プリキュアになった少女は何を得たのか?〜「ハピネスチャージプリキュア!」〜(前編)

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どうも。
今回は昨シーズン放映のハピネスチャージプリキュア!について。
ファンの間では10周年記念作品ながら、色々芳しくない評価で定着してしまった作品です。今回はそれをアレコレ言うつもりはなくてですね、「ハピネスチャージプリキュア!」の作品の性質について、自分の思う所を書いてみたいなと思います。だからまあ、作品を読み解く感じでしょうかね。そんなノリで行きたいです。


【手始めに】


それはそうと、とめはねっ!が完結しましたね!



とめはねっ!鈴里高校書道部 14 (ヤングサンデーコミックス)


いやあ、河合克敏先生は職人肌ですよねえ。今作も楽しく読ませていただきました。通しで読むとヒロインの望月結希が作品の肝だったなあと。柔道部でひょんなことから書道部を掛け持ちすることになって、物語が動き出す。しかも望月さん、柔道もムチャ強くて世界大会で優勝できるほどの実力。将来のオリンピック候補選手でもあるんですよ。そんな子でも書道はずぶの素人なわけで。もう一人の主人公、大江縁(こっちは男)くんと書道の世界には入り込んでいきます。

書道なんて地味、と思うなかれ。読み進めればやはり奥の深い世界であり、書も一つの芸術であることがよく分かる内容になってます。ドラマの締めもきっちり序盤のエピソードからきっちり拾ってくる辺り、作家の上手さを感じますし。何よりきれいに完結したなと思わせる作品なのです。

さて。
望月さんです。実はこの作品、読者と同じ目線の持ち主は他でもなく彼女なのですね。大江くんも初心者といえば初心者なのですが、元々字が上手いって設定の子なので。理詰め型と直感型の初心者を揃えている所がこの作品の目を引くべき点でしょうねえ。この作品はそんな二人のナビゲーターを合わせて見ながら、読み進めていく作品だと思います。

注目したいのは望月さんが柔道選手だという点です。書道部という文科系部活を題材にした作品の中で異質な体育会系の登場人物。そもそも河合先生のデビュー作は帯をギュッとね!」という柔道漫画です。だからまあ、ファンの人にはにやりと思わせる設定でもあったりします。

柔道選手、つまりアスリートです。望月さんはさっきも説明したとおり、元々実力のある人で強いわけですよ。もう序盤からやたらめったら強いわけですが、良くも悪くも完成してしまってる。ステータス的にはカンスト状態なキャラ設定なのです。もちろん「とめはねっ!」は書道マンガなので、あまり関係ないといえばそうなのですが…。望月さんのキャラクター性は最初から完成されているので何を上乗せするのか。あるいは望月さんというキャラクターの「余白」はどこなのか。
物語を進行する上でのファクターを捜すことになります。

おそらく「とめはねっ!」の作品を通じて、望月さんに肉付けされたものは「心(内面)」なのだと思います。もっと言えば、「理解」と「気付き」でしょうか。そもそもこの作品のテーマは「読める字をなぜわざわざ読めなくして書くのか?」という所にあります。これは最終巻でも河合先生があとがきや解説でも触れているように、この作品の発端にもなった疑問だそうで。世の中には文字という文字が溢れかえっているし、日本人は識字率が高いはずなのに、です。しかも書道は字を美しく書くことを学ぶためにあるはずなのに、なぜ文字を分かりづらく書くのか?この単純極まりない疑問は物語のナビゲーター二人に投げかけられました。ただ大江くんと望月さんでこの疑問に対するアプローチは大きく異なっています

簡単に言えば、物語の書き手と受け手の関係でしょうか。つまり作者と読者ですね。大江くんは「書道」を通じて、感じ取ったことを「書」にして伝える事を得た。望月さんは「書道」を学んで、柔道と同じく「書」の楽しさや面白さを見つけた。表現方法としての「書」「文字を書く」という身近な楽しさとしての「書」を伝えたい事を表現するために、「書道」の文字は表現者によって形を変えるし、そもそも「書(文字)」を上手に書くことはスポーツと同じく日々の鍛錬が必要なものです。アプローチの差はあれど、「書道」という共通言語をインプットされて初めて気付ける事があるわけですね。

