「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#8 ひかりの人生の物語


第8話『ひかり、さす方へ』
ここまでがBD-BOX第2巻収録内容。三幕構成といいますか、1巻収録内容ラストエピソードである4話で華恋とひかりの「約束」が確かめられたのを受けて、ひかりサイドの物語背景が明かされた回でもありました。前回のばななの背景に引き続き、本筋の舞台裏で展開されていた物語が明かされていく一方で、作品全体を覆う「なにか」もいよいよ朧げに見えてきた、のかもしれません。
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今回も舞台版の筋も含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホなどで読まれている方はそのままお進みください)




【失われた『ひかり』】



本ブログでは毎度おなじみになったこの「執着の物語」を表した画像。4話の感想でも語ったように、華恋とひかりの二人はこの画像に提示されているすべてが当てはまっているとお話しました。8話はひかりがメインに描かれていくことになりますが、この画像と当ブログの4話感想にて触れたトピックも交えながら、展開していきますので、当該記事を参照しつつ読み進めていただければと思います。
さて8話は1話より以前の話、恐らくアニメ本編より前の話、ひかりがまだロンドンの王立演劇学院に在籍していた頃のエピソードです。彼女がなぜ世界トップクラスの演劇学校から、わざわざ東京の聖翔音楽学園に転校してきたのか。その理由と目的が描かれた、重要な一話でもありました。舞台版でも「転校してきた」という事実だけしか提示されておらず、実際何があったかは語られずじまいであったわけですから、ようやくそれが描かれたわけです。パズルの大事な1ピースが埋められた感覚でしょうか。
ただ4話同様、そうシンプルな内容というわけでもなく一筋縄でいかない描写があったのは事実かと。物語第ニ幕の締めとして、作品の行く末が改めて示された印象も持ちました。その辺りを見ていければいいのかなと思います。



手始めにこちらの画像。4話感想で語ったように、この時点というより、聖翔音楽学園に転校してくる(厳密に言えば、今回のエピソード途中)まではひかりは「自分が主人公の物語」を歩んでいます。画面内の背景に潜む「青」は彼女のパーソナルカラーとして設定されているのは公式HPなどからでも窺い知ることができますね。ひかりを象徴する色が景色に溶け込んでいる、あるいは彼女をフォーカスしてカメラが動いている。物語を舞台と考えた時、ひかりが物語の中心となって動いている、という印象を強く持つ映像が続いていきます。







すこし展開が前後しますが、今回のアバンタイトルと4話の「かつてスタァライトを一緒に見た時のひかりと華恋」の場面を繋げて、引用してみました。これを見ても分かるように、二人は同じ舞台を見て、魅了され、舞台少女に目覚めたというシーンなのですが、4話は1話のアバンタイトルで描かれた座席位置とは逆であること、また握る手の重ね方も逆であることも先の感想でも触れたとおりです。8話は4話と座席位置が同一なのを踏まえると、「ひかりを描いた物語」である事はここでもきちんと提示されていますね。
ただ注目してほしいのは、3枚目の画像(※4話から引用)で華恋が舞台に夢中になっているひかりの手を握った場面から続く8話でひかりがそれに気付いて微笑みあう場面。4話時点では描かれなかった、華恋の行為にひかりが反応を見せているというのがとても大事で。この場面を一連の流れとして見ると、二人の立ち位置が明確になっているように感じますね。どちらが主役で、どちらが敵役なのか。4話の混線状態を考えてると、とても分かりやすくなっているのではないかと。ですから、5枚目の「二人でひとつの運命」を表しているだろう、この画でも8話の主観はひかりの方にあるという風に印象操作がなされている。むしろ8話に限って言えば、華恋の入り込める余地はない、のですよね。思えば、第ニ幕(5〜8話)で描かれた物語は、華恋が物語の軸にいないので、彼女自身が与える物語への影響は少なかったわけです。つまり「華恋の物語」の外環が描かれていたとも見る事は可能です。その第ニ幕の物語でもっとも華恋から「遠い物語」こそが華恋ともっとも「近しい存在」である「ひかりの物語」なのはこれから描かれるだろう、彼女たちの運命に大きく関わってくる対比だと言えます。



この辺りは1話の華恋のモノローグとの対比。1話も8話も語ってることはほぼ一緒ではあるけども、違う点を挙げるとすれば、華恋は自分も含めて舞台少女たちをともに舞台を作り上げる「仲間でありライバル」としている一方で、ひかりは「世界中から集まったクラスメート」と「毎日舞台に立つような真剣勝負」でカリキュラムに臨んでいるという辺りか。ひかりは華恋より仲間意識が希薄なのと、海外で生活している分だけ「個」として立ちながら、集団の中で切磋琢磨している感じでしょうか。華恋の方が「集団の中の個」、ひかりの方が「個によって成り立つ集団」というイメージ。あくまでニュアンス的なものではありますが、集団が先に立つか個人が先に立つか、みたいな差です。1話の段階では華恋はそういったワン・オブ・ゼムの一人であったことは確かでしょうし、8話のひかりも自分の個性を磨くことに余念がない一途な人間として描かれているのが窺えます。
1話と見比べていると、華恋はクラスメートと和気藹々と学園生活を楽しんでいるのに対して、ひかりはとにかく「舞台に立つこと」という自分の目標があって、その為にもっと鍛錬を重ねて、さらなる高みへと目指す為に学び舎で何を学んでいくのかを、自明の事として認識している。それは「舞台に向き合うこと」に対して、無自覚であるか、自覚しているかの差でもあるでしょう。お互いが再会するまでの認識としてはそのくらいのニュアンスの違いは確かにあったように思えます。



