけで、香子が自分で選択した事には干渉しないし、その意思を尊重しています。だから香子の思惑は見事に外れてしまう。ここも同ポジで二人を切り取りながらも、アバンの同ポジとは対照的に奥行きの距離感によって、彼女たちにある溝が描き出されているのが巧妙だなあと思います。




双葉の方はというと、彼女の問題は「ここまで来れた事の原因が全て、香子にある」という事。もちろんクロディーヌの言うように双葉は一人の「舞台少女」として、十分才能を発揮できる実力を身につけてきているわけです。しかし、彼女の努力の先にはあの「約束」が間違いなく存在しているのです。幼い頃、交わした「約束」に双葉が縛られている以上、香子がいなくなってしまう事は彼女の重ねてきた努力が矛盾してしまう事になりかねません。香子が言った事を信じて、ここまで来ているわけですから。



「約束」を果たすために香子と双葉は聖翔音楽学園にやってきた。高校の進路を決める時、香子が選択した事は幼い頃より抱え込む責任は大きくなっている。だからこそ双葉は運賃の値上げもしている。しかし、それでも香子が行くと決めた時から、双葉も腹を括った。それなのに。という想いが寝床で渦巻く。香子の方は「いつだって双葉は付いてきてくれた、なのに」という気持ちが渦巻いている。結局、気持ちの渦巻き方は違っていても、その対象はお互いに一致しているところが、彼女たちの関係であるのでしょう。



回想の演舞場で畳の上に寝転ぶ二人の姿。逆さになっているので気付きにくいですがこれを上下反転させると、実はこうなります。以下の画像をご覧ください。



「人」
気付けばあからさますぎる描写でもありますが、とどのつまり彼女たちの関係は「人」の文字がそうであるように「お互いがお互いを支えあっている」関係でなのですよね。香子は双葉がいるからこそ、人並みに過ごせる一方で、双葉は香子がいるからこそ、追うべき夢が見つかった。このような相互補完があって成立している関係なのでどちらか片方が欠けた瞬間、その意義は失われてしまうのですね。双葉はそれに気付いているし、香子は気付いていない。ただそれだけの違いなのです、今回のエピソードは。




その香子の無自覚さは出発の日まで変わることはなく。知ってか知らずか、別れ際に真矢からも「私と同じ匂いを感じていたのに残念」と惜しまれる事にも、なぜそう言われるのか察することが出来ない。生まれついての性格と出自によって「追ってくる者のため、応援してくれる者のため、最高の自分で居続けなければならない使命感」にあまりにも鈍感すぎたのです。



結局、双葉はおろか誰もが香子を引き止めてはくれなかった。当然といえば当然で、本人的には狂言のつもりである一方で真に受けた人たちにとっては、それも「彼女の選択」でしかないから、止める事は出来ない。ましてや「聖翔音楽学園」のような特殊な学校ならば、珍しくない事のはずです。その事にも思い至れない、香子の駅のホームに佇む姿は寂しさがひどく際立ちます。



何故なら、彼女の後ろにはいつも双葉がいたから。それは幼い頃から今に至るまで、香子の通ってきた道に付き添うように、あるいは追いかけてくるようにずっと。ここまで来て、ようやく「今まで歩んできた道は自分ひとりで切り開いてきたもの」ではなかった、という事に気付きます。だからこそ香子は双葉の姿を求めるわけですが、来るわけもなく。



本当は離れるのがいやなのに引っ込みがつかず、ずるずると新幹線のホームまで来てしまった。香子は双葉の姿を求めるが、どこにも見当たらならない。この「茶番劇」の幕を下ろすことも出来ず、どうしたらいいのか判らなくなったその時──。やっと双葉が来てくれた。



けど素直じゃない香子はまだ茶番の演技を続ける。頭では理解しているはずだが、まだ彼女たちの関係の齟齬は残ったままだ。今までの関係から孵化するための通過儀礼として、これまでの想いをぶつけ合う二人。犬も食わぬなんとやらだけど、お互いがお互いを必要だからこそ、これから一緒にいるためには変わらなければならないのです。
……とここまでかなり丹念に二人の関係を見てきましたが、この認識の齟齬はアニメ版で強く表れているものになります。舞台版はもう少し角度が違っていて、香子は誰よりも先に行きたいという上昇志向を持つ自信家で、周りの人間を仲間と認識せず、自分を引き立てる有象無象だと感じる傲慢さを垣間見せています(その分、真矢とはアニメ版以上に重なっている部分も)。一方、双葉はアニメ版より荒っぽい印象で、クロディーヌとも反目しあっている分、香子との関係が強固である事が特徴。反面、舞台への「情熱」が秘めているために、それがレヴューオーディションの時に香子に対して剥き出しになる、といった所でしょうか。