「わからない」というのはあくまで外からの見方で「理解」するにはまず同じ土俵に立つ事が大事。また自分にはなかった物をインプットできたことで、今まで見ていた視点が変わることもよくあることで。望月さんはまさしくそれを作中の経験を通じて体感しています。書道を通じて、それまで大雑把にしか処理していなかった面がきちんと処理出来る様になっている訳ですね。細部に神は宿るという言葉が適切かどうかは分かりませんが、書道によって彼女の内面は細やかさが増したと思っています。それはつまり「こういうことだったのか」とか「このような形になっているのはどうして?」みたいな。今まで気にも留めていなかったようなことを「気付き」、「理解」をすること。以前から積み重ねていたものと新たに始めたものとが出来事を通じて、重なっていく。それが「成長」であると思うのですよね。

望月さんの場合は書道をやることによって、大雑把だった気持ち(心)が整えられた。おそらく柔道のみでは得られなかった「精神的な成長。実はこの望月さんの成長は大江くんの書に触発される形で物語のクライマックスに繋がっています。(一番顕著なのは最終巻書下ろしのエピローグですが)大江くんの伝えたい事を望月さんが自らの成長で受けて止めているのが非常に面白い。そんな青春の機微が感じられる作品となってます。
全14巻と巻数もそこまで多くはないのでぜひご一読を。


【で、なんの話だったっけ……】


ちょっと話題があさっての方向に行ってましたが、
これはハピネスチャージプリキュア!の記事ですw まだ本筋にすら至ってないので、まだまだこれからです。さて。閑話休題的にネーミング周りの話題でも。


愛乃 めぐみ
白雪 ひめ(ヒメルダ・ウインドウ・キュアクイーン・オブ・ザ・ブルースカイ)
大森 ゆうこ
氷川 いおな


ご存知ハピネスチャージプリキュア!のメインキャラたち。ここでは苗字ではなく、名前のほうに注目してみましょうか。名は体を現すということわざがありますがご多分に漏れず、本作においても当てはまります。それぞれの名前を紐解いていくと……、


めぐみ=恵=恵み
ひめ =姫=お姫様
ゆうこ=優子=優しさ
いおな=ヨナ=預言者


と、なります。
ひめは正真正銘、お姫さまだし通名でもあるのでそこまでの意味あまり込められてなそう。ゆうこはプリキュア・ハピネスビックバン」の際の掛け声である、「愛と勇気と優しさ、幸運を込めて!」の「優しさ」担当なので漢字的には間違ってないはず。問題というか気になるのはめぐみといおな

特にいおな
この記事を書くにあたって、ふとどんな漢字が当てはまるのかなと思って調べると、こんなのにぶち当たりました。


ヨナ - Wikipedia
ヨナ書 - Wikipedia


いちいち説明するのもあれなので、詳しくはリンク先をご参照ください。
とはいえ、かいつまんで説明すれば旧約聖書文書の一つ「ヨナ書」の主人公で、預言者日本正教会の読み方ではイオナとなるそうで、どうもひらがな表記が正しいっぽいんですよね。(逆に漢字読みにするなら、当て字にしなきゃいけない)

ヨナ書自体はイスラエルの民(ユダヤ人)の選民思想や特権意識を否定し、啓発する書らしいのですがそれはそれとして。リンク先で注目したいのは、以下の引用。

ヨナ書の主題は、宣教者として神の指示に従わなかったことと、ニネベの人々が悔い改めたことに対して不平不満を言ったことに対するヨナの悔い改め (=神に仕える者としての生き方を正す) と、神は異邦人でさえも救おうとしておられる (=間違った選民思想を正し、異邦人に対する偏見を捨てる。神に仕える者としての考え方を正す) という2つのことである。−wikipedia「ヨナ書」より−


これ、このまま序盤〜2クール終盤のいおなのキャラクター像に当てはまりそうなんですよね。
キーワードだけ取り出してこじつけてみると、


・神(ブルー)の指示に従ってない(というより、プリキュアとして認知されていない)
・ひめのアクシアの箱を開けてしまったことへの(怨みも混じった)不平不満
・その不平不満への自分自身に対する悔い改め


となって、いおなが改めてめぐみたちの仲間になるまでのプロセスの骨子が上の引用なのだと分かります。あと駄目押しにいおなが占いを得意としているのは、ヨナ=預言者であるというのが非常に大きいのではないかと。こういう作りこみは面白いですね。


残るはひとり。本編の主役格のめぐみなのですが、立ち止まって考えてみるとちょっと不思議です。「愛乃 めぐみ」っていう名前の解釈は二つあると思うんです。


ひとつは「愛の恵み」という「愛から発生した恩恵」
つまりめぐみ自体が幸せ(愛)の象徴であるという意味合い。
もうひとつは「愛を恵む」という「愛そのものの贈与」
めぐみが他者に「愛」を与える存在だという解釈。


