劇場版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」予告所感



3rdスタァライブ“Starry Diamond”、楽しかったですね。筆者は現地(スタァライトシート)参戦でしたが3時間半という長丁場があっという間、1部2部のライブとともに一瞬にして時が流れ去っていったような感覚を味わいました。九九組の面々をはじめとして、シークフェルト、凛明館、フロンティアのスタリラの各校の面々の見せ場もがっつり用意されていて、それぞれに活躍していたのが印象的でした。出演者の方々もほとんどマラソンのようなパフォーマンス(特に1部はMCなしの1時間半ぶっ通し)で圧巻といっていいくらい。目がいくつあっても足らないくらいの情報量の洪水だったわけですが。


最後の最後でどデカいのが来てしまいましたね……!!




【特報PV】劇場版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」




というわけで、再生産総集編映画完全新作映画の公開が発表されました!
いや、めでたい。現地に行ってた人にはわかるかと思いますが、総出演者がライヴ終わりの挨拶を済ませて、舞台袖に捌けて行った後、いきなり来ましたからね……! てっきり舞台新作の情報が来ると思ってたら、マジでアニメの方が来たというのは大きなサプライズでした。


すでにTwitterのTL上では考察もいろいろと飛び交っていますが、予告映像(特に新作の方)の方をいちいち精査していくとキリがないので当ブログではひとまず触れないでおきます。というか考察のしようはいくらでもありますし、ヱヴァ新劇のように予告が予告になっていない場合もありますので、あそこに羅列されているフレーズがどれだけ本編に直結しているのか、現状見当がつかないので深追いしていっても詮無いことではあるのかなと。
もちろんその全てが本編で触れられる可能性もあるので、あの辺りの情報については今後の続報を素直に待った方がいいかもしれません。


筆者が本記事で触れたいのはむしろこちら。



完全新作映画の方のキービジュアル。
現場に行った人は終演後にこのフライヤーをもらっていると思いますので、ぜひ手にとって見ていただきたい。


逆さになった東京タワー。
その逆さのタワーの天辺の先に立ち尽くす主人公、愛城華恋。
ごくごくシンプルな構図といえば構図です。しかし、ここに何がしかの意味が込められていると考えたくなるのがファンの欲目でしょうか。けど、実際問題、この東京タワーという「塔」と愛城華恋という「舞台少女」の関係性だけで完全新作映画のキービジュアルが成立してしまっているということにこそ、大きな意味がある、といっても過言ではないと思うのです。

─ビジュアル面はいかがですか?
古川 『塔』をモチーフの軸にしています。(中略)「あらゆるものは塔に帰結する」ということですね。
(月刊Newtype 2018年3月号の監督インタビューより抜粋)


本作の監督である、古川知宏監督が放映はるか前の雑誌インタビューでこのように語っているように、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」という作品は「すべてが塔に帰結する物語」であると明言されています。



同時に当ブログでも何度も引用している「三つの執着」。この「執着」が本作の物語を駆動させるエネルギー、あるいは情念であることもきっちりとPVの段階で明示されているのも分かります。


「塔」と「執着」。
「塔」とは東京タワー。
「執着」とは舞台少女たちの湧き起こす情熱の炎。
つまりは東京タワーと舞台少女、愛城華恋。


完全新作映画のキービジュアルは作品の構成要素を極限にまで削ぎ落とし、これ以上残るものがないという位、研ぎ澄まされたデザインと言えるでしょう。だからこそのシンプルさと力強さが感じられます。
突き詰めていってしまえば、「塔」と「舞台少女(=執着)」だけで作品を物語っているわけですから、当然のことながらこの構図にしているのも、意味があってのものであると言うのは間違いないでしょう。
では、一つずつ見ていきます。



まずは「塔」
ここしばらく、このキービジュアルを眺めつつ、思ったのは「これって、タロットカードの『塔(The Tower)』の逆位置じゃね?」という事です。ここから先はネットで検索した解説ページ(恋愛占い)のリンクを参照にしつつ、進めていきますね。


lovezow.jp


さて、タロットカードの「塔」というのは一組78枚あるタロットの中の大アルカナを構成する22枚の内のひとつで旧約聖書に登場する「バベルの塔」がモチーフとなっています。知っている人もいるかとは思いますが、タロットは正位置と逆位置でそのカードの意味するものが異なります。しかし「塔」はその正位置、逆位置にともに「凶」を表す唯一のカードとしても知られています。そしてその解釈によっては逆位置の方が良い意味として捉える事のできるカードでもあります。分かりやすいように正位置、逆位置が意味するキーワードを以下に挙げておきましょう。

「塔」(The Tower)