【舞台をつらぬく少女の涙】


前項最後まで語ったように、彼女たちの諍いはそのままレヴューオーディションにまでなだれ込んでいきます。もちろんそれは今までの関係では起こりえなかったこと。そしてその関係に変化が生まれた事の証拠に他ならないわけです。





よりドラスティックに変化したのは双葉。彼女に舞台への情熱が生まれたことによって、二人は今までの関係でいられなくなってしまった。少なくとも香子の面倒を見るだけに自分の価値を見出すことはなくなったからこそ、何も分かっていない、変わっていない香子に苛立ちを覚えるのです。一方で香子は自分に構ってくれなくなった双葉に対してへそを曲げているわけですね。今まではなんだかんだで側にいてくれた彼女が「自分のもの」ではなくなっていくような感覚を味わっている。双葉に起こった変化を受け入れられないでいる事が、香子の甘さ、もっと言ってしまえば幼さでもあると思います。





芸事に関しては常に自分の先を行く香子に、双葉は必死で追いかけていく。側にいる香子のために、彼女の不平不満を取り払い、世話を焼いてきた。それもこれも香子と交わした「約束」の為に。そしてその「約束」があるからこそ、彼女を信じてここまで追いかけてきた。

努力ありきで山は動く
妥協はぜったい許さない!
義理人情はこの胸の内!
力ありき今日も行く!
〜舞台版劇中歌「プレコール」より双葉の部分を歌詞抜粋〜


舞台版の「プレコール」で歌われる一節のように、双葉は義理人情に篤い人間です。そしてなおかつ努力の人でもあり、妥協しない信念の強さもある。だからこそ香子の途方もない「約束」であれ、付き合いの長さや相手をよく見知った上で双葉は「約束」に対して、妥協しなかった。香子が自分を「世界で一番キラめく場所」へと連れて行ってくれると信じているから。
同時にその努力を怠らなかったからこそ、双葉の意識も変わっていく。香子を「ファン」として見届けるのではなく、同じ舞台に立つ者として一番近くで「世界で一番キラめく場所」に立つ姿を見たい。そんな「情熱」が彼女にも目覚めたのです。香子がいつも見ていた双葉の姿はもはやなく、「舞台少女」として花開いた石動双葉が目の前に立つ。



ほかの舞台少女たちも常に「日々進化中」であり、もっと自分を「キラめかせる」ための努力を怠らない。双葉が「舞台少女」としての情熱を目覚めさせたように、現在の立ち位置に安住することなく、常に前を進んでいく。香子は理解していなかった。別れ際、真矢に言われた「追ってくる者のため、応援してくれる者のため、最高の自分で居続けなければならない使命感」を。「最高の自分」であるための努力を香子は自身の自惚れによって怠っていた。そしてそれが双葉との「約束」を裏切っているという事にも彼女は気付いてもいなかったわけで。
香子は双葉が「舞台少女」という花に咲いた事、自分の無自覚さに気付いた事で、オーディションに落ちた理由、双葉がメインキャストに選ばれた理由にようやく気付けたわけです。その上で双葉の方がふさわしいと、自分から身を引こうとして上掛けのボタンに薙刀の刃を入れようとするわけですが……。




止めに来た双葉の上掛けを強かに狙いに行った演技であるというのが香子のいけずな一面。この場面、双葉との信頼関係がないと成立しない場面で、香子が自滅を選ぶのを、双葉は当然引き止めに来るだろうという計算の上で狙ってきているからタチが悪い。けど、これは彼女が双葉を同じ「舞台少女」であると認めたが故の罠でもあるわけですね。二人の「約束」が前提にあって、自分の性格を自覚しているからこそ、双葉を「誘った」。非常に巧妙ですが、これは失敗に終わります。しかし、香子はめげていません。なぜならここまでの展開でようやく双葉が香子を止めに行った事の方が重要だからです。

