音楽鑑賞履歴(2019年1月) No.1292~1298

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
7枚。
調子が上がりませんね。いろいろとネット上のタスクを自分で増やしてるせいなので、致し方ありません。

今回から2019年、はてなBlog移行後の鑑賞分となります。なもので、一発目がマーヴィン・ゲイなのも、ブログの看板替えが影響したチョイスです。70sソウルが多目な鑑賞履歴になっています。今年も楽しく聴いていきたいなと思います。また今年から試験的にSpotifyの埋め込みも添付してみることにします。面倒になったらやらなくなるかもしれませんが、試聴できるようになればいいなと思いまして。またストリーミング解禁されていない作品についてはリンクを貼っていませんので悪しからず。

というわけで以下より感想です。


What's Going on

What's Going on

・71年発表13th。いわゆるニューソウルの歴史的な一作。泥沼化したベトナム戦争を背景とした反戦的なコンセプトアルバムでもある。当時のモータウンにおいては異例のセルフ・プロデュース作品でもあり、ブラックミュージックひいては社会問題にいたるまでさまざまな角度からのテーマを内包している。
シングル主体のレーベルでもあったモータウンにおいて初めてアルバムという作品形式を強く意識した嚆矢であり、マーヴィン・ゲイの問題意識がそこかしこに滲み出たアルバムだが、そこまで小難しくはなく、感じられるのはその官能的ともいえる「愛」を密に伝える内容だ。
彼の出自が牧師の家庭というのもあり、戦争や当時のアメリカ社会問題などに対してひたすらに「愛」を説く。サウンドもそれに呼応して、A面B面ともに曲間がシームレスにメドレーで流麗に繋がっていく構成なのもそれぞれが単一の問題ではなく、全てが繋がっている事を示しているように思う。
深刻な問題を愛で包み込んでいくというのは絵空事かもしれないが、そのマーヴィン・ゲイの真摯な語りが、シルキーなストリングスと滑らかなバンド演奏によって、甘美な響きとなってあっという間に過ぎていく。その美しさゆえに、問題提起の重みも強く意識するし、マーヴィン・ゲイ本人も真剣勝負である
そういった妥協しない姿勢が、普遍的なメッセージともなって歴史に残っているのではないかと思う。ちなみにモータウンとしては初の演奏クレジットがついているという点でも画期的な一作だ。特にベースのジェームズ・ジェマーソンは代表作といって過言ではない演奏を披露してくれている。
60年代末~70年代初頭を貫くテーマに「愛と平和」があるように思うが、そのテーマに対して、黒人の側からメッセージを発し主張するという点においてもそうだし、非常に真摯かつ真っ向から立ち向かった傑作だと思う。もちろんそういう主張を抜きにしてもサウンドも非常に素晴らしい一作だろう。



Killing Me Softly

Killing Me Softly

・73年発表4th。ロバータ・フラックの全盛期を伝える代表作。自作曲はないものの、全曲に渡って、編曲を彼女が手がけ、その上でストリングスやホーンアレンジをデオダードなどの当時気鋭のアレンジャーに一任している作り。バックはエリック・ゲイルやロン・カーターなどのジャズ畑の人材が並ぶ。
このアルバムは形容が難しい。当時のニューソウル(彼女はダニー・ハサウェイとも共演盤を作っている)を基調に、フォークやカントリーの要素も内包しているし、同時に演奏陣はジャズ・クロスオーバー勢なので、端正なプレイが印象的でもある。ロバータ自身もピアノで弾き語っているのでSSWっぽい。
一括りにしてしまえばニューソウルのアルバムなのだが、そのサウンドの全容の奥行きはかなり深い。先に言ったように、彼女はアルバム全体のアレンジを統括しているので、そこがまず特殊。そして選曲の妙もある。代表曲のひとつでもあるタイトル曲は元はドン・マクリーンが歌っている。
ほかにもジャニス・イアンレナード・コーエンなどの曲が立ち並び、ソウルフルな楽曲を揃えていないのが目を引く。3やユージン・マクダニエルズ作曲の5などがそれらしいが、その他の曲のソウルフルさを支えているのが他ならぬロバータの歌声であるのが興味深い。
絶妙なアレンジのなかでロバータの歌声がわかりやすく響くことを計算して構成されている点でもかなり作り込まれている事がわかるし、なにより聞こえてくる歌や演奏のとても心地のいいことは筆舌に尽くしがたい。最大の功労者はグランディ・テイトのドラムだろうか。キックの捌きが実に絶妙だ。
ソウルらしくないはずなのに非常にソウルに聞こえてくるというのがこの盤の不思議な魅力だし、なによりロバータ・フラックの柔らかでしなやかな歌声がずっと聞いていたくなる名盤だろう。多分R&B以外のファンにも受け入れやすい、エヴァーグリーンな一枚。改めて良さを実感した。