この二つの解釈を摺り合わせて考えると、


めぐみは愛そのものなのだけど、誰かに愛を与えなければならない


ということになって、一見矛盾した人物像であるのが見えてきます。なにか捩れているんですよね。さらに続けて、プリキュアに変身後のネーミングも見ていきましょう。



キュアラブリー
キュアプリンセス
キュアハニー
キュアフォーチュン



これも当初、名前に一貫性がないと言われていましたが、どれも「恋人や大切な人」を指す言葉だという見方が大勢です。こちらも照らし合わせていきますとこうなります。


ラブリー(Lovely)=(気高く)美しい、心惹かれる、麗しい、愛くるしい
プリンセス(Princess)=姫(王女)、たいへん魅力的な女性
ハニー(Honey=(夫婦間、恋人同士で)いとしい人
フォーチュン(Fortune)=運命の女神


これもなかなか興味深い。
変身前/後のネーミングの意味合いからも一番ブレていないのがゆうこ。特に変身後は近しい間柄で、なおかついつもそばにいてくれる人に向ける言葉を背負ったプリキュアです。優しく、いとしい人。これが彼女のキャライメージになっています。非常に安定感があるキャラクターで作品自体の「重石」としても機能する重要な役割。そばにいるだけで存在感を示して、バランスをとりもつキャラだからこそ内面が揺らぐことがない。というより、変身前も変身後もキャラが一貫しているために描くべき葛藤がまったくないんですよね。本作のメインキャラでも抜きん出て、出来るキャラなのも頷けます。そういうアンタッチャブルな強さを持ちうるからこそ、陰ながら三人を支える事に徹しきってる印象ですね。内面に踏み込む必要がないほど、完成されている。ゆうこの魅力はそこにあるのです。事実、35話のイノセントフォーム覚醒回においても、キャラの内面には深入りをせず、ご飯を通じて「いつもそばにある幸せ」を強調した作りになっていますね。


つづいて、ひめ
彼女もまた分かりやすい。当初は自身の秘めているポテンシャルとプリキュアとしての実績が合致してなかったキャラです。ネーミング的には一番分かりやすくて、設定からしても「一国のお姫様」なので凄く真っ直ぐ。ただ「プリンセス」は将来「クイーン」になるわけで。そういった点では「未熟さ」というのを背負ったキャラでしょう。この作品においては彼女が一番ヒーロー的な「成長」を遂げたのは異論を挟む所はないかと思います。ひめの弱かった部分や欠点はその自分本位な考え方だったり、コミュニケーションが不得手だったり、気弱な面だったりでした。また物語当初のいおなとのぎぐしゃくした関係。アクシアの箱を開けてしまい、世界に災厄を撒き散らしてしまった事への負い目。それら要因が彼女の自信のなさ、あるいは自己評価の低さに直結しているように思います。幼いといってしまえばそれまでですが、彼女の成長に必要だったのは「他者」でした。分かりやすくいえば「友人」の存在が不可欠だったわけです。最初の友達になった、めぐみを通じて「他人の目」や協力し合うことの大切さに「気付く」。そうして人と人が助け合うことの大切さを知り、34話において「人のために役に立ちたい」という心を得ることで、イノセントフォームに覚醒できた。ひめの成長プロセスはきわめて明快なのがよく分かりますし、王道的なシナリオ強度もありますね。ゆうこが性格や内面がブレない一方で、ひめは内面的な成長が一番大きかったキャラだと思います。


この二人に比べ、いおなは趣が少し異なってきます。
彼女の場合、変身前/後のネーミングは一貫して意味が通っている。しかも、Fortuneは後ろにTellerがつくと「占い師」という意味が出てきますし、前述したとおり、彼女はその名前の語源を考える上でも「運命」を背負って持っているのが分かりますね。ただ彼女は上で説明した二人にはない「二面性」を持っているのが特徴的。この「二面性」を語るには、ハピネスチャージプリキュア!」の舞台設定を改めて説明する必要があります。

他のプリキュアシリーズと本作との最大の違いもその舞台設定。それは物語開始の時点から「敵側(幻影帝国)に世界が侵略されている」事です。過去シリーズはどれも「敵側からの侵略の危機にさらされている世界」プリキュアたちはそれを阻止する設定。「ハピネスチャージプリキュア!」では各地で拮抗はありつつも、侵略を許してしまっているわけです。きな臭い言い方をしてしまえば「戦時下」の状況。世界の平和を守る(取り戻す)戦いが現在進行中である一方で、日々の暮らしも変わることなく流れている。割とオブラートに包まれていますが、状況を取り出してみるとかなり過酷な状況です。平和な日常とそれを守る戦いが常に隣り合わせにあるわけですから、プリキュアとしては異質な雰囲気。いおなはこの舞台設定における「被害者」の側面が強く出ているキャラクターでしょう。

物語の当初、彼女は「孤高のプリキュアとして描かれています。彼女がプリキュアになって戦う直接の原因は姉(キュアテンダー)が戦いに敗れ、囚われてしまった事です。姉のまりあを救うべく、この「世界」を是正しなければならない。その為にはとにもかくにも原因を叩き潰すしかない、という論法です。家族を奪われたという直接被害を被った「当事者」だからこそ、徹底的に悪を憎む。世界を侵略する幻影帝国もさることながら、アクシアの箱の封印を解いてしまったひめも憎むべき対象。そんな極端な正義感と復讐心に駆られたヒーロー(プリキュアがシリーズ前半のキュアフォーチュンなのです。憎しみと悲しみを背負って、己が正義を貫こうとする姿はまさしくダークヒーロー。けれど前述したとおり、いおなの物語は「ヨナ書」の概要がおそらくモチーフです。ダークヒーローとしてのプリキュアは否定され、彼女も今までの行いを悔い改めることになります。憎しみや独善で解決しようとするとどこかしらにしこりが残ってしまう。自らの意志で「みんなを守りたい/助けたい」と心から願うことで真の「プリキュア(ヒーロー)」へと彼女は変化しました。

プリキュアとして新生したことによって「氷川いおな」にスポットライトが当たるというのがシリーズ後半の流れ。いおな自体の人物像は「姉思いの生真面目で責任感があり、他人を思いやることが出来る素直な子」といった所でしょうか。後半シリーズで彼女のメインエピソードは24話、32話、38・39話。それぞれ特訓回、イノセントフォーム覚醒回、それにキュアテンダー回。一連のエピソードで描かれているのはどれもいおなの成長です。

シリーズ前半でも和解のきっかけとして「仲間を信じ、力を合わせて戦う事」が描かれていますが、それとはまた少し異なった趣で彼女の精神的成長にパートが割かれている印象を受けます。一口に言ってしまうと、キュアフォーチュンという「運命」に縛られない「氷川いおな」の物語。つまり彼女の二面性というのは「ヒーローとしての強さ」と「姉を慕う少女の弱さ」なのだと思います。背反する二つの個性を結びつけたのは彼女のキーワードでもある「運命」。幻影帝国の被害者となった少女が加害者へのカウンターとしてプリキュアになる。「姉を助けられない弱さ」を「プリキュアとしての強さ」に変換した。プリキュアだった姉が敵に囚われるという「運命」によって「キュアフォーチュン」という枷に繋がれたのです。そう考えるとキュアフォーチュン自体の意味合いがシリーズの前半・後半で違うのも大いに納得できます。

個人的な因縁や怨嗟で戦うよりも自らの意志で人々のために戦うことにシフトしている。いおな自身の物語はその枷が仲間によって軽減されたことで初めて開かれた。従って、彼女のメイン回は「自分らしく」生きる姿が強調されているように思えます。この辺りのイメージの変化は、いおなが作品世界の影響(と被害)を一番色濃く受けていることによるのでしょう。

ここまで説明してきて、お分かりになった方もいるかとは思いますが、実はひめといおなは物語の中で成長した部分が「逆」なのですよね。


ひめは「(元々)弱いヒーロー」「(実は)強い内面」の持ち主だけど、
いおなは「(元々)強いヒーロー」「(実は)弱い内面」の持ち主だったという。


性格の差異はひとまず置くにしても、物語上の性質からすれば、ふたりは好対照ですね。世界に幻影帝国をはびこらせた「元凶」とその幻影帝国の「被害者」という立場からも同じく。ここで冒頭に説明した「とめはねっ!」の望月さんの成長と結びつければ、ひめは自分に潜む内面の強さに「気付き」プリキュアとして強くなり、いおなは自分の弱さを「理解」し、真のプリキュアとして生まれ変わって、仲間たちと日常を過ごすことで「氷川いおな」としての「内面(心)を得た」のです。

そうやって見ていくと、まったく正反対の二人が雪解け(仲直り)する23話はなかなかに面白い。「まったく正反対の二人」なのですよ。長くプリキュアを見続けてきたファンなら、このフレーズにピンとくると思います。そう、初代の「ふたりはプリキュア」の二人が思い浮かぶのではないでしょうか?


