【予告編】アニバタ Vol.8 [特集]魔法少女まどか☆マギカ

久々に記事などを書こうかなと思いまして。
先だってまず告知を。


同人誌に寄稿しました。
アニバタ Vol.8 [特集]魔法少女まどか☆マギカ | アニメ・マンガ評論刊行会


締め切り2週間前にお話をいただきまして、書きましたよ。
構想三日、執筆四日で約9000字書きました。
ネタの方は、えーまあ。
あの「劇場版魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」を見た人で昔のアニメも見てるよ!
って人なら、誰もが思うネタかと思います。
それを自分なりに書いてみました。
まあ、リンクの目次で自分の寄稿した原稿のタイトルを見ればすぐ分かるかと。
興味のある方は是非どうぞ。


って、告知だけじゃなんかあんまり記事更新する意味もないので。
今回は予告編という形で、ほんの少し語りたいと思います。
原稿の中身は読んでからのお楽しみ、としたいんですが。
そればっかりじゃ味気ないですしね。
自分の原稿を少し紹介できればそれが一番いいんでしょうけども、まあそれはそれとして。
もう少しだけ「劇場版魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」をちょっと語りたいと思います。
実はアニバタさんの原稿とは別に考えてるネタもあるんですが今回はオマケみたいなものです。
先に読んでもよし、後にも読んでよし。みたいな感じでよろしくお願いします。
ではぼちぼち始めましょう。


《結局、「劇場版魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」ってどうだったのよ?》


ええ、まあのっけからアレゲな見出しですが。
結局、見た感想はどうだったのってお話から始めましょうか。
自分は一応TVシリーズは全部視聴してて、劇場版前後編は見に行かず、「叛逆の物語」を見に行ったクチです。

で、見た感想としては「潔いが御免こうむりたい」という感想でした。
自分の採点を言っちゃうとアニメーション部分50点満点、ストーリー部分50点満点中5点な印象でしょうか。
映像は本当に凄かったと思います。
劇団犬カレーを起用した、ガッサガサでトラッシュな画面作りはドラッギーな快感を得る映像体験だったと思います。
変身シーンだけなら何度見たいという気分にはなりますね。
ホントに背景美術やアニメ演出の部分では非常に見ごたえのある「アニメーション」でした。


逆にストーリーラインはというと、この作品の「叛逆の物語」たる所以であるシーンまでは段取りが長くて。
面白いなと思えたのは「叛逆の物語」となって時点からなんですよね。
であるから、暁美ほむらというキャラを考察したいという観点で寄稿文は書きました。
実は暖めているネタも同じくほむらがメインです。


結局、まどマギという作品は「ほむら」というキャラがいなければ、成立し得なかった作品だと感じています。
モーツァルトに対してのサリエリみたいな、天才にたどり着こうとする凡人の物語みたいな。


でまあ、なんで自分は「御免こうむりたい」のか。
ひどく感覚的な物言いになりますが「殻に閉じこもることが心地いいと肯定している」のが自分はイヤだからです。
絶望を肯定しているというか。
絶望を希望と見なして、未来を見据えるというか。
なにか自己完結した価値観で物語が終わってしまっているので、「それは潔いが自分は御免だ」と感じたのです。


もちろん暁美ほむらというキャラは非常に興味深い。
しかし、彼女の得た結論が自分には納得のしがたいものである、ということなのです。


異論はもちろんあると思いますが、自分は「叛逆の物語」を見終えて、そう感じました。
ただそれを突破口にすることで、物語に深みを得ているのも確かなので難儀な作品だと思います。
そこを感じ取って、ある感想では「エヴァ」を超えているという論評にもなるんでしょう。


《さて、「シンエヴァ」はどうなるか》


寄稿文でもさらっとは触れているのですが。
書くスペースが足りなかったので落ち穂拾い的に少しだけ。


2013年はジブリ映画も宮崎監督、高畑監督揃い踏み、更には新海誠監督の新作も公開になっています。
非常にアニメーション映画がにぎやかな年でもあったと思います。
そういう点では「叛逆の物語」も華を添えています。


でまあ、「風立ちぬ」とか「かぐや姫の物語」とか「言の葉の庭」とか「叛逆の物語」を見て思うわけです。
エヴァ最終章となるだろう「シンエヴァ」はどうなるのか。
いつ公開になるかもまだ定かではないですが、「あの」エヴァをどう終わらせるのか注目が集まるところ。


色々想像は駆け巡りますが、ふと思います。
前述の13年公開作品に逃げ道全部潰されてねえか、「シンエヴァ」?と。


よく考えるとです。


風立ちぬ」は彼岸から一人の男の仕事人生を描いた作品で、
かぐや姫の物語」は色々選択は出来たのに選ばずに人間を全うすることが出来なかった女性の作品で、
言の葉の庭」は大人と子供という観点で、「若さ」を語った物語だろうし、
「叛逆の物語」はそれこそ、ほむらとまどかが同一の存在に立つことで世界の安定を得る話。


さらにいえばオタクと社会の問題で言えば「旧劇エヴァ」が真っ向から向かって撃沈してます。
オタクがオタクでありながら、「大人になる」事を描いた「トップをねらえ2!」なんてのもあります。
さらに「エヴァQ」ではシンジとカヲルといったホモソーシャルで問題は解決できないとも語ってしまっている。


じゃあ「シンエヴァ」は何が語れるんだろう。
穿ち過ぎかもしれないけど、逃げ道は塞がれてしまっているんですよね。
「叛逆の物語」が「エヴァ」を突破した先にある、ほむらとまどかの百合空間だとしても、
「シンエヴァ」の描く突破口にはなりえないんですよね。
それをやってしまうとただの二番煎じになってしまうからです。


ここまで考えが及んだ挙句、「シンエヴァ」の突破口となりえる価値観とは何か。
……話は簡単でした。
なにせTVシリーズの中に答えがあったからです。
エヴァ新劇」はTVシリーズを基調として、リビルドとされてますよね。
「Q」では「EOE」を臨界点突破する形で描いてしまった。
けど、「Q」は「EOE」にならなかった。
アスカもレイもいて、シンジも生きている。
あの「EOE]の絶望に満ちた結末とは別の「最後に希望が残った」形になっている。
そこが大事だったんです。
少し考えれば、「エヴァ新劇」ではTVシリーズの印象的なシーンがここぞとばかりにリファインしてるんです。
にもかかわらず、まだ描かれていない大ネタが残っているのに気付きませんか?
アレですよ、アレ。


「瞬間、心重ねて」のシークエンスがまだ残ってるじゃないか!



結構、自分には盲点でした。
「Q」で男だけでの解決も否定し、
また「叛逆の物語」のような女性しかいない結末もありえないとなると、
必然的に「男と女の心の重ねあい」に行き着くんじゃないかなと思うわけです。


懸念としては、それをきちんと描いてくれるのかどうかということなんですよね…。
そこだけが心配です。
でもこれ以外に道はないんじゃないか、そう思えてならないんですよね。
個人的な観測なので、どうなるかは分かりませんとはだけは付け加えておきます。


もっと思わぬ方向へ行くかもしれませんし、
無難に終わるのかもしれません。
そればっかりは出来上がったものを確かめる以外にありませんから。
こうやったあれこれ想像するのが公開までの楽しみといいますか。
公開後、こういう妄想こねくってたと笑ってみていただければ、それもよしです。



《終わりに》
とまあw
アニバタさんへの寄稿文の予告編と、書き切れなかった部分を補ってみました。
「叛逆の物語」や寄稿文の内容とは大分離れてしまいましたが、そういうものです。
ぶっちゃけ本文に必要ないと結局省いたものですから、話題が遠くなるのはいたし方ありませんねw

そんなところで冬コミで委託販売される「アニバタ Vol.8 [特集]魔法少女まどか☆マギカに寄稿してます。
自分の寄稿文も気軽に読んでいただければ幸いです。
それではまた次回。