ファンキー・ナッソウ

ファンキー・ナッソウ

・71年発表1st。バハマ出身のバンド。タイトル曲は後に「ブルース・ブラザーズ2000」でエリカ・バトゥがカバーする一曲。ジャンカヌーというバハマ特有のダンスミュージックを奏で、マイアミで活動していた所を地元のレコードレーベルに拾われるという経緯で製作されている。
一聴しても分かるように、ノリのいいカリビアンなメロディが鳴り響く。マイアミという土地柄が影響しているのか、雰囲気は非常にナンパでチャラい印象のサウンドでもある。とにかくダンスホールなどの盛り場で流れる軽快でノレる音楽が詰め込まれたアルバムといって良いだろう。
反面、ファンクやソウルの粘っこいビートに感じられる重さは皆無で、トロピカルで細やかなビートのとにかく軽いダンスチューンが中心の構成で、タイトル曲の再生産的な楽曲が多く、一辺倒な嫌いもあるが楽しさは十分に感じられる佳作ではある。陽気ば雰囲気に浸りたい場合にはうってつけの一枚だ。

・69年発表3rd。ニューヨーク出身の女性SSW。当時22歳ながらも凄まじい迫力に満ちた、深遠な世界を見せつける一枚。基本、ピアノの弾き語りで装飾的にバンド演奏やオーケストラとストリングが重ねられているが、なによりも圧倒されるのはその歌声だろう。1曲目から咆哮とも言うべき歌唱には凄味がある
一体、どんな奥底から声を出しているんだろうかと思えるほど、爆発力のありパワフルな歌には確かに過度な装飾(アレンジ)はいらないだろう。実際、本作のアレンジは最大限にその力強い「声」を生かしたものであり、楽曲を彩るものに終始しているように思える。それほどにエネルギッシュなのだ。
同時に69年作でありながら、アルバムの纏っている空気はまさしく70年代のそれであり、SSWブームに先駆けてもいるが、なんにつけても激情ともいうべき歌唱はまさしく「魂の叫び」という他ない。ポップであるか以上にローラ・ニーロの剥き出しの感情に深く深く共鳴する一枚だろう。まさしく傑作。

Dawning of a New Era

Dawning of a New Era

93年発表編集盤。1stリリース以前の初期音源集。バンドがまだThe Specialsと名を変える以前のものであり1stに収録される楽曲が大半を占めるが、肌触りはまったく異なる。というより1stのエルヴィス・コステロのプロデュースは雑味が取られ、非常に整理された音であることがこれを聞くとよくわかる。
録音のミックスに弱さも感じるが、そのラフさの残る、すれっからしサウンドはルードボーイらしさがより感じられる。1stはきれいな服を着こなしている印象を受けるが、こっちらはだらしなく着こなしてる感じが返ってクールな印象。こちらの録音の方が素の彼らの雰囲気が漂っている。
このどことなく気怠い感じのスカは2ndやSpecial Akaのそれであり、全体的にジェフリー・ダマーズ色が強いといえるかもしれない。1stはもちろん名盤だが、そのダイヤの原石をそのまま聞いているような、そんな一枚。いろいろ興味深いし、この盤にしかない魅力やカッコよさが滲み出ている良盤だろう。