美墨なぎさ雪城ほのか
性格も趣味嗜好もまったく正反対な彼女たちが仲違いし、改めてプリキュアとして、また友人としての関係を深めるエピソードにファンの間では名編と誉れ高い、初代の8話があります。その内容の魅力を語るのはまた別の機会に譲るとして、「ハピネスチャージプリキュア!」に立ち返ると、ひめといおなはその初代8話のリフレインを2クールかけて行っていたのだと思います。違うのは物語が始まる以前から、二人の関係が対立してて、和解の余地がなかったことでしょうか。

ちなみに1話のアバンタイトルから登場しているのも「ひめ(キュアプリンセス)」と「いおな(キュアフォーチュン)」。しかもお互いにキャラクターの短所(欠点)が押し出された描写で始まっているのにも注目したいところ。(この描写も「仲違いするプリキュアっていうシリーズのタブーに踏み込んでる、と思う)

これらを踏まえて見ると、初代8話で描かれたキャラ間の揉め事をプリキュア間の仲違いに落とし込んでいるのが分かります。問題点も個人の考えの行き違いによる不理解ではなく、作品世界に影響された不理解に置き換えられています。(性格の違いによるケンカ、というより世界が侵略されてしまったがゆえに発生したいざこざ) さらに裏付けとしてこの二人、どちらも作中ふたりはプリキュアという言葉を投げかけられています。ひめは7話、いおなは13話でそれぞれめぐみ(キュアラブリーから。このように初代8話の構図を物語の入れ子として意図的に組み込んでいるのが非常に面白いところ。最悪な仲の悪さから、少しずつ歩み寄りがあった先に23話の和解があるわけです。

つまり、シリーズ後半のひめといおなの仲の良さって最初から仕組まれていたというのが筆者の考えです。ここだけ見ると、プリキュア10周年作品」らしくもあるのかなと。作品世界の設定も初代8話を「プリキュアサイド」でリフレインするための逆算で弾き出された結果なのかもしれません。


しかしです。
ひめといおなの物語はハピネスチャージプリキュア!メインストーリーではないのですよ。


ここでようやく浮かび上がってくるのが本作の主人公、めぐみです。

彼女はキュアラブリーに変身します。ラブリー(Lovely)というネーミングは、上でも説明しましたが「(気高く)美しい、心惹かれる、麗しい、愛くるしい」という意。本作のプリキュアの名づけテーマは「恋人や大切な人を指す言葉」です。
ですが、ハニー、プリンセス、フォーチュンとそれぞれ指す対象がはっきりしているのに対して、ラブリー(Lovely)自体は形容詞なので、指す対象が明確に「この人」であるということはありません。「美しい人」だったり「愛くるしい人」にはだれかれ使われる単語です。むろん「人」でなく「モノ」に対しても可愛かったりしたら使用される言葉ですよね。その点において、かなり漠然とした曖昧な表現のように感じられます。

そうなのです、曖昧なのですよ。本作の主人公は「愛乃めぐみ」あるいはキュアラブリー。けど「愛乃めぐみ」矛盾した命題をその名に抱えておりキュアラブリーもその名において意味を捉えるには曖昧模糊としているんですよ。こうなると彼女の前口上「世界に広がるビッグな愛」も良く分からなくなってきます。むしろ名前の段階でここまでややこしくなる主人公も珍しいというか。

そもそも彼女は「愛」という非常に捉えようのないものを背負ったプリキュアであるのですね。「概念」を掲げているから、難しくなるのだと思います。同じく概念を背負った「スマイルプリキュア!」のキュアハッピー星空みゆき)がいますが、彼女は「ウルトラハッピー」といつも言っているようにそこの主張は一貫してたわけですし、言動と行動が一致してたわけです。けど、めぐみはここまで語ってきたように、変身前/後も「愛」を背負っているにも拘らず、実体が掴めず、揺らいでしまうのです。この実像の「揺らぎ」は作品全体を支配するものでもありますし、なによりめぐみ本人の問題点に他なりません。


愛乃めぐみとキュアラブリー
本記事はハピネスチャージプリキュア!の主人公である二つの存在を語るお話です。しかし、ここまでたどり着くための前段階で相当な文量を費やしてしまいました。まことに申し訳ないのですが、ここまでで前編と区切らせていただきます。
後編でがっつりと彼女のお話を語りたいので、今しばらくお時間をいただきたいと思います。ここまで難産な題材も、筆者にとって初めてのことなので、後編書き上げるのも相当時間がかかりそうですが。
それでは後編をお楽しみに。
さあ、これから頑張って書くぞー



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