しかし、そんな彼女たち二人を結び付けているのは、幼いころに交わした「約束」。「二人で同じ舞台に立つ」ためにそれぞれの道に立ち、進むべき方向を定めた。今は離ればなれでも、いつか再びその道が交われるように。ふたりの夢はそういう約束に成り立つものだったといえるでしょう。だからこそ、ひかりは舞台へと一心に情熱を傾けることができるのです。



先の写真立てを見つめるひかりから場面が飛んで、4話をリフレイン(時系列的にはこちらのほうが先ですが)する形での、ロンドンに行く前の幼い二人のやり取り。4話と同じロケーションで繰り広げられているという以上に、昼間であることに注目したい。演劇用語ではマチネソワレという言葉があります。ざっくり言えばマチネは昼公演ソワレは夜公演のこと。演劇だと同じ公演を昼と夜に2回ずつやるというスケジュールがわりと常識な所があるようです。本作の舞台版もその慣習に倣って、公演スケジュールはマチネとソワレが組まれたものになっているのは見ている人にとってはご周知の通り。
このマチネとソワレをアニメ版の物語的に解釈すれば、「同じ公演を二回繰り返す」という所が引っ掛かってくるわけですね。つまりは「再演」です。7話から始まっているばななのエピソードにおいても「繰り返し行われる運命の舞台」イコール「再演」が繰り返され続けていました。ただひかりの場合はばななの再演とは趣が少し異なっているということが言えそうです。



なぜかといえば、8話は終始「ひかりの物語」が綴られるエピソードであるという事。それに加えて、4話の滑り台のシーンと比較してみれば一目瞭然ですが、滑り台の頂上から手を取って、引っ張りあげるという構図の主客が逆転していますよね。8話では主体がひかりで客体は華恋。つまり物語をリードしているのはひかりなのです。この前段で華恋は滑り台を滑っているのもそうなのですが、立ち位置の上下の関係も4話とは逆です。ゼロ地点から駆け上ってくるのは、8話では華恋でありひかりではない。この二人の立つ滑り台も一種の「塔」であると見立てるならば、塔に対してのアプローチの仕方も非常に対照的でもあるのですよね。華恋は階段を一段一段上ってくるのに対して、ひかりは坂道を一気に駆け上がるとか。これだけを取ってみても違いは明らかです。なおかつこの時点では物語の舵をひかりが握っていることはここまで語ってきたことの裏付けでもあるでしょう。



だからこそ華恋との「約束」の事を「運命」と言い換える事も軽々とやってのける。幼さゆえの根拠なき自信なのか、それとも華恋に対して優位に立ちたいのか、どちらにしても得意げな表情が強い印象として伝わってきます。この後にも語られますが、ひかりは演劇の世界へと誘う導き手として、華恋を導きたいという意識もあってか、先導者と後従者という構図がそのまま彼女たちの友情へと繋がっている。つまりはひかりは常に華恋の先を走っていたいのですよね。彼女をリードする者として、いやそれ以上に知ってかしらずか彼女をバーターにして、より高みを目指していこうとする、無邪気なエゴイストらしさがすでにこの時点で滲み出ているのが受け取れてしまいます。






それを踏まえて4話の同じ場所でのシーンを振り返ってみると、華恋の「二人でトップスタァに」という発言ともども、華恋がひかりをリードするという構図に逆転しているのは先に語ったとおりです。4話感想で、華恋とひかりはお互いどちらが「物語の主役」であるかを綱引きしあった結果、これは「華恋の物語」であるとひかりが退いたという流れを説明しました。しかし8話の回想を踏まえると、ここでひかりが一歩退いた事はやはり何かのニュアンスを含んだ行為であったという印象が強くなったようにも思えます。ひかりが華恋を導いていきたいという思いが強いのであればなお一層、ここで華恋に導かれることを是としたことが違和感として引っ掛かってきます。悪く言ってしまえば華恋という弱い他者をダシにして、ひかりは自らを強く奮い立たせようとしたのは回想を見れば明らかでしょう。ひかりにはそういう邪な感情が華恋との友情の裏に見え隠れしている事が8話を通じて描かれていくことになります。



ひとまず話を回想から戻して、SNSでも話題になりましたこの体重計のカット。そのあとの変化によって意味が明らかになる箇所ですね。この時点ではまだひかりも挫折を知らなかったという説明も出来ますが、何気ない描写をフックとして「変化」を描くのは巧みな印象を持ちます。



華恋よりも先に行く者としてひかりはイギリスの王立演劇学院を目指し、そこで同級生と火花を散らすような研鑽の日々を繰り広げ、定期発表会では準主役を勝ち取るまでに至った。しかし、彼女はその現状に満足せずにより高みを目指して、努力を惜しまない。華恋がいるからこそ舞台に打ち込めて、あの約束があればこそ情熱は燃え上がる。ひかりにとっては華恋の存在そのものが「舞台にかける情熱」への燃料であり根源であるといっても過言ではないでしょう。その「舞台にかける情熱」、つまりはこの作品で語られる「キラめき」を漬け込まれたのか、彼女にあの着信音とともに例のメールが届くことになるわけです。