双葉:や〜っと止めてくれた。おおきに、双葉


実はここ、6話の最重要シーンだったりします。何故かというと舞台版での彼女たちのレヴューとアニメ版のレヴューでは結果がまったくの逆だからです。



アニメ版においては「約束のレヴュー」ですが、舞台版では香子と双葉は「絶望のレヴュー」を演じることになります。仔細は省きますが、アニメ版では失敗したこの騙し討ちが舞台版では成功してしまいます。問題なのはその後の香子の行動。アニメ版では騙し討ちが失敗した事によって、双葉が舞台少女として彼女と同じ立場で向き合える事が嬉しくて、上の引用からも分かるようにいつもの「双葉はん」から「双葉」と呼び捨てになって、絆がより深まった印象を受けます。対して、舞台版はこの逆です。騙まし討ちが成功してしまい、双葉との実力差がはっきりしてしまったが為に、双葉が自分と対等ではないことに気付いてしまって、文字通り「絶望」してしまうわけですね。その結果、香子に双葉が投げかける台詞がまたツラい。どんな台詞かは舞台版をご覧いただければと思います。



さて、話をアニメの方に戻します。今回だけでも紆余曲折あった二人ですが、お互いがお互いを舞台少女として認め合った事でようやく本当の意味で「出会った」のだと思います。どちらかがどちらかに依存するのでなく、互いに対等な立場で「追う者」と「追われる者」として競い合う。そうして切磋琢磨すれば、いずれ二人で「世界で一番キラめく場所」に立つ事ができるはず。




双葉の想いにようやく気付けた香子にも再び情熱の炎が燈った。もう迷いはない。分かれていた道はまた再び一本道になって、二人の花が咲き誇る花道となる。今回は情熱を取り戻した香子に軍配が上がったが、次回はそうとは限らない。二人は舞台少女なのだから。



かつて幼い頃に交わした「約束」は生まれ変わる。それは香子と双葉の関係が「再生産」されたことに他なりません。彼女たちは改めて出会った。幼馴染としてではなく、同じ舞台を目指す舞台少女として。目指すべき道は変わらない。だけど彼女たちも約束も変わった。いや、変わらなければならなかったのです。辿り着くべき場所は果てしないからこそ、彼女たちも約束も日々変わり続ける。その軌跡こそが「ふたりの花道」であるのですから。


【役者は揃った、が……】


さて、Bパートまでは香子と双葉が改めて「舞台少女」として出会ったという結末でこのエピソードの幕は下りましたが。今回は作品全体の折り返し地点をいうこともあり、それだけでは終わらない仕掛けがありました。それが以下のCパート画像です。



レヴューオーディションが行われる地下劇場の舞台に寝転ぶ、ばななこと大場ななの姿。その傍らには昨年の第99回聖翔祭で公演された「スタァライト」の脚本。そしてそこで彼女が呟く、意味深な台詞がリアルタイム視聴者などに物議を醸したはずです。以下に引用します。

今回の再演、どうしちゃったのかなあ
初めてのことばっかり
やっぱり台本どおりじゃなくっちゃね


ばなながメインキャストの中で一番闇が深く、苛烈なマイナス面の持ち主だと言う事は舞台版を見ていた人はなんとなしに察知していたことだとは思います。それに加えて、キャラクター設定において、舞台少女としての演技の才能や脚本・演出の才もあるという点もすでに明らかになっていた部分ではありますが、早くもこのような形で表れてくるのは納得はしつつも、意表を突かれた感はありますね。
とはいえ、引用した台詞からも彼女がレヴューオーディションの経験者らしいのを匂わせている事から彼女が黒幕なのでは?という説も飛び交ってはいますが、舞台版を見ていると少なくともそうは思えない、というのが事実です。舞台版だとばななもレヴューオーディションに参加していますし。なによりアニメ版の最初のPVにおいても、以下のような画像が出てきます。




「彼女たち求める舞台」と「彼女たち求める舞台」の差。作品が「二層展開式少女歌劇」を銘打っている以上、この大きな差は注目してみるべきでしょうし、同時に後者はまるで「舞台」が生き物のように取り扱われているのも気になるところです。
さらには作品の始まりの一曲でもある「Star Divine」にも似たような一節があります。

立ち上がれStar Divine
何度傷ついても
舞台に生かされている


以上の引用からも「舞台が求めている」あるいは「舞台によって生かされている」ということが作品において提示されている以上、レヴューオーディションの主体が「舞台」である事は間違いないでしょう。このため、舞台少女たちの情熱とキラめきによって動いている舞台の「再演」が台本どおりに動いてないことに首を傾げるばななは、レヴューオーディションを操っている側=主催者ではないと考えられます。
ただ主催者ではないというだけで、ばななが過去にレヴューオーディションに関わった可能性はまだ捨て切れていませんし、同様に彼女が制服姿で舞台にいることへの疑問も解消できたわけでもありません。