正位置:崩壊、悲劇、破綻、災害、口論、事故、暴走、爆発、疎遠、革命、離婚

逆位置:崩壊、事故、緊迫、誤解、アクシデント、解放、再生、開始、再出発、復活


どうでしょう、非常に意味ありげですよね。
ちなみに正位置の意味するところをリンク先のページから掻い摘んでみると、

「物事や周囲の人に対して傲慢になっていたり、何かに固執したりしている可能性があり、また、今取り掛かっている物事が終焉を迎えるということを暗示している」

とあります。
反対に逆位置の意味するところは、

「この先に大きな壁やアクシデントにぶつかる可能性があるが、それをきっかけに変化したり再生したりして、新たなスタートが切れるということも暗示している」

となっています。


……これを見た瞬間、変な笑いが出そうになったのはいうまでもありません。
「塔」のタロットが「傲慢でいると失敗するということと同時に、物事の終わりや終焉を意味している」事は少女☆歌劇 レヴュースタァライト」で描かれている内容そのものですね。演劇・舞台に対して傲慢だったり、固執している事自体が作品の物語を駆動させる、舞台少女の「執着」であり、それを変化させたり、再生(作品的にいえば再生産)させたりする事で新しいスタートを切れるようになる。まさしく「あらゆるものが塔に帰結する物語」であることをこの「塔」のタロットカードは見事に示しているわけです。
さて、これを完全新作映画のキービジュアルに当てはめてみると、このビジュアルの「正位置」が「塔」のタロットの逆位置であるわけですから、映画で華恋が「大きな壁やアクシデントにぶつかり、それをきっかけにして変化したり再生産して、新たなスタートを切る」事となる、という意味が込められているように思うのですよね。
この劇場版の告知が発表になった直後、古川監督がTwitterで「これは『舞台少女の物語』です」と発言されていることからも、十中八九「愛城華恋という舞台少女の物語」であることは疑うべくもない所といったところでしょうか。
舞台#1初演から見続けている身としては、今の今まで掘り下げられてこなかった主人公の物語をついにやるのか……!という期待が非常に高まります。


しかし、です。
このキービジュアルがタロットの意匠を借りているのであるならば、「正位置」があれば当然、「逆位置」があるわけですね。というわけでひっくり返してみます。



当たり前ですが、逆さになっていた東京タワーは私たちがよく見ている姿に戻ります。つまりタロットでいうところの「正位置」ですね。キービジュアルが「逆位置」になると「塔」が正位置になるという、捩れた構造が面白いわけですが。
しかし、この「逆位置」のキービジュアルでの「塔」の意味するところが先ほども解説したように「物事や周囲の人に対して傲慢になっていたり、何かに固執してしまってトラブルが起こる可能性があり、また、今取り掛かっている物事が終焉を迎える」事のわけですから、つまりは「愛城華恋という物語の最終章」である可能性も十分あるわけです。


果たしてどんな物語が描かれるのか…ということに注目がいきますが、ちょっと待ってください。
このキービジュアルには「塔」以外にも描かれているものがありますね?


そう、愛城華恋です。



このキービジュアルの特質上、「正位置」がタロットの「逆位置」を表しているわけですから、キービジュアルの「愛城華恋」もまた「東京タワー(=塔)」と同じく、「逆位置」を示していると考えられます。では、もう一度、反転させてみます。



今度は逆さになる華恋。この状態がタロットにおける「正位置」の状態であるわけですから、「逆さになっている人間」が「正位置」のタロットカードを見つければいいことになります。そして、そんなカードは一つしかありません


lovezow.jp


「吊るされた男(The Hanged Man)」です。
「塔」と同じく大アルカナを構成するカードで「吊るされた男」とか「死刑囚」「刑死者」とも呼ばれ、古いタロットカードでは「反逆者」とタイトルをつけられることもあり、それは即ちキリスト教における「反逆者」、つまり「ユダ」のことを指しているとも言われています。そんな「吊るされた男」の正位置・逆位置の意味する事は以下のとおり。

「吊るされた男(The Hanged Man)」
正位置:修行、忍耐、努力、奉仕、妥協、慈愛、自己犠牲、救済、成果、瞑想

逆位置:逃避、犠牲、失敗、無題、徒労、別れ、自暴自棄、骨折り損、狭い視野、遠距離恋愛


どうでしょうか。
「塔」は違って、完全新作映画で描かれるだろう物語を暗示させる物ではなかろうかと思えなくもないですね。
「吊るされた男」は「周りの人のための自己犠牲の尊さや、辛抱強く耐え努力することの大切さを伝えている」カードであるので、「自己犠牲や努力をいとわずに前進する姿が、周囲に良い影響を与える」ということも暗示されているのです。また「男の後ろには後光が射しており、試練に耐えてこそ新しい発想が生まれる」という事も表しています。


しかし、キービジュアルの「正位置」はタロットの「逆位置」を示しているわけですから、「誰かのために行動しても尽くすことができていなかったり、自分だけが辛い思いをしているという考え方に偏ったりしている可能性があり、また、現実から逃げ、楽な道を選んでしまっている」事の方が強く出ている形となっているのは、とても気になりますね……。


このキービジュアルの「正位置」がなぜこうなっているのか、と言うことを考えるとこの完全新作映画の前段階として「再生産総集編」の存在を忘れてはいけないのだと思います。
先に挙げた動画リンクではばななの重く低い声で「私だけの…永遠の舞台を…もう一度」を語っているのと、「再生産総集編」のサブタイトルが「ロンド・ロンド・ロンド」であること、また「再生産総集編」の特報では舞台開演のブザーが鳴り響くけど、完全新作の方ではブザーが鳴らないという点を鑑みるに、TVアニメシリーズとはまた違う展開を仕掛けた上での「完全新作」となる公算が非常に大きいですね。
簡単に言ってしまえば、劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」の前後編と新編「叛逆の物語」の関係と同じくするんじゃないのかなあというのが、筆者の推測です。


ただ本作の場合はキービジュアルが示しているとおり、タロットの「逆位置」を「正位置」に戻す展開が用意されていると考えられるわけですから、「吊るされた男」の正位置である「たとえ自分が不利な状況に置かれているとしても、忍耐強く努力したり我慢したりすることで道が開け、さらに人に尽くしたり、自分を犠牲にしたりすることで望む成果を得ることができる」ようになり、そのことで「周りとの信頼関係がより強固になり、あなたを認めてくれる。試練を乗り越えた暁には、視野がぐっと広がったり、大きな成長を遂げることができたりと、相応しい報酬が得られる」ようになる帰結に向かうのではないかなと言うのが、キービジュアルから読み取れる情報なのではないかと思います。


最終的には「正位置」「逆位置」の意味をすべて内包して、物語が結ばれていくようにも思えるわけですが、こればっかりは蓋を開けてみないと分かりません。ここまで考えたことを踏まえて想像してみると、少なくとも最高学年に進級し、「将来」の事を考えなければいけなくなった時の「華恋の物語」となっていきそうだなあという予感はひしひしと感じられますね。


※11/8追記
よくよく考えたら、ですね。
ここまで考えてきたことを総合すると、劇場版のキーアイテムは間違いなく華恋の武器なんですよね…。レヴューオーディションで戦う時に使う、ブロードソード(一般にイメージされる洋刀)ですが、舞台少女たち(というより聖翔の面々)の武器にはちゃんと名称がついているのは、以前の記事でも触れたとおりです。


terry-rice88injazz.hatenablog.jp


上記リンクでも説明したように、華恋の刀の名はPossibility of Puberty(思春期の可能性)」
そう、「思春期の可能性」なんですよ…!
創作においては少年少女の中学高校時代と重なり、心身共に「成長」する一部始終として「思春期」つまり「青春」が描かれていきますが、華恋の武器はそういった子供でも大人でもない、未分化な心と身体に詰まった「可能性」を物語るものとして、顕現しているといっても過言ではないでしょうか。
この記事で話してきた事や、今まで舞台やアニメで描かれてきた華恋の姿を思い返すに、彼女自身がその「思春期」の当事者として、「思春期(青春)の終わり」に直面した時、自らの内に詰まっているはずの「可能性」をどのように「その先」へと結び付けていくのか、というのが焦点になってくるのではないかと。
しかし、そうなってくると彼女の武器である「Possibility of Puberty(思春期の可能性)」は一度、折れる必要性が出てくるんじゃないかとも考えられるんですよね。もっと飛躍すれば、「再生産総集編」はその辺りを織り込んで仕掛けてくる可能性が非常にデカいわけです。
あたかもばななの「永遠の舞台」が続いているような予告モノローグからしてもそうですし、「再生産」と言うからには、TVシリーズで描かれた「ひかりの転入」そのものがパラレルになる可能性も否定できないでしょう。そこまでするかどうかはともかくとして、結果的に舞台#1、TVシリーズと共に、物語のトーンや主導権は「神楽ひかり」という存在が握り、一方主人公である「愛城華恋」は物語における「デウス・エクス・マキナ」の要素を含んで存在しているのです。それ故に、華恋のパーソナリティというのは現在に至るまで、そこまで深く掘り下げられていないというのが筆者の見解です。
物語の潮目がやや変わったのが「Transition(過渡期、変遷、移行)」というタイトルがついた舞台#2。ひかりの物語がTVアニメによって収束を見た結果として、舞台#2は「華恋の物語」へと移り変わるシフトチェンジが発生したと見るべきなんだろうと思います。詳しい話は今は省きますが、文字通りの「過渡期」「中間点」として舞台#2が存在し、来るべき新作舞台と「再生産総集編」、そして「完全新作映画」は、愛城華恋という「舞台少女」と「物語」にクローズしていくような印象を今のところ感じていますね。
レヴュー曲についても、舞台の劇中歌においても、華恋が「主体」になって歌われたものはほぼほぼ皆無なんですよね。かならず誰かの「思い」を聴いて返すという体になっているのは割と確信犯なのではないかとも思ってしまうのです。