Writer

Writer

70年発表1st。ジェフリー・ゴフィンとの離婚から2年経ち、その間組んでいたシティというバンドを発展期解消させたのか、メンバーがそのまま参加したソロデビュー作。収録曲は書き下ろしも含み、ほとんどキング=ゴフィンの共作。ミキシングもゴフィンが担当している。
大ブレイク作となる次作とはかなり趣が異なる。というより60sアメリカンポップスにカントリーや、スワンプだったり、ソウルだったりとかなり雑多なサウンドが繰り広げられており、興味深い。他アーティストに提供した曲のカバーもあり質感としてはかなりポップだ。
翻って考えてみれば、「清算」のアルバムなのだろうと思われる。60sのアメリカンポップスを彩ったキング=ゴフィンという稀代のコンビはもはや無く、ソロアーティストとして踏み出す第一歩としての彼女なりの60年代の清算。今聞けば古き良きオールディーズではあるが、そういう決意のあるものに見える。
事実、次作において彼女は再び「時代」をつかむ傑作を生み出すわけだが、その背後にはソングライターとしての過去と履歴がぎゅっと押し詰められているわけである。この清算をした下地があってこそ、彼女の70年代が始まるわけだが、60年代を総括している点からこそ、こちらも良作と言える一枚だろう。


ウインカー【通常盤】

ウインカー【通常盤】

16年発表8th。復帰第二作。前作の猟奇的プログレ路線は鳴りを潜め、より演劇性の高い従来のラウドロック色が押し出された一枚。今回は静と動のコントラストの落差が激しく、メランコリックなサウンドラウドロックの成分と混ざり合い、得がたい質感の内容になっている。
アルバムタイトルの「ウィンカー」よろしく、この作品に出てくるコンセプトキャラ、荒井田メルを初めとして、不可逆な可能性について言及しているように感じた。コンセプトアルバムとはいえないが、明確に何かのテーマに沿って、可能性をポジティヴに酸いも甘いも含めて、描かれる歌詞と演奏は染み入る
大槻ケンヂのこれまでの音楽活動から滲み出たメッセージがこのアルバムの演奏の素晴らしさと比例して、なにか垢抜けた印象すら持つ、会心の出来だろう。前作の腰をじっくりすえた作りから、軽やかにステップを踏んでいる一枚。シングル曲のキャッチーさも相まって一皮剥けたような名盤だろう

音楽鑑賞履歴(2018年12月) No.1287~1291

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
明けましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願いします。
はてなダイアリー終了に伴い、はてなブログに移行してもやることはあまり変わりませんが。
昨年12月の鑑賞履歴です。
6枚。
なかなかペースは戻りませんが、楽しく聞いていければいいかなと。
今回はMr.Big関連特集でしょうか。肝心のMr.Bigを一枚も聞いてませんが。
ポール・ギルバートもリッチー・コッツェンも好きなアーティストです。
今年はどんな年になるか、想像もつきませんが趣くままにやっていきます。
というわけで以下より感想です。


Silence Followed By a Deafening Roar

Silence Followed By a Deafening Roar

  • アーティスト:Gilbert, Paul
  • 発売日: 2008/04/08
  • メディア: CD
08年発表7th。味を占めたのか、インストアルバム第二弾。前作以上にテクニカルにギターが躍り、ポップにハードドライヴィングしているのが目に付く。もともと早弾きと超絶技巧で腕を鳴らしていただけあって、水を得た魚のように弾き倒す姿が目に浮かぶ。しかし、それでも独り善がりにならないのが良い。
楽曲についてはジャンルの区分なく、ポール・ギルバート自身が思い描くメロディが繰り広げられている印象で、クラシカルな旋律があったと思えば、思い切りメタルなソロがあったりと息つく暇のない感じだが、ポップな側面が影響しているのか冗長にならず、きっちりコンパクトにまとまっている。
この盤でも見え隠れするのは、ファンクというかブラックミュージックの横ノリアプローチ。縦ノリだけではなく、グルーヴに根ざした演奏が出来るのも彼の懐の深さを窺い知れるだろう。ポール・ギルバートのやりたい事が凝縮された結晶のような一枚。その屈託のない朗らかさが魅力的だ。


Inner Galactic Fusion Experience

Inner Galactic Fusion Experience

  • アーティスト:Kotzen, Richie
  • 発売日: 1995/11/21
  • メディア: CD
95年発表5th。アルバムタイトルがバンド名のようだが、この一枚きりで以降、この名義では出していない。リッチー・コッツェンのアルバムとしてはジャズ・フュージョン色の強いアルバムでギターフレーズが初手からアラン・ホールズワースを髣髴とさせる流麗なレガートで本物さながらのプレイが聞ける。
ホールズワース的なテクニックもそうだが、それ以上に多彩なプレイが聞けるのでその引き出しの多さには驚くし、その点においては巧者っぷりを余すことなく体感できる。数曲ではあるが本家ホールズワースとの共演経験もあるジェフ・バーリンが参加しており、ますますその違いがよく分からなくなる。
しかし、コッツェンの方がやや硬質に感じられるか。どちらにしても、テクニックをひけらかすのではなく、楽曲の必要に応じて繰り出されるテクニックの数々がただただ心地よく聞けるのでただただお見事。2曲だけ歌ってもいるがそちらの方でも実力の高さが伺えて、舌を巻く。地味ながら質の高い一枚だ。

ウェイヴ・オブ・エモーション

ウェイヴ・オブ・エモーション

96年発表6th。ほぼ全編歌ものアルバムだが、内容がファンク&ソウルど直球な内容で、シンプルな分だけ巧さが引き立っており、非常にソツのない一枚。歌は上手いわ、ギターもテクニカルで、しかもマルチプレイヤーでソングライティングまで出来てしまうリッチー・コッツェンの才人っぷりに唸るほかない
単に技術をひけらかすのではなく、楽曲を生かすために持ちうる技術を使いこなすという時点で、相当クレバーなミュージシャンであるのは疑いようもないが、ここまで何でもできてしまう姿にはいやがおうにも、プリンスを思い浮かべてしまうが実際そのくらいの実力を持っているのだろうと実感する。
反面、ソツがなさすぎて派手さには欠ける作品ではあるのだが、それを補って余りあるくらいには、アルバムの完成度も高い。歌も非常にソウルフルで、楽曲もHR/HMらしさを微塵も感じさせない、ファンキーなものなので食わず嫌いな人は一度聞いてみてほしい。地味ながら名盤の輝きを持つ一枚だろう。

Slow

Slow

  • アーティスト:Kotzen, Richie
  • 発売日: 2004/01/13
  • メディア: CD
01年発表11th。比較的ブルージーサウンドに寄せた作品。とはいえ、フュージョン、ファンク、ソウルミュージックが渾然一体となった、リッチー・コッツェンらしい音楽が提示されている。適度にテクニカルでブルージーでソウルフル。当時らしいデジタルな打ち込みも混ざり、ソツのなさを随所に感じる。
特に売れるという野心もなくコッツェンのやりたい事をその都度、具現化してるような音楽なのでポップな響きや即効性のある派手さはやはりないが、自由闊達にイマジネーションを紡いでいく姿勢は流行に左右されない良さがあるように思う。その点では職人的な趣もあるが、良質な作品なのは疑いない所だ。

End of the Century

End of the Century

  • アーティスト:Ramones
  • 発売日: 2002/08/26
  • メディア: CD
80年発表5th。ウォール・オブ・サウンドで知られる、60年代を代表するプロデューサーのフィル・スペクターと製作した一枚。60年代のバブルガムポップスを彼らなりの解釈で繰り広げてきたバンドにとっては本家本元とのコラボレーションとなったわけだが、その製作の顛末はわりと苦い経験だった模様。
フィル・スペクターの製作姿勢とバンドの製作スタイルが噛み合ってなかったために軋轢があったようだが、実際バンドのアルバムとしてはヘンテコな感触を残す一方、バンドの直線的な演奏が本家ウォール・オブ・サウンドによって、メロディの境界線が曖昧になっていく様はわりとサイケな感触も感じられる
一方でラモーンズ自体のガレージロック的な演奏がフィル・スペクターの作り上げる音像とまったく喧嘩しあっていて、相乗効果が生まれているかというと疑問符はつくがここまでの作品に比べると非常にメロディの甘酸っぱさが増しており、その感触自体は悪くはない。
ただバンドとプロデューサーの意図がかけ離れているので、わりあい不幸な作品だろうか。過渡期の作品であるのは確かだが、この不器用さがラモーンズらしくもあり、今までとは違った側面が窺える点では結構楽しく聞けるかと。実際、バンド史上最大のヒットを記録したアルバムというのもその証明だろう

話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

さて、今年もやってまいりました。話数単位で選ぶ、TVアニメ10選です。
毎年、放映されたTVアニメの中から話数単位で面白かった回を選ぼうという企画。
新米小僧の見習日記さんが集計されている、年末の恒例企画です。
「話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選」参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記
大まかなルールは以下の通り。

ルール
・2018年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


本ブログは8回目の参加です。なお過去の10選は以下のリンクから。

話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)
話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

筆者としては「記録を残す」という点で、企画に参加してます。なお今年に置きましては色々と「宿題」を残してしまっていますので、10選コメントについては手短にまとめてあります。むしろ全話見てない作品からの選出もしていて、かなり寄せ集めな感じです。ご了承ください。ちなみにスタッフ名等々は敬称略となっております。日付は地上波放映日、Web上の公開日の最速に準拠しています。


《話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選》

・DEVILMANcrybaby IX「地獄へ墜ちろ、人間ども」(1/5)
(脚本: 大河内一楼/絵コンテ:湯浅政明/演出・作画監督:小島崇史)

原作の衝撃回に真っ向勝負をかけた一本。物語全体が不寛容さや人の獣性、死にまとわりつくエロスを描いた生理的嫌悪に背徳を覚える作品だったが、選定話数はその象徴ともいえる回。暴徒に祭り上げられた美樹の生首に艶かしさを感じさせる辣腕を思い知った。

多田くんは恋をしない 第8話「雨女だったっけ?」(5/24)
(脚本: 中村能子/絵コンテ・演出:藤原佳幸作画監督:山野雅明、瀧原美樹、凌空凛、伊澤珠美、菊池愛、助川裕彦、市原圭子)

人が恋に落ちる瞬間を描ききった一話。河口湖に野営し、星空を待つというベタなシチュエーションながら、奇を衒わずヒロインテレサの情緒を見事に活写した。平成末期の東京という舞台において、あえて「東京タワー」を出してこない試みなどその清新なドラマは地味ながらも冴えていた。

メガロボクス ROUND3「GEAR IS DEAD 絶望の果ての負け惜しみ。機械はハナから息しちゃない」(4/20)
(脚本: 真辺克彦/絵コンテ・演出:和田高明作画監督和田高明、原田大基)

あしたのジョー」を原案にして作られた近未来ボクシング作品。この回で、ジャンクドッグを始めとするチーム番外地が出揃った。アンダードッグ(負け犬)どもが明日なき明日を目指して向かおうとする姿は心惹きつけられるが作品がそれを完遂できたかはまた別問題。和田高明によるボクシング描写は流石といったところ。

働くお兄さん!第10話「レンタルDVD屋のお兄さん!」(3/9)
(脚本: 高嶋友也/監督:高嶋友也/シリーズ構成:宇佐義大/キャラクターデザイン:小田ハルカ)

ショートアニメ。2期をまったく見ることができなかったが、やはり映画ファンネタはコメディとして鉄板というか。キャラクターを始めとしてデザイン周りが非常に秀逸だったし、回を増すごとにおとぎ話を絡めたギャグ描写の拍車がかかってたのもドライヴ感があってよかった。この回はさるかに合戦。

・22/7 「あの日の彼女たち」day03 立川絢香(5/24)
(絵コンテ・演出:若林 信/作画監督堀口悠紀子

YouTube公式配信作品。秋元康による二次元アイドルグループ「22/7」の何気ない日々を切り取った内の一編。なんというか、こういう悪戯っぽさやはぐらかし方が思春期の少女らしい描写だが、それを堀口悠紀子という望外の人材によって描かれる作画と気鋭の若手演出家、若林信の競演によって成立させた企画者の慧眼が物を言う。百聞は一見にしかず。以下にリンクを張っておく。同シリーズはどれも必見。

・うちのメイドがウザすぎる! 第1話「うちのメイドがウザすぎる!」(10/7)
(脚本: あおしまたかし/絵コンテ:太田雅彦/演出:守田芸成
 /作画監督:伊澤珠美、杉田まるみ、鈴木絵万、濱口明、山崎淳

動画工房によりスクリューボール百合コメディ。とにもかくにも鴨居つばめというアンタッチャブルなキャラクターの一点突破で成立する、心に傷を負った幼女の超克ドラマだがそのアンバランスな物語を有無を言わさぬ作画力で押し切ったのは挨拶代わりの初手としてはこの上ないものだったかと。

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 第4話「ギャング入門」(10/27)
(脚本: ヤスカワショウゴ/絵コンテ:木村泰大/演出:鈴木恭兵
 作画監督:森藤希子、重本和佳子、岩崎安利〔アクション〕/総作画監督:田中春香)

Vsポルポ(ブラックサバス)編。5部以降、複雑化の一途を辿ることになるスタンドバトルだがその魅力をアニメで表現する事に注力した話数だと思う。同時に5部の真の意味での「始まり」が描かれたエピソード。イタリアらしい陰影の濃さにジョルノという「黄金の精神」のストイックさもまた重なって、5部の凄惨さが浮き彫りになったのも見逃せない。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない第3話「君だけがいない世界」(10/20)
(脚本:横谷昌宏/絵コンテ:増井壮一/演出:篠原正寛/作画監督:宮粼詩織、三木俊明、石毛理恵/総作画監督:田村里美)

前年(Just Beause!)に引き続き、鴨志田一原作の選出。西尾維新の「物語シリーズ」フォロワーとも言うべき作品であるが、昨今「空気」とも呼ばれる、目に見えない「圧力」をテーマにしている辺りがオリジナルとは一線を画すか。その第一章の完結編。先祖返りしたかのような学園青春ドラマをどストレートに展開して、甦らせた点に目を見張る。青臭くもあり、若さゆえの歪みを調律するという点は非常に電撃文庫らしくもあるが、現代性も携えているのが面白さだろう。

HUGっと!プリキュア 第38話「幸せチャージ!ハッピーハロウィン!」(10/28)
(脚本: 横手美智子/絵コンテ・演出:平池綾子/作画監督:上野ケン/総作画監督:山岡直子)

ハロウィン回。15周年という事もあって「お祭り感」の否めない今年のプリキュアだが、あえて「らしい」話数を選んだ。今シリーズは若手である平池綾子が頭角を現した点が個人的に目を引く。「らしさ」は人によって異なると思うが、15年培ってきたスタイルに新味を加えるという点では、プリキュア初登板となった横手美智子ともども健闘していたように思う。特別なことはしない、「いつも」のプリキュアを演出することの大事さをこと強く感じた話数だった。

・少女☆歌劇レヴュースタァライト第12話「レヴュースタァライト」(9/28)
(脚本: 樋口達人/絵コンテ・演出:古川知宏、小出卓史
 作画監督:松尾亜希子,小里明花,谷紫織,清水海都,小池裕樹,錦見楽,杉山有沙,大下久馬,小栗寛子,櫂木沙織,角谷知美)

今年、アニメで一本選べと言われたら、この作品を選ぶ。結果的に「舞台演劇」をアニメーションで表現することに挑戦していた作品であるし、生の舞台には出来ない表現で追いつき追い越そうとしていた。「二層展開式少女歌劇」の名目が災いしたのか、間口の狭い作品となってしまった感はあるが、それ以上に一度惹き付けられたファンを逃さない(逃せられない)構造は強固でもある。短い文章ではこの作品は語り切れない。やり残した「宿題」も本作にまつわるものだが、何とか完遂したい所。選んだ話数に一言添えるとしたら、物語そのものが『レヴュースタァライト』だったという事。どういう事なのかは、別の機会に改めて。


【次点】
少女☆歌劇_レヴュースタァライト第3話「トップスタァ」,第6話「ふたりの花道」,第8話「ひかり、さす方へ」
HUGっと!プリキュア第15話「迷コンビ...?えみるとルールーのとある一日」、第29話「ここで決めるよ! おばあちゃんの気合のレシピ!」、第33話「要注意!クライアス社の採用活動!?」