かくしてひかりは「トップスタァ」「運命の舞台」というキリンの甘言に踊らされて、レヴューオーディションに参加し……負けた。注目したいのは彼女が持っている武器がスティレット(短剣)ではないこと。以前書いた武器名解説記事もご参照いただければと思いますが、ロンドンでのレヴューオーディションにおける彼女の武器はスティレットと同じく鎖帷子(チェインメイル)の間を突く武器として作られたエストックかと思われます。「鎧通し」などと異名のつく武器であり、形状は真矢の使用するレイピア(護身用、または決闘用に特化した剣)とも似ていますが、より実戦的な武器であると言えます。ただこのエストックに、「Caliculus Bright(つぼみのキラめき)」という名がついているかは定かではありません。むしろその名がついていないと考えた方がいいように思います。というのは、武器が違うことからも明らかでありますが、なによりこの後のひかり自身の変化が大きく影響しているからに他なりません。それはつまり武器の形状が舞台少女の持つ「キラめき」によって反映されているものであることの証でもあります。




レヴューオーディションの決着がついた後、トップスタァになった(と思われる)ジュディのまばゆいばかりの躍動感と、ひかりの中に生じる違和感。何かがおかしい。なにかが抜け落ちている感覚を味わうと同時に、いつものように体重を量るときっちり130g減っている



これについてはSNSでも話題になったようにOP曲「星のダイアローグ」のCDに付属の歌詞カード裏面に記載されている「✦=130g」がCDの発売当時から気になる表記だと目されていましたがその謎が明かされた形に。このひかりの130gが減った結果、何が起きたのかというと、以下に続きます。



この辺りの説明がありませんでしたが、ひかりのモノローグから察するに定期発表会当日の出来事なのかと思われます。ただ、ここで上演されている演目についてはポスターに表記されておらず、ひかりたちが何を演じているのかは分かりません。一番近いところではシェイクスピア四大悲劇のひとつ「マクベスなのでしょうが、ひかりが自分の役を準主役と言っているので当てはまらないんですよね(※そのタイトルの通り「マクベス」は下克上をした結果、悲劇的な運命をたどる暴君マクベスが主役)。見る限りでは作品世界におけるポピュラーな戯曲なのかもしれません。この戯曲については、後ほど触れたいと思います。





舞台が上演されているにもかかわらず、ひかりは演技に身が入らないどころか、舞台独特の緊張感や高揚感を感じることも出来ないまま、役を演じなければいけない事に戸惑う。一体どうしてしまったのか、わからない。彼女の中で何かがすっぽりと抜け落ちてしまっている。彼女が舞台に感じていた「キラめき」そのものが失われてしまっていたと気付くのにはそう時間はかからなかった。
ここで注目しておきたいのは直前に挙げた画像の一枚目、二枚目それぞれの左下段画像。一枚目の方は何も形を成していないバラバラの瓦礫だが、二枚目には瓦礫がひかりに襲い掛かる怪物の手の如く変化している。これも後でまた語りますが、ここではひかりが舞台に取って喰われてしまったことの比喩として機能しているとも捉えられます。



結果、ひかりは役を演じきることが出来ずに舞台の幕が下りてしまう。舞台へのキラめきを感じられなくなってしまった彼女から何が失われしまったのか。彼女から減った130gは一体なんであるのか、逡巡しながらたどり着いた先がロンドン自然史博物館。物凄い余談ですが、筆者も10年近く前にヨーロッパを一人旅した頃に行った記憶があります。なので見てて、少し懐かしい気分にも浸りました。それはともかく。



ひかりが歩いているのは、化石標本から察するにグリーンゾーンと呼ばれるブロック。今はもう絶滅して(失われて)しまった動物や恐竜の化石の中を通り過ぎながら、自分の中から失われてしまったもの、それどころかなぜイギリスの王立演劇学院を目指した理由が何だったのかすら分からなくなってしまい、彷徨い途方に暮れる。



それが華恋との約束であったことに気付くと愕然とします。あんなにまで情熱を傾けていた舞台なのに、いやそれ以上に華恋との約束があったからこそここまで頑張ってこれたはずなのに。ひかりの役者魂の原動力でもあったはずの「二人の約束」を「アレ」呼ばわりしてしまう、感慨のなさに彼女は震えるわけです。失われた130gが自らのキラめきであること、レヴューオーディションによって奪われてしまったことにようやく思い当たるのですね。これがひかりの変化です。
ここで目に付くのは、彼女の立つ背後にキリンの化石があること。化石が「現実には失われてしまっている」ことの象徴であると考えるならば、レヴューオーディションを裁定するキリンもまた現実には存在し得ないもの(もちろんあれが実際の動物ではないことは百も承知かとも思いますが)であり、実体の伴わない存在である可能性が強いですね。あの地下劇場の舞台が舞台少女の情熱とキラめきによって生き物のように勝手に動き出すことを考えれば、キリンがあの劇場でしか存在できないことも容易に想像できることではあります。



ひかりは自らの変化に気付くと、すぐさまキリンに直談判しに地下劇場へ。トップスタァになれなかった代償として「一番大切なものを失う」というのは、4話で彼女自身が華恋に説明した通りです。キリンは悪びれもせずに「トップスタァの誕生にはそれなりの燃料が必要」とのたまう。しかし、注目してほしいのは次に継がれたキリンの台詞。ひかりの武器を指して「そこまでキラめきが残るなんて予測できませんでした」とのこと。これです。武器名解説記事でも語ったように、「舞台少女たちの使う武器の金属部分が彼女たちの持つキラめきの量に比例している」というのが明言されたのです。ここは非常に重要なポイントであることもさることながらキリンの言から察すれば、レヴューオーディションが終了した時点でキラめきはすべてトップスタァに奪われるわけなので、ひかりの元に残っているはずがないと。つまりロンドンで舞台へ一心不乱に情熱を傾けていたひかりはレヴューオーディション終演時点で「失われている」わけです。しかし、キリンの目の前には「キラめき(=彼女の武器である『Caliculus Bright(つぼみのキラめき)』)」を持つひかりが立っている。それを予測できなかったことだと言っている辺り、ひかりもイレギュラー因子であることが分かりますが、同時にそれは「再生産」されていると言うことにもなります。彼女の残ったわずかなキラめき、つまりはCaliculus Bright(つぼみのキラめき)が何によって構成されているか。答えは簡単です。「舞台への情熱」すらも失ってしまったひかりに残ったのは「華恋への思い」だけです。次項で詳しく語りますが、ひかりを舞台少女として繋ぎとめているものが「舞台」でなく「華恋」であることが彼女にとっての最大の歪みであり、問題なのです。それは本項で語った、ひかりの中に潜む感情とも絡んでくる事にもなりますし、本ブログで何度も話してきた「執着の物語」にも大きく影響する部分でもあります。



その僅かなキラめきが予想外に残ったことで、キリンに再びチャンスを与えられる。舞台は日本。ひかりには選ばないという選択肢はない。華恋との約束があるから。二人で舞台に立つためのキラめきが必要だから全てを失った今、取り戻す手段はそれしかない。同時にキリンはひかりというイレギュラーを放り込むことで発生する、予測できない運命の舞台を期待している。まるでひかりをそう仕向けたように。その証拠に8話では企画当初から掲げられたフレーズが繰り返し台詞として出てきます。



アニメ放映のはるか以前より出てきていたフレーズをキリンが語るのは、最初からそうなる事が分かっていたからなのでは、とも勘繰ってしまいますね。しかも台詞だけが一人歩きして、ひかりへと何度にも投げかけられるのも非常に暗示的。ひかりが華恋との約束を「運命」と言い換えてしまったことも作用して、彼女自身が運命という大きな力に呑み込まれてしまっている風に見えてしまいます。もっと分かりやすく言ってしまえば、運命に操られているといいますか。
いやそもそも神様に祈祷や奉納する舞である「神楽」を苗字に冠する、ひかりであるからこそ運命なんていう「見えない力」に翻弄されてしまうのも納得してしまいます。7話のばななでもそうでしたが今回のひかりにしても、なにかを「喪失」する(してしまう)事に問題を抱える人間で、キリンはその弱みを握り、彼女たちを手駒にしていいように操っているとしか思えません。そう考えるとキリンの得体の知れなさはより際立ってきます。舞台少女の情熱やキラめきを「燃料」と言い放っている事からも、舞台少女たちの存在や個性すらも、舞台上で起こる化学反応の材料ぐらいにしか感じていない残酷さが垣間見えます。




最初のPVでもこの通りです。舞台少女たち「が」求める舞台と舞台少女たち「を」求める舞台。演劇界では一度幕が上がれば、たとえ脚本があっても何が起こるかわからない。ゆえに舞台は生き物と呼ばれることが多いようです。このフレーズがそのまま、本作の「地下劇場」に反映されているのであれば、舞台少女たちは「舞台」に食い物にされていると見ることは十分に可能かと思われます。

何度傷ついても
舞台に生かされている
〜「Star Divine」より歌詞抜粋〜


ひかりも「舞台」によって生かされた。と、同時に彼女からは名実ともに「ひかり」が失われてしまった。かつての「舞台」に情熱を燃やしていた姿はもはやなく、残されたわずかなキラめきも彼女の内にあったものというよりは華恋という繋がりがあったからこそ、生まれえたもの。ひかりの中にはもはや何も残っていないんですよね。キリンが「全てを失った少女」というのも、この事を指しているのだと思われます。では、この後の展開でひかりがどうしてとキラめきを取り戻せたのか。次項で詳しく語っていきましょう。


【取り戻した『ひかり』】



さて。ひかりの過去から現在に戻ってきて、ばななとのレヴューシーン。時系列的には7話終盤直後におそらく繋がっていて、その日のレヴューオーディションだと思われます。タイトルは「孤独」。この孤独のレヴュー、舞台版、TVアニメ版を含めて三度目の対戦です。ちなみに舞台版ではまずまひるvsばななが行われ、その後、華恋vsばななとカードが変わります。そしてTVアニメ版ではひかりvsばなな。対戦者が変わっていますが、一貫して片方の相手がばななであることに目を引きます。
孤独のレヴューを繰り広げることになったキャラたちはそれぞれの「孤独」を抱えているわけですが、どれもそれぞれ抱えている意味合いが違います。例えば5話の感想にも書いたとおり、まひるは周囲の舞台少女たちのキラめきに圧倒されて、自分に引け目を感じてしまい、自信を失った結果「孤独」(舞台版ではこの自信の無さが強く出ており、アニメ版では理想の自分を華恋を重ねようとしていた)。まひるの場合は原因が自らの内面にあるわけなので、そこに気付きさえすれば自己解決できるものです。
次にばななは前回で背景の一端が描かれていました。聖翔音楽学園入学以前より「孤独」をずっと抱えていたことや「登場人物/キャラクター(記号)」の要素を併せ持つ存在であり、同時に物語構造からもどっちつかずで「孤立」していることによって、ばななは「孤独」から救ってくれた聖翔祭に至るまでの幸せな日々(過去)に囚われ続けています。彼女の「孤独」はまひるの「孤独」とは反対に、大場ななという個性を認めてくれる他者が必要不可欠です。噛み砕いて言ってしまえば割とシンプルな問題で、ばななにとっては「信頼できる仲間と共に舞台を作り上げる」事が大切で、聖翔音楽学園に入学して初めて経験したその「幸せな日々」があまりにも彼女にとって眩しかったという話なのですね。その楽しかった記憶が失われて(上書きされて)しまう事を極端に恐れているのです。ですから、彼女の恐れ(孤独)を解消してくれる他人が求められるということなのです。