さらに改めてOPを見返すと、この登校する姿を描いたシークエンスで華恋が駆け抜けていく道がばななのパーソナルカラーである「黄色」である事に気づきます。またこの画面のスタッフテロップの一番下にはキリンの記号も赤く見えます。以上のことから推察するに主催者ではないせよ、華恋たちはばななの敷いたレールを走っているのではないか、ということが考えられます。
そこで気になるのが舞台版とアニメ版との大きな違いである「教師の存在」です。



アニメ版ではレヴューオーディションは参加者以外への他言無用としているからか、担任教師の櫻木先生はその存在を感知している素振りも見せません。一方、舞台版では椎名へきるさんの演じる学年主任、走駝先生こと走駝紗羽の存在が舞台少女たちに大きな影響を与えています。彼女はレヴューオーディションの舞台監督として、華恋たちのレヴューオーディションを見届ける役割に立つわけですが、アニメ版においてはこの走駝先生が「存在していない」ためにレヴューオーディションの舞台監督もいないものと思われていました。
しかし、ここでばななの存在が急浮上します。なぜなら彼女は舞台少女の才覚と同時に演出・脚本の才能も持ち合わせているからです。もし彼女がアニメ版におけるレヴューオーディションの舞台監督だとすれば、上記で引用した台詞の辻褄も合ってきます。ばななは自分の仕組んだ「再演」が想定外(初めて)の事ばかり発生して、ぜんぜん台本通りではないことをぼやいていますが、その辺りの問題は前回の感想でも語ったように彼女の思い出に残る、一年前の聖翔祭で上演された「舞台」の再現性ばかりに目が向いているためでしょう。しかし、その舞台は舞台創造科の眞井・雨宮両氏が言うように「確かにいい舞台だったけど、それは1年生の割には、だよ」というレベルのものです。つまり、ばななは役者(舞台少女)たちの成長や眠っている可能性を見ずに「再演」を行おうと、独り善がりな演出をしている可能性があるということです。彼女のベクトルが「過去」に向かっている以上、致し方ないこととはいえ「常に挑戦する意識を持ち、舞台を育て進化させていく」という舞台を作り上げる裏方の使命に意識が向かないまま、レヴューオーディションの舞台監督をしているのならば、やはり問題あることではないかと思います。この流れで次回はばななのバックグラウンドを描くようですので、彼女の問題点や掘り下げを期待して、待つことにしましょう。



それともう一つ。本編Bパートのラストカットである桜の花びら二つ。香子と双葉のように寄り添って置かれるイメージが印象的ですが、花びらという要素だけを取り出して見ると、OP映像でも印象的に使われているのが分かります。録画や配信サイトでOP映像だけでもご確認いただければと思うのですが、特に印象的なのは以下の画像でしょうか。



下段右は6話Bパートのラストカットを当て込んでいますが、他の三つはOP映像です。華恋がひかりの髪飾りとともに花びらを二つ、同じようにひかりも華恋の王冠の髪留めに花びらふたつを添えて、どちらも手の平に持っています。そして三枚目。終盤、二人が手を合わせようとするとお互いに花びらに変わってしまうイメージ。これとは別に、三枚目の直前に塔を駆け上がってくる華恋が花びらに包まれて、レヴュー衣装に早替えするカットもあります。
これらが意味することは今のところ、何も説明がありません。しかし6話での花びらの扱い方とOPでの扱われ方はまた意味合いが違うようにも見えるんですよね。桜にはいろいろ意味が込められていると思いますが、6話の香子と双葉が出会いや孵化(卒業)の意味合いでの「変化」を描いているのであれば、OPがどちらかというと別れだったり、華恋が花びらに包まれて「再生産」するところに「♪生まれ変わった私〜」と歌詞が流れてきたりで生と死を匂わすようなイメージがあったり、出会えない儚さが付加されているように見えてしまいます。しかもそれを華恋とひかりはそれぞれ相手の髪飾りを花びらに添えて、持っているわけですから意味深ですよね。
何度か作中でも繰り返されていますが、華恋たち二人が惹き付けられた舞台『スタァライト』は「悲しい物語」と表現されています。つまり「悲劇」です。この古くは古代ギリシャからある物語様式に則った『スタァライト』が密接に本編の物語にもリンクしているのであるとすれば、物語の行く末も同じようになぞるのか果たして。加えて言うと、アニメ放映終了直後のタイミングで舞台版#2 Transitionの公演が控えているわけですから、そこへアニメがどのようにバトンを繋ぐか。もしくは舞台版との関連性を持たせるのか、気になります。
いよいよ後半戦へ突入です。辿り着く結末がどうであれ、見届けたいと思います。


次回に続く
前回に戻る


※なお本感想はあくまで個人の印象によるものです、悪しからず。

少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX2

少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX2