『あなたとわたしの物語』~ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会~

f:id:terry-rice:20201019012126j:plain


誰かが誰かと向き合えば、そこに物語は生まれる。これはそんな些細な物語だ。

この所(20年秋)ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を面白く見ている。サンライズが制作する「ラブライブ!」シリーズの第三作にして「ラブライブ!」の冠を脇に置き、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」(以下、『虹ヶ咲』)を前面に押し出した外伝的な作品だ。

作品タイトルの付け方からも分かるように今までのシリーズとはやや趣を一新して物語展開されている作品なので、前二作を見ていなくても新規にも入り込みやすい作品だろう(ご多分に漏れず、筆者もそのクチである)。同時に今までの作品とは異なった道筋を辿る物語となる事は間違いなく、さらには作品企画の根幹に関わる所を描いたものとなっていく印象も持った。それが記事タイトルにも示した『あなたとわたしの物語』だと筆者は考える。


gs.dengeki.com
www.lovelive-anime.jp


本作の特色としては、スマートフォンゲームアプリラブライブ!スクールアイドルフェスティバルオールスターズ』のプレイヤー視点キャラ(というよりアバターだろうか)である「あなた」をキャラとして具現化している点だろう。物語は高咲侑と名付けられた「あなた」を狂言回しとして、スクールアイドルとなる9人の物語が繰り広げられていく。観客や視聴者と近い立場のキャラクターを配置し、物語を描いていく構図は創作において手垢のついた、あるいはよくありがちな形式として存在しているが、そこに本作の仕掛けと攻めの姿勢を見出すことが出来る。


f:id:terry-rice:20201017210250p:plain


特に第1話のこの場面には作品の意思表明を感じる。侑と幼馴染の上原歩夢がスクールアイドルにキラめきを感じ、自分もなってみたいと宣言するシーン。それまで歩夢は「好きなものを好きだ」と言う事を躊躇する類の少女であったが、侑がスクールアイドルにキラめきを感じ、のめり込んでいく様を見て同じようにキラめきを覚え、スクールアイドルを「やってみたい」という気持ちが芽生えた自分を偽らない事を心に決める。そうして歩夢は侑を相手取って、パフォーマンスしてみせるという流れはこの作品で表したい事が端的に示された描写だ。


f:id:terry-rice:20201017210325j:plain
f:id:terry-rice:20201022011534p:plain
f:id:terry-rice:20201022010447p:plain


歩夢と侑の間にはステージと客席が明確に存在している。もちろん物語上の見立てであることに異議を唱えるものはいないと思うが、侑と歩夢の立ち位置はまさしくスクールアイドルとファンの関係性だ。ステージでパフォーマンスするアイドルとそれを客席から見守り、応援し楽しむファンの距離感。こういったアイドルが題材の作品において恐らく頻出している関係性、距離感を『虹ヶ咲』では取り入れている。というより「キャラクターとしての『あなた』」である高咲侑を生み出した時点で、作品あるいは物語の方向性は決まっていたのかもしれない。少なくとも『虹ヶ咲』の世界に『あなた』はキャラクターとしての役割を与えられ、物語を動かす原動力の一つとなっている。


f:id:terry-rice:20201023162732j:plain


ステージ、舞台と観客席の相互関係はそのまま現実と虚構の境目でもある。演劇にしろライブパフォーマンスにしろ、観客と演者の関係性によって、そこに繰り広げられる舞台は日常から非日常へと切り替わっていく。「ラブライブ!」シリーズにおいて、その切り替わりを強く感じられるのはおそらくライブイベントだろう。アニメのキャストがそのままアニメと一緒のライブパフォーマンスを見せることで、観客席にいるファンは現実に(キャストの演じる)アニメのキャラクターが現実に現れたような体験をすることとなる。こういった再現性の体験が昨今流行している2.5次元舞台など大きな魅力の一つとなっているのは言うまでもない。

アニメの『虹ヶ咲』で目を引くのは、このステージと観客席の相対性をアニメの物語の中に溶け込ませている点に尽きる。TVアニメという媒体がすでに我々の日常に対し、非日常的な創作の世界であることを逆手にとってアニメの中で演者と観客の関係性を描こうとしている物語なのではないかと、そんな風に見えてくるのだ。であるからこそアニメの世界で行動する『あなた』、つまり高咲侑が生まれたのではないかと想像する。


f:id:terry-rice:20201023180253j:plain


『虹ヶ咲』の世界に高咲侑という『あなた』が存在しているという事は、翻って『あなた』と虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の面々との距離感や関係性が生まれるという事でもある。アニメの登場人物となった『あなた』であるからこそ、物語の主体となる9人とは同じ世界に存在し、同じ作品の舞台に立っている。これにより物語上の登場人物である『あなた』がキャラクターと交流するのを眺める『あなた』(=視聴者=ファン)という二重の構図が生まれることになり、高咲侑は『あなた』という性質を持ったキャラクターとして独り歩きしている事が分かる。

この辺りは美少女ゲームをアニメ化する際にプレイヤーキャラ(男性)をどうアニメ化するのかという問題と同様、キャラクターと同じ舞台に立つファンの代弁者としての『あなた』である一方で、高咲侑という独立したキャラクターである事の齟齬は明確に存在している。しかし『虹ヶ咲』の視聴者である『あなた』は画面の中にいる『あなた』を導線にして、自然と物語に入っていくことが出来るのだ。もっと言えば「アイドルマスター」シリーズのプレイヤー代入キャラであるプロデューサーと同種のキャラクター立てが高咲侑に施されていると考えれば、物語の見渡しが良くなるのではないだろうか。


f:id:terry-rice:20201023191737p:plain


『虹ヶ咲』がその物語の骨子にスクールアイドルとファンの関係性を据えるならば、そこに見えてくる物語のもおのずと見えてくる。1話の侑と歩夢もそうであったが、2話で描かれる中須かすみのエピソードもまたその物語骨子によって、展開されるストーリーだ。

カワイイをモットーとするかすみは後述する優木せつ菜の独断により廃部になった虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を諦めることが出来ず、侑と歩夢を引き入れて水面下でスクールアイドル同好会の活動を再開させる。その中で、PR動画を撮ることとなり、歩夢の演技に厳しい指導を付けてしまう。


f:id:terry-rice:20201023211123p:plain


しかしそれは以前、練習時にかすみが反発した際、せつ菜に叱咤された行為と同じものであった事に気付く。せつ菜同様、彼女もまた他人に自らのモットーを押し付けてしまっていたと気付く。


f:id:terry-rice:20201023213528p:plainf:id:terry-rice:20201023213534p:plainf:id:terry-rice:20201023213543p:plain


エピソードはかすみのスクールアイドル同好会への想いとスクールアイドルとしての信念が語られる中で「どうありたいのか」が焦点となっていく。しかしそれは自問自答では解き明かされず、他者というフィルターを通すことで解消されていくこととなる。つまり侑との対話によって、なのだ。彼女が奥底にあるわだかまりを吐き出すのを侑は受け止める。

画面の構成として侑と一対一の対話になった時、エピソードの主役になるキャラクターの問題点が炙り出されていく。それは1話冒頭の侑と歩夢のウィンドウショッピングの会話から徹底されているが、『あなた』(=ファン)という性質を持った侑を前にして、「『わたし』(この場合はかすみ)はどうしたいのか?」と投げかけられている。


f:id:terry-rice:20201023215952p:plainf:id:terry-rice:20201023220114p:plainf:id:terry-rice:20201023215949p:plain


「一番大切にしたいものがあるから」スクールアイドルがやりたい。けど自分の思うカワイイは譲れない。侑はそんなかすみの想いを肯定して、それぞれ違う価値観は共存できるはずと背中を押す。ファンはアイドルの「好き」を否定しない。ゆえにアイドルはキラめいていられるし、ファンはそのトキめきを受け止めてくれる。


f:id:terry-rice:20201023220057p:plainf:id:terry-rice:20201023220152p:plain


自分の在り方に迷う必要がないと気付けたからこそ、かすみはスクールアイドルとしてステージに立つ。『あなた』(=ファン)がいるからこその『わたし』だからだ。

以上からも分かるように侑はスクールアイドルに魅了された人間だからこそ、アイドルを全肯定するのだ。それは侑の「熱中できるもの」とイコールであり、だからこそ反対にアイドル(歩夢・かすみ)側から見れば、『あなた』(=侑)は『わたし』を承認してくれる存在でもあるのだ。『あなた』がいるからこそ頑張れる、スクールアイドルとしてステージに立てる。応援してくれる人に対して、応えるのがスクールアイドルだとすれば、『わたし』が『わたし』である理由はなにか、という事のが求められている。『虹ヶ咲』における侑との対話にはそういうニュアンスが含まれているように思えるのだ。


f:id:terry-rice:20201023231453p:plain


3話では優木せつ菜にそのスポットが当たるが、侑との関係性はさらに顕著となる。前述の通り、侑と歩夢たち(虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会)の関係性はファンとスクールアイドルの関係性であるのは間違いないのだが、侑とせつ菜においてはその掘り下げ方をさらに深く推し進めたように見えるのだ。3話でのせつ菜と侑の位置関係が舞台と観客席というアイドルとファンの構図から外れているのが上記の画像からも分かるだろう。


f:id:terry-rice:20201024000426p:plain
f:id:terry-rice:20201024000503p:plain


その理由は明らかで、1話序盤の段階で侑とせつ菜の関係性は既にファンとスクールアイドルとして始まっているからだ。

せつ菜もまた前述のかすみとの一件によって、自分の理想を相手に押し付けすぎていた事に気付き、その幕引きの為に最初で最後のライブを披露した。しかし、それを見た侑がすっかり優木せつ菜というスクールアイドルに魅了されてしまい、大好きになってしまった。せつ菜が終わらせるつもりだったスクールアイドルに侑はなにかの始まりを見てしまった、という対比が良くも悪くも一線を画している。


f:id:terry-rice:20201024000535p:plainf:id:terry-rice:20201024000539p:plain


せつ菜(=アイドル)の視線の先に侑(=ファン)がいて、侑はせつ菜が見つめる視線とパフォーマンスに心奪われてしまう。アイドルとファンの視線が重なり合う事で生まれる、会場の熱狂。その高まったボルテージこそ、スクールアイドルとファンが一体となる、共犯関係となった瞬間だと言っても過言ではないだろう。侑はせつ菜からその位の熱量を浴びたのだ。


f:id:terry-rice:20201024010006p:plainf:id:terry-rice:20201024010023p:plain


せつ菜から浴びた熱量によって、侑の心に火が付いたのは言うまでもない。心象風景ではあるが、この時せつ菜の放ったプリズムが侑の体を通っている。これが極めて重要な描写なのだ。『わたし』が『あなた』をトキめきかせる。それはアイドルとファンという関係において、単純かつとても純粋なエンゲージだ。せつ菜からトキめきをもらったからこそ、侑の「大好き」が生まれた。『虹ヶ咲』という物語の始まりはまさにこの瞬間からだったのではないだろうか。


f:id:terry-rice:20201025002855p:plain


とどのつまりスクールアイドルとファンの関係性を最小単位に突き詰めていけば、『わたし』と『あなた』なのだ。『虹ヶ咲』はその関係性を内包した物語であるという事は冒頭にも触れているが、3話における侑とせつ菜(中川菜々)の対話はまさにその真骨頂ともいえるだろう。2話で描かれたかすみとの一件で自らのスクールアイドル観に挫折して、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を独断で廃部し、自らもスクールアイドルを諦めようとしていたせつ菜に向かって語りかけるのは、もちろん彼女からトキめきをもらった高咲侑だ。


f:id:terry-rice:20201025002921p:plainf:id:terry-rice:20201025002926p:plainf:id:terry-rice:20201025002954p:plainf:id:terry-rice:20201025002959p:plain


「『わたし(中川菜々)』の諦めた『わたし(優木せつ菜)』を認めてくれるの?」と問いかける少女に対して『あなた』(=侑)はもちろん受け止める。なにしろ侑の「大好き」はせつ菜によって生み出されたものだからだ。ひとりのスクールアイドルから生まれたひとりのファン。『わたし』(=スクールアイドル)を見つけて / 認めてくれた(初めての)『あなた』(=ファン)という構図こそ、高咲侑が物語で背負わされている役割なのだろう。

『あなた』という受け手が存在して初めて、『わたし』という物語が動き出す。これは単純な二者間を交差する物語ではない。これはアニメという媒体を通じて描かれる、プレイヤーとオーディエンスの物語なのだ。プレイヤーが輝くためにはそれを見てくれるオーディエンスが不可欠であり、オーディエンスがいなければプレイヤーは存在できない。だからこそせつ菜は『わたし』が『わたし』である必要を否定しようとしていた。


f:id:terry-rice:20201027224132p:plain


彼女にとっては「ラブライブ!」という夢の舞台を目指すことが『わたし』の存在理由であり目的である反面、それはオーディエンスの姿を見てないのも同然だったと言える。かすみに反発されたように、自分の目的と「大好き」に折り合いをつける事が出来ず、スクールアイドル同好会を廃部にしてしまうのも『わたし』が『わたし』である事に自己完結してしまっていたからだ。『わたし』を見ている『あなた』に気付かず、1話のたった独りのステージで幕を下ろそうとしていた。


f:id:terry-rice:20201027234703p:plain


しかし、そのせつ菜から「大好き」を受け取ってしまったのが侑なのだ。優木せつ菜という『わたし』の物語が閉じようとしていた矢先に、高咲侑という『あなた』が現れた。せつ菜に内在する『わたし』の存在理由とは別に、『わたし』が『わたし』である事に価値を見た『あなた』が、優木せつ菜の物語へと入ってきたのだ。


f:id:terry-rice:20201027221841p:plainf:id:terry-rice:20201027221859p:plain


ラブライブ!を目指さなくたっていい、優木せつ菜という『わたし』が『わたし』である事を大好きだといって憚らない『あなた』がいて紡がれる物語はスクールアイドルとファンが共に歩んでいく物語だ。『あなた』が『わたし』を見て、『わたし』が『あなた』に応える物語。お互いがお互いに受け取った声援によって、一つの舞台が作り上げられていく物語なのではないかと、思わずにはいられない。


f:id:terry-rice:20201023231453p:plainf:id:terry-rice:20201028015633p:plainf:id:terry-rice:20201028015639p:plain


せつ菜と侑の場合、それが歩夢やかすみよりも強固に表れている。それは侑の心に火を付けたのがせつ菜であることからも明らかであるが、1話、2話に見られる舞台と観客席の関係から一歩踏み込んで、舞台を舞台袖から見守るファン(=プロデューサー?)という関係に見えてしまうのはなんら間違いではないのだろう。それこそ『虹ヶ咲』が『あなたとわたしの物語』であり、『あなた』によって『わたし』が形作られる物語でもあるからだ。『わたし』が『わたし』であることを『あなた』が支えてくれる、だからこそより一層強い輝きを得ることが出来る。たくさんの『あなた』たちへとトキめきを与える『わたし』となるためには『あなた』が必要なのだ。


f:id:terry-rice:20201027221914p:plainf:id:terry-rice:20201027221930p:plain


その意味でこの描写も非常に重要だ。せつ菜の放ったプリズムが侑を通り抜けて返ってきたと解釈すれば、侑がせつ菜から貰った「大好き」を、今度は彼女自身が受け取っているのだ。せつ菜を通じて、スクールアイドルのファンとなった侑が改めて、その「大好き」をせつ菜へ向けて放つ。そんな恩返しの描写なのではないだろうか。侑は画面にこそ映ってはいないが、優木せつ菜という『わたし』が戻ってきた中川菜々であると考えれば、すれ違っていた二つの自我が『あなた』である侑によってふたたび重なり合う事が出来たと見ることは可能だろう。


f:id:terry-rice:20201028224435p:plainf:id:terry-rice:20201028224441p:plainf:id:terry-rice:20201028224446p:plain


『あなたとわたしの物語』
誰かが誰かと向き合い、生まれる物語。『虹ヶ咲』とはそういう物語なのだ。広く捉えればプレイヤーとオーディエンス、アイドルとファン。突き詰めていけば、『あなた』と『わたし』という二者間の物語。しかし、『虹ヶ咲』という作品の主体になるのは『わたし』という個性だ。『わたし』というスクールアイドルが主題である以上、ファンである『あなた』は『わたし』を盛り立てる存在以上のものではない。現に1~3話のエピソードで描かれるそれぞれの『わたし』たちは、物語上のである高咲侑を通じて『わたし』である理由を得て、スクールアイドルとして舞台に立つ『わたし』を見ている。『わたし』たちの紡ぐ物語に『あなた』は不可欠であり、ステージには舞台と観客席がなければ成り立たない。では、ステージに立つ『あなた』たちを見る『わたし』はどうなるのか? 


f:id:terry-rice:20201028233954j:plain


『虹ヶ咲』が『あなたとわたしの物語』であるのなら、逆に観客席から『あなた』たちを眺める『わたし』という問題はやはり直面せざるを得ないだろう。これを書いている時点で作品の放映は4話まで進んでいる。今後、物語はどのように展開されていくのかはまだ分からないが、一通りの『わたし』たちの物語が語られた後、『あなたとわたしの物語』が逆から語られることによって、『虹ヶ咲』という物語は結ばれるはずだ。『あなた』と『わたし』が共に歩んだ先に見える、一つの舞台を作り上げる物語であればこそ、高咲侑という『わたし』がスクールアイドルである『あなた』たちに何を見るのか。そこを楽しみにしつつ、筆を置きたい。


音楽鑑賞履歴(2020年9月) No.1389~1398

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
先月に引き続き「鑑賞履歴」のみを残す形で運用しています。今月も10枚。以前のペースには程遠いですが聞けているペースになってますね。さて、新規購入分はともかくすでに所持しているアルバムについてはどう表記したものかと考えたのですが、

引用機能を使って囲っているアルバムは所持盤です


このようにしてみました。この辺もおいおい試行錯誤して見やすい形にしていけたらと思います。
というわけで以下より履歴です。


Episode

Episode

  • アーティスト:Stratovarius
  • 発売日: 2003/04/04
  • メディア: CD



Visions

Visions

  • アーティスト:STRATOVARIUS
  • 発売日: 2014/02/11
  • メディア: CD


回帰線

回帰線

  • アーティスト:南正人
  • 発売日: 1999/09/22
  • メディア: CD


「ニュームーンに恋して/Z女戦争」

「ニュームーンに恋して/Z女戦争」



できれば愛を(初回限定盤)

できれば愛を(初回限定盤)





MICROPHONE PAGER

MICROPHONE PAGER

※以下は抜粋版。

It's Uptown

It's Uptown

  • アーティスト:Benson, George
  • 発売日: 2001/06/20
  • メディア: CD




音楽鑑賞履歴(2020年8月) No.1379~1388

月一恒例の音楽鑑賞履歴。

今回から記事の内容をやや方針転換。
記事タイトル通り、「鑑賞履歴」のみを残す形にしてみました。
なんといいますか、義務感に駆られてレヴューを残そうとして、聞く枚数が少なくなったら元も子もないなあと思いまして、それだったら感想書かなくてもいいかなという結論になりました。
ひとまずなにかしらコメントをつけることを止めてみて、また書きたくなったら書く方向にしてみたいと思います。Twitterの方でその時聞いてるものについての反応を呟いていますので見かけたらご覧ください。まあ、そのおかげか、8月は10枚ほど聞けてます。

というわけで以下より履歴です。


GAME

GAME

  • アーティスト:Perfume
  • 発売日: 2008/04/16
  • メディア: CD


トライアングル(通常盤)

トライアングル(通常盤)

  • アーティスト:Perfume
  • 発売日: 2009/07/08
  • メディア: CD


『MOON PRIDE』[セーラームーン盤(CD+Blu-ray)]

『MOON PRIDE』[セーラームーン盤(CD+Blu-ray)]




JPN(通常盤)

JPN(通常盤)

  • アーティスト:Perfume
  • 発売日: 2011/11/30
  • メディア: CD



Anthology Vol.1

Anthology Vol.1


センチメンタル通り

センチメンタル通り


Land of the Free

Land of the Free

  • アーティスト:Gamma Ray
  • 発売日: 1998/08/04
  • メディア: CD



サムホエア・アウト・イン・スペース

サムホエア・アウト・イン・スペース

音楽鑑賞履歴(2020年7月) No.1378

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
7月も1枚。
8月も10日過ぎて書く記事なのでどうしたもんかというところですが。
とりあえずは来月からちょっと記事内容を考え直した方がいいかもしれない。
もう本当に「履歴」のみにしてしまうかとも。
記事自体が定期更新用のものなので、ここらで仕切りなおす必要があるかもしれません。


というわけで以下より感想です。


魅力がすごいよ(通常盤)

魅力がすごいよ(通常盤)

14年発表1st。初のフルレングスアルバム。前段階で発表してきたミニアルバムやシングルで培った方向性をよりブラッシュアップして、ポップスとしての完成度を高めてきた一作。もはやトーキングラップのような初期に見られた要素はなく、ハイテク歌ものの印象がとても顕著に表れているか。
川谷絵音の良く言えばナイーヴ(悪く言えば女々しい)な歌詞が前面に出ていて、そこに洗練されたウェットなメロディがバカテクな演奏によって繰り広げられるのが聞きどころだろう。聞きようによってはプログレ化したシティポップやAORといったサウンドと取ることも可能だろう。
恐らくはメンバーの音楽的なバックボーンが豊富だろうからこそ、様々なスタイルの楽曲にチャレンジできるのが最大の強みだろうし、ラテンやジャズ、ヒップホップにクラシックが交じり合って成立してるハイセンスJ-POPといった趣か。歌詞内容とともに一気にキャッチーになった感のある一枚だ。

劇場版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」+α インプレッション

f:id:terry-rice:20200807181324j:plain


見に行ってまいりました、劇場版「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」

再生産総集編という触れ込みの通り、TVアニメ12話を再構成、新規パートを差し込んだ構成でしたが一筋縄でいかないこの作品です。やはり仕掛けてきました。というわけで、インプレッション記事をざっと。

先日ネット配信されたオンライン公演(通称は舞台#2.5、でいいんだろうか?)にもやや触れつつ、見ていこうと思います。なお完全にネタバレなので、とりあえず以下に「続きを読む」を配置しておきます。その点を了承しつつご覧ください。

続きを読む

ヒーリングっど♥プリキュア Karte.13 (Twitter)

f:id:terry-rice:20200710232319j:plain



前回へ
次回へ

音楽鑑賞履歴(2020年6月) No.1377

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
6月は1枚。
実はSpotify視聴に集中しすぎてて、実は0枚なんですがそれはそれとして。
いや、ちゃんとフィジカルで聞きたいんですけどね、ホントは。じっくり聞く時間を作って、ということがなかなか出来ずじまいでして。で、Spotifyで何を聞いていたかというとスティーヴィー・ワンダーの初期キャリアとか、月後半過ぎてからDUBから入って、ルーツレゲエやロックステディの世界にどっぷり浸ってて、抜け出せなくなりといった感じ。いや、自分にとって新しいものに触れる楽しみは完全にSpotifyに行ってしまってて、なかなか難しいところなんですが、購入してるものもきちんと聞いていきたいものです……。
というわけで以下より感想です。


Hombre: Rudy Van Gelder Remasters Series

Hombre: Rudy Van Gelder Remasters Series

  • アーティスト:Martino, Pat
  • 発売日: 2007/02/06
  • メディア: CD
・67年録音盤。白人ジャズギタリスト、パット・マルティーノのデビュー作。洪水のように溢れ出てくるフレーズをこれでもかとこねくり回すプレイスタイルが特徴で、切れ目のないソロ演奏は流麗そのもの。ジャズギターの典型的な編成であるベースレスのオルガンコンボ(にコンガ・ボンゴ)にフルートが入る構成。
発表された当時の時節柄か、マルティーノ独特の浮遊感のあるジャズギターはスピリチュアルというか、時にトランシーでもあり、瞑想に浸るような酩酊感も味わえる。後の長尺的な演奏はないものの、マシンガンピッキングとも呼ばれる、はっきりと彼の個性を感じ取れる処女作なのではないかと。