では、ひかりの「孤独」とは一体どのようなものなのか。振り返ってみれば、ひかりは王立演劇学院在籍時には一人暮らしをしていたこともあるので、そういったメンタル的な「孤独」ではないことは確かです。なおかつ学院での人間関係が上手く行っていなかったのかと言われると、そうでもなさそうでクラスは実力主義「個によって成り立つ集団」で一人一人が切磋琢磨するライバルであり、毎日のように真剣勝負を繰り広げるようなレッスンをしていたわけですから、その線でも孤立しているわけではなさそうなのです。反面、前項でも語ったようにそういった環境下であるので、王立演劇学院ではチームという意識や仲間意識は希薄だったなのではないかと。ひかりのモノローグから察すれば、集団で動くことよりも個人が何を考え、どのように演じるかに重きが置かれているように感じられますね。彼女の場合、「孤独」の原因がメンタルでもフィジカルでもない。では、どういう「孤独」なのか。それを明かすには、ばななとの対比が必要になってきます。


怖がらないで
ひかりちゃんはもう私たちの仲間なんだから!
〜8話レヴューシーンよりばななの台詞抜粋〜


引用の台詞からも分かるように、ばななはひかりを自分たちの「仲間」という認識で接してきてます。しかし、この一方的な語り掛けにはひかりはまったく応じていません。実はこの齟齬こそがひかりの「孤独」を紐解く鍵なのです。8話のレヴューオーディションに至るまでに、ばななは何度かひかりにアプローチを仕掛けています。それはもちろん7話でも語られてたように、ばななの「再演」に突然現れたイレギュラーであるのも大きな要因です。



2話ではバナナプリンでお近付きになろうとして拒否され、3話では改めてバナナマフィンを作って、距離感を埋めようするも結局うやむやに。とまあ、このようにひかりは聖翔音楽学園における人間関係の構築に取り合おうとしていないんですよね。これはもうあからさまに、といっていいほどです。しかもひかりは華恋以外のクラスメートとはほぼ会話をしていません(確認できるのは先に挙げた理由から話しかけてきたばななと同室の関係上、会話せざるを得ないまひるくらい)。8話のレヴューシーンもお互いの主義主張を吐露しているだけで、会話が成り立っている部分は実は少なかったりします。



これも3話の画像ですが、ひかりと華恋以外の人間との距離感がよく表れているものでしょう。テラスを囲んでの昼食風景ですが、ひかりはほぼ棒立ちで彼女たちの輪にすら入ろうとしない絶妙な距離感を保っているのがわかりますし、加えてばななのバナナマフィンを受け取っていない。厳密はこの後、バナナマフィン自体は奪い取って、その場から去っていくのですけども、なんといいますか。警戒しながらも、貰ったエサを素早く持ち去っていく野良猫のような仕草なので、心は許してないのだろうと思います。冗談はともかくとして、アニメ版においてメインの9人の中で他人との間に壁を作ってるのはひかりだけです。



もっと言ってしまえば、華恋との距離感からしてこのような関係なのですね。改めて見ると、華恋がひかりをなんとか繋ぎ止めているような描写で8話の展開から考えると、とても意味深なものになってきます。ちょっと力を入れてしまえば、振り払えてしまうくらいにはか細い繋がりというのもまた一貫性が感じられますね。ここまで語ってきて、ひかりの「孤独」がなんとなく見えてきたのではないでしょうか。



そして決定的な画像がこちら。これも3話です。レヴューオーディションに行かせないために華恋を軟禁するシーンがコミカルに描写されていますが、展開の流れ以上に、非常に重要なのは華恋とバナナマフィンです。7話でも描かれたようにばななの作ったバナナマフィンは「仲間との絆」を象徴したアイテムです。ですから、マフィンを受け取った、ないし食べているのは、ばななが関知している存在だということの証でもあります。しかし、ひかりはマフィンを受け取ろうとはしません。それどころかみんなとの昼食の場で、そそくさと奪い去っていった。そのマフィンをわざわざ華恋の食料として置くというギャグなのか本気なのか、よく分からない行為に見えたわけですが、ひかりにとっては「華恋だけが仲間」なのですよね。華恋にしか意識が向いていないために、それ以外の関係をすべて拒絶していることによって、ひかりの「孤独」は生まれているのですね。
ですから、ひかりとばななの対戦というのもそれぞれの「孤独」の対立ではあるのですが、「孤独」であることの是非を問われるとばななは迷うことなく「非」を答え、ひかりは「是」と答えるだろうという位にはスタンスが違うわけです。ばななは「孤独」を埋めようとひかりを受け入れようとしますが、ひかりは華恋以外何もいらない(だから「孤独」でもいい)という風に考えている節すらあります。



ひかりが「孤独」であることを受け入れている要因は間違いなく華恋です。それを物語っているのが、レヴューシーンに差し込まれてくるひかりのモノローグ。

華恋へのちょっとした自慢のつもりだった
舞台、お芝居、ミュージカル
他の子よりちょっと違った世界を知ってるって
それを見せてびっくりさせたかった
〜8話レヴューシーンでのひかりのモノローグを抜粋〜


ひかりが華恋を演劇の世界に誘ったきっかけが語られていますが、自らの長所を他者を通じてよく見せたいという自己顕示欲が働いている描写だったりします。幼かった彼女にとって、自分の個性を映し出してくれる(理解してくれる)他人こそが華恋だったわけですね。そして、その華恋が「二人でスタァになって、みんなをスタァライトしちゃおう」と言った瞬間、ひかりは舞台少女として生まれた。華恋という他人を通じて、ひかりは「舞台への情熱」を初めて知ることとなったのです。彼女にとって華恋が存在してくれるからこそ、舞台に立つことが出来、自分が何をしたいのかもはっきりと見定めること出来たわけですね。つまりひかりは華恋によって、アイデンティティを獲得したのだと考えられます。



華恋はひかりに舞台という世界に立つことを教えてくれた。しかし、その「ひかり」はロンドンでのレヴューオーディションで失われてしまったのです。ですから、王立演劇学園に通っていたひかりと聖翔音楽学園に転入してきたひかりは同一の存在ではありますが、まったく異なる個性に変質してしまったというべきでしょう。ロンドンでのレヴューオーディションを受けた以後、ひかりはアイデンティティを喪失してしまった。ひかりにとって「一番大切なもの」とは「華恋と一緒に立つための舞台の情熱」だったはずです。華恋がいなければ、彼女は「舞台」に自らの人生を見出すことはしなかった。もっと言えば、「舞台」によって自己を確立することはなかったでしょう。ひかりにとって華恋は「運命を決定付けた大切な人物」であり、彼女が舞台少女たりうる上で必要不可欠な「燃料」だったわけです。彼女の自己形成に大きく関わっているからこそ華恋以外の他者(仲間)は必要としていないし、「孤独」であることの苦悩もまったく感じていない、ということになります。
この点については「一番大切なもの」を失った後も変わっていないわけですが、ひかりはアイデンティティを喪失してしまったために自分が何者であるか、なにをしたいのかわからない状態に陥ってしまったのです。華恋との約束は覚えていても、ひかりという自己が欠落したために、普段の行動にどこか幼さが残ってしまうのもそれが原因であるように思えます。
それでもひかりがレヴューオーディションに参加できるのは、前項でも見てきたように僅かなキラめきが残ったからです。ここまで語ってきた華恋との関係性はひかりの自己形成において中核を担うものであり、同時に「舞台への情熱」へも直結していたものです。ロンドンのレヴューオーディションですべてを失った後もかろうじてキラめきが残ったのは、神楽ひかりという個性を形成する上でその関係性の比重が大きく占めているからでしょう。しかし彼女にはもはや「舞台」に対しての情熱やキラめきは残されていないわけですから、聖翔音楽学園でのレヴューオーディションに挑むひかりを突き動かすものはいったい何かということになります。これについては劇中でも彼女自身が「華恋との約束のため」と明言していますし、何も掘り下げる必要にもないかと思うかもしれません。が、当初からこの作品に掲げられている「執着の物語」に重ね合わせてみると話が違ってきます。



作品に掲げられた「三つの執着」。「舞台」「約束」「少女」、これらの執着によって、「少女☆歌劇レヴュースタァライト」は構成されているといっても過言ではないです。4話感想で華恋とひかりの物語にはこの「三つの執着」すべてが内包されていると説明しました。しかし彼女はロンドンで「舞台への情熱」をすべて失い、ここで言う「舞台への執着」が欠落してしまいます。つまり「約束」と「少女」の「執着」が今のひかりを突き動かす原動力であると言えます。この事の何が問題であるかというと「舞台への執着」が失われしまった以上、彼女の「執着」は「約束」と「少女」へと大きく偏ってしまったのです。もっともキラめいた舞台少女はトップスタァとなり、永遠の主人公となることが約束された「舞台」においてひかりだけは「舞台」ではなく「約束」、突き詰めていってしまえば華恋という「少女」のみに情熱とキラめきを傾けていることになります。レヴューオーディションでトップスタァになることは彼女にとってはもはや意味がないことであり、同時に価値もないことでもあるのです。しかし、ひかりを舞台少女として繋ぎ止めているのもまた「少女」であり、「約束」であるのは事実です。それだから華恋の「二人でトップスタァになる」という根拠のない(かつ一度経験している身としては思っても見なかった)発言も呑み込めてしまえる。「一番大切なもの」を失った彼女にとっては、華恋こそが今もっとも優先すべき「大切なもの」だからです。





華恋が今のひかりの最優先事項であることを踏まえて、この第二幕「華、ひらくとき」でキラめきが再生産されたことを考えると、「舞台への情熱」が再生産されたわけではなく今残っている「少女」と「約束」の執着が再構築されて、彼女のキラめきが再生産されたという事になります。あくまでも「華恋」と一緒の舞台に立つ「約束」によってキラめいているので、失われたものを取り戻したという事ではないのでしょう。無からは何も生じないという言葉があるように、ひかりの「舞台への情熱」はおそらく二度と返ってこないもの、と考えたほうがよさそうです。



かくして「ひかり」を取り戻したわけですが、それは同時に諸刃の剣でもあります。ひかりは「一番大切なもの」を失ったことにより、今度は「かげがえのないもの」を賭け金にして、レヴューオーディションに挑んでいるようなものです。またほかの舞台少女と違い、「舞台」よりも優先すべき「約束」や「少女」の執着があるわけですからキラめきを取り戻せたとしても、ひかりの「アタシ再生産」が済んでしまった今、以前の「ひかり」にはもう戻れないはずです。「舞台への情熱」を失ったまま、「華恋」と「約束」の執着を肥大化させて、キラめきを再生産させた彼女が選ぶ道は今後の注目点と言えるでしょう。




そしてひかりvsばななの裏で、華恋はクロディーヌとのレヴューに勝利。ここまでの彼女については、行動と言動がブレていないといえます。ひかりと一緒の舞台に立つ約束を信じて、二人でトップスタァになれることを信じて、突き進んでいる。敗北することはあっても、そこの信念だけは折れていません。ただ彼女もまたひかりとの約束ありきで「舞台」へと立ち向かっている、という所がネックでしょう。彼女の信念が挫かれてしまった時、物語は大きな転回を迎えることになるはずです。いずれにせよ、最終的には華恋とひかりの二人へと物語が収束されることになることでしょう。


【その『物語』の行き着く先は】


「ふたりでひとつの運命」が至る先。この「ふたりでひとつの運命」というのもアニメ版で初出のフレーズです。舞台版ではパンフレットに彼女たちは幼いころに「運命を交換した」とだけ記載されているというのは前に触れた通りです。該当部分の引用をもう一度、記載します。舞台版パンフレットのキャラクター紹介文です。以下から引用。


まずは華恋。

幼い頃に観たレヴュー「スタァライトに心を奪われ、舞台の道を走り出した舞台少女。
(中略)
過去に『運命』を交換した神楽ひかりと再会した日を境に、謎のレヴューに参加することとなる

次にひかり。

世界最高峰の演劇学校であるイギリスの『王立演劇学校』から編入してきた天性の舞台少女。幼い頃に華恋と共にレヴュー「スタァライトを観劇し、そこで『運命』を交換した。華恋とは幼なじみのようだが、その言動と行動は謎に包まれた部分が多い。何かに駆り立てられたようにレヴューに参加してゆく。


以上、引用。ここに書かれている「運命の交換」が8話において描かれているのではないか、と思われる箇所があったのでまずはそこに触れてみたいと思います。




どうでしょうか、東京タワー内のお土産コーナーでの1シーン。ここで初めて二人は彼女たちのトレードマークである髪留めを購入して、お互いに交換しています。つまり元々は星の髪留めを買ったのは華恋王冠の髪留めを買ったのはひかりなのですね。ひかりがロンドンに行ってしまうため、お互いの友情の証として買ったものだと思われますが、彼女たちがそれぞれ自分で選んで買ったものだという事実は覆しようのない事実です。ですから、星の髪飾りは華恋の選んだ運命であり、王冠の髪飾りはひかりの選んだ運命だと見ると、この物語は最初から捩れていると見ることも十分可能です。またそれを裏付けるカットも同じ8話に存在しています。



ひかりが王立演劇学院の定期発表会で勝ち取った準主役は暴政を振るう皇帝です。それゆえに彼女は王冠を被っているわけですが、先ほどの交換シーンを踏まえると結構、意味深な描写ですね。同時にこの配役が準主役であることも結構重要で4話感想で語った「主役と敵役の関係」も踏まえると華恋とひかりの本来の役どころはどちらなのかという疑問も再び浮かび上がってきます。しかし、アニメ版においては運命は「ふたりでひとつ」だとも明言されているのでどちらがどちら、ということでもないのかもしれませんが、「運命を交換した」ということが正しければ、髪留めを交換した時点でそれは起こっている、と考えられます。つまり購入した髪留めが彼女たち本来の運命であるはずなのです。



そこから飛躍して考えると、王立演劇学院が開催する定期発表会の謎の演目も気になります。大きな手に奪い取られようとする王冠がひかりのレヴュー時の武器であるスティレット(止めを刺すための短剣。「慈悲」の異名を持つ)に刺され、血を流すポスター。この構図はそのまま、定期発表会のシーンとレヴューシーンにも重ねられていきます。これが意味するものは何なのか。



先の説明ではひかりが舞台に取って喰われてしまった(=キラめきを失った)ことの比喩表現ではないかとしましたが、これも一種のミスリードで彼女たちの運命がもし交換されていたとなれば、王冠=ひかりスティレット=華恋王冠を奪おうとする巨大な手=舞台と見立てることも出来ます。つまりひかりが舞台という脅威に呑み込まれてしまうのを華恋が阻止するという構図にも見えます。このように結び付けてみれば、「ひかりの物語」として描かれた8話において何度もリフレインされているこの描写は、物語の最終盤でも繰り返される描写なのではとも推測できそうです。



リフレインされる描写というのを考えると、8話ではこの他にもこのキリンとひかりの描写なんかも、今後どこかしらでリフレインされそうな構図でもありそうですね。リフレイン(反復)されること自体がこの作品において、かなり重要なキーになっていることは前回7話を見ても分かるように、ひかりにもまたその反復描写とミニマルな変化をつけたシーンが重ねられていることに気付かされます。



それで言うとこの写真なんかも、ひとつのフックでありましょう。この写真がひかりに届いていること自体が実はおかしいということにお気づきでしょうか? この写真は第99回聖翔祭のものであることは皆さんもご存知の通りです。この写真が届いているということは、ひかりがロンドンでレヴューオーディションを受けた時期は第99回聖翔祭が行われた以降、つまり華恋たちが進級して、新学期を迎えた頃と一致しているはずなのです。もっと平たく言えば、第100回聖翔祭に向けてのオーディションが始まり、ばなながキリンに誘われたのと同時期の可能性があるということです。ひかりはばななと同じ時間軸を「再演」して聖翔音楽学園に転入してきたか、彼女だけが時間を逆行してばななの「再演」する時間軸に介入した来たかのどちらかになります。どちらにしても、ひかりもまた時間を飛び越えていることが分かります。



ですから、7話のこのシーンはそういったニュアンスを含んだ描写だったわけです。もちろんばななの「再演」が終わり、キリンが新たな段階としてイレギュラー要素であるひかりを介入させてきた描写であることは間違いありません。しかしそれすらも「誰にも予想が出来ない舞台」を作り上げるためにキリンが演出したようにも思えてしまいます。



ひかりがばななに勝利したことで、ばななは「運命の舞台」を「再演」し続ける役目から降板させられた格好になります。一方的(?)に使い捨てられた記号(キャラクター)の物語は幕を閉じ、彼女は大場ななとしての役割を演じなければいけません。しかし前回の感想でも語ったように、現在のところのばななの個性は虚無であることを踏まえると、彼女は「舞台少女」として再生産されなけばならないのです。そのために乗り越えるべき課題はすでに用意されているはずです。課題に対して、彼女がどう乗り越えていくかがポイントとなるでしょう。




戦いには勝利したが、戯曲スタァライトの結末は悲劇。ばななの繰り返していた「再演」はスタァライトがベースになっているので、当然このレヴューオーディションの結末もその悲劇の結末がなぞられる事は分かりきっていることでもある。しかし、それでもひかりはトップスタァを目指さなければいけない。「いつかあの娘と戦うことになっても」 ばななもそれを懸念して、ひかりに問いかけているが彼女には答えが出せない。それは矛盾を孕んだ問いであるから。同じ舞台に立つためにはキラめきが必要で、キラめきを得るためには華恋からも奪わなくてはいけないという矛盾。その時、彼女はどうするか。繰り返される問いにまだ解は見つからない。



しかし、ひかりも華恋も確実に順位を上げていく。この物語の行き着く先を目指して、トップスタァとなるために。どんな困難が待っていようとも、このレヴューオーディションの決着は必ずやって来るのだから。
と、いうのが8話の内容でした。最後にもう一度「運命の交換」というところを振り返って、長かった8話の感想を締めくくりたいと思います。先ほどの8話本編での描写とは違い、OPに含まれている描写について触れておきます。これらもここまで語ってきた解説と考えると見過ごせない描写であると思いますので。



OP終盤の華恋とひかりが手を取り合おうとするカット。立ち位置に注目。左が華恋で右がひかりです。この立ち位置は意図的で、スタァライトのメインキャスト、フローラクレールの立ち位置を踏まえるとより分かりやすいでしょうか。



このようにクレールが左フローラが右というのが定位置となっています。これを踏まえると何度か描写が繰り返されていますが、クレールがひかりフローラは華恋という印象付けがされていることからも、特に立ち位置が重要なことがわかります。しかし件の画像は衣装のデザインから左が華恋で右がひかりであるのが分かります。この立ち位置は1話と4話のスタァライトを観劇している華恋とひかりの構図にも重なってきます。



OPのカットは1話アバンタイトルの座席位置と一緒です。これがどういうことなのか。「運命の交換」ということが正しいのだとすれば、OP終盤のこの描写はこれが正位置だと明示しているのかもしれません。つまり髪留めを交換する以前の本来の運命の立ち位置なのでないでしょうか。



「運命の交換」という事を踏まえると、もうひとつ気になる描写があります。OPには華恋とひかりがそれぞれ髪留めを持つカットが存在していますが、ここでも華恋が星の髪留めを持ち、ひかりが王冠の髪留めを持っています。そして手が触れ合おうとした瞬間、彼女たちが桜の花びらになって散っていく。お互いが相手の髪留めを持っている、というよりは交換した運命が元の持ち主の手中に納まっている描写であると考えると、戯曲「スタァライト」の筋を含めて、「悲劇」という結末がより強調されているような描写が織り込まれているようにも感じられますね。もちろんこれらは憶測の域を出ませんので、外れている可能性も含めて今後どうなっていくかを見ていければと思います。
ともあれひかりサイドの事情が明かされたことで、物語は一段階ギアが上がったように思えます。三幕構成だとするならば、2巻の収録内容は「対立」だったといえますし、次の「解決」に向けて、どのように物語が展開されていくのかを注視していきたいです。というわけで。


次回に続く
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※なお本感想はあくまで個人の印象によるものです、悪しからず。