青さ故に群れた私を
笑いながら見送ってよね
青い春は二度と来ないから 強さ見せます!
それが仲間への感謝のミチシルベ!!

~舞台#2劇中歌「群青」より歌詞抜粋~


舞台#2のハイライトのひとつである「群青」の歌唱には華恋が「参加していない」事からも分かるように、彼女は「思春期の可能性」に自分自身を突き付けられているわけです。だからこそ「思春期の可能性」が折られなければならない、という筋立ては「華恋の物語」として描かれるべきトピックの一つなのは間違いないでしょう。たとえそれが「折られた」としても、それは子供から大人へ「再生産」される時に形を変えて、生まれてくるものなのではないかと思います。
「思春期の可能性」を経て、「自分の可能性」を追い続ける。
それこそが舞台少女の「命題」であり「物語」
という風に考えていくと、「華恋の物語」も以下のようになるのではないのでしょうか。


f:id:terry-rice:20191108220002j:plain


TVアニメ8話でひかりが見せた「第二幕」。ずっと物語のあらゆるものに対比が織り込まれている本作の事を察すれば、「ひかりの物語」の対比として「華恋の物語」が8話のリフレインを響かせて「再生産」される事は物語の構造的にも腑に落ちるものではなかろうかと。
「再生産総集編」「完全新作映画」と、いったい何を仕掛けてくるのかは現時点では見当がつかない、というのが正直なところです。しかし、提示されている情報から組み立てて考えると、こういった像が浮かび上がってくるのかなと。もちろん筆者の願望が込められているのも否定はしません。とりあえず何が出てくるか、想像を巡らせながら第一報から考えた記録として、記しておきたいと思います。


※11/11 さらに追記。
ついでにもうひとつだけ。
古川監督が『舞台少女の物語』と所信表明したTwitterのつぶやきで引用されていた和歌がありますよね?

「ちると見てあるべきものを梅の花 うたてにほひのそでにとまれる」


ってやつ。これは調べると『古今和歌集』に収録されている素性法師によって歌われたものですが、これを使ったのもまた意味深というか。こちらのサイトの解説と意味をそのまま引用させていただくと、こうなっています。

意味:花が散るのを眺めて終わってしまうべきなのに、梅の花はよけいなことにいつまでも袖に移り香となって残っていることよ。

解説:

寛平の御時后宮の歌合せに番われた歌。

散っていく花を惜しんで、せめて香りだけでもとどめたいと思うものだが、この歌は意表をついて袖に残った香りを「うたて(残らなくてもよい、余計なことと思う気持ちを表す)」と言っている。

別れた人の香りなどと連想することもできる

まあ、この辺りから察するにしても「聖翔音楽学院99期生、ひいては愛城華恋の物語」の完結編というニュアンスは色濃く出てるように思うんですよね…。「散っていく梅の花の残り香(に名残惜しさは憶えないが)はいつまでも残っている」というような和歌を引用している以上は、おそらくそういう感じの作品になりそうだなあとは思っています。
ちなみに梅の花の開花時期は例年2月から4月辺りまでなので、映画の公開時期もその辺りなのかなあと勝手に想像してますが、どうなりますやら。

以上、追記終わり。


ここまで書いてきた推察が当たっているかどうかはまったく定かではないし、一枚のキービジュアルから何でここまで考えてしまっているかというのも、アレな感じではありますが。アンテナが感知してしまったのだから仕方ないです。的を射ているかはさておき「再生産総集編」が来年夏の公開予定ですから、完全新作は早くとも来年末、遅ければ再来年の前半くらいになるのかなという気はしてます。

新作企画がいろいろ動き出してまだまだスタァライトという作品が続いていくのを嬉しく思いながら、今回は筆をおきたいと思います。
あとは筆者の問題として、TVシリーズの感想を「完全新作映画」までに終わらせなければならなくなったので、なるべく急いで書かなければなあと思いを新たにしてます。なんにせよ頑張ります…!!

それでは以上。ここまで読んでいただきありがとうございました。