《終わりに》
今年2018年の総括を書こうと思いましたけど、上手くまとまらないので割愛します。まあ、今年は時代を考えられるほどには作品を見ていないというのもあるので、ともあれ。
昨年の総括で、時代の空気はなにかしら「淀み」を帯びたものになってきている、と語りましたがこの一年を振り返ってみると、国内ではその「淀み」が恐ろしい速度で広がり「汚染」されてしまった、としか言いようのない停滞感あるいは疲弊がそこかしこで目に見えてきた年だったのではないでしょうか。

良くも悪くも今年を象徴したMV、Childish Gambino「This Is America」で表現されているように「この不条理な世界こそ、アメリカだ」といわんばかりに各国、内憂外患の状況が続いているし、日本も他人事ではないかと。加えて、「平成」がいよいよ終わります。そういった時代背景からも色々と岐路に立たされているのは言うまでもないだろう。零細ブログで現状を憂えてもしかたないけど、舵取りひとつでいつ急転直下してもおかしくはない状況であるのは確か。だから注視しなくてはならない、のだと思う。
という風に書いてもいいんですけど、別に政治的なことが書きたいわけではないので。色々くたびれてきているというのが肌感覚としてありますが…。観測範囲ではやはり世間的に百合作品の飛躍した年かなあとも思いますが、バズッた作品を熱心に見ていたわけではないのでそこを語るにしてもなんだかなあという感じが自分の中にあったり。いや、個人的には「少女☆歌劇_レヴュースタァライト」をずっと追いかけていたわけですが、いかんせん全話感想がまだ終わってないのが心残りといいますか。まだまだ自分の中でケリがつかずにいる作品なので、噛り付いてもやりきりたい所存です。なのでお待ちいただいている人たちはもう少しご辛抱を。時間はかかると思いますが自分でもやり遂げたいと思っていますので。
今年のアニメ鑑賞についてはそんな感じで情熱を傾けすぎたせいで、他が霞んでいるという状態がずっと続いている状況でしたね。こんなのは滅多にないことではありますが、もうしばらく続きそうです。というわけで今回は縮小版という形で記事をまとめてみました。まあなんとか10本かき集められたので良しとします。平成最後の年末がこれでいいのか、という気もしなくはないですが、今年の記録として心に刻めたので悪くはないでしょう。それではひとまず今年の締めとして。
以上が自分の「話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選」でした。各所で関わりになった方々には本年もお世話になりありがとうございました。来年もまたお付き合いいただければ幸いです。それでは今年も残りわずかですが、よいお年を。

音楽鑑賞履歴(2018年11月) No.1279〜1286

月一恒例の音楽鑑賞履歴。

8枚。
今月からようやく2016年購入分に突入です。いやあ、長かった。
とりあえずDavid Bowie「★」の感想がかつてなく長くなってますが、いろいろあった年なので文量も増えた感じです。
気づけば今年も一ヶ月を切りました。今年もなんだかんだありますが、暮れが近づくと思うことも様々です。
とりあえずやらなければいけないことを処理しつつ、新しい年を迎えられればいいなと。
というわけで以下より感想です。


Bongo Fury

Bongo Fury

・75年発表20th(通算)。ザッパが学生時代よりの親友であるキャプテン・ビーフハートと共演した唯一のアルバム。基本的にビーフハートマザーズのライヴに参加した時の音源で、テリー・ボジオがザッパのアルバムに参加した最初の一枚でもある。内容は下世話な泥臭さと理知的な構成が入り混じっている
この盤を聞くだけでも、ザッパとビーフハートが同じ方向性を見ているようでまったく別方向の方法論で音楽をやっているということがなんとなく察せられ、お互いの仲がどうであれ、資質的には水と油なのは見て取れる。ザッパは理論的であるし、ビーフハートは感性が勝っている。
あくまでビーフハートがザッパのライヴで客演してる体裁なので、がっぷり四つで火花を散らしているわけではないので注意が必要だが、アクの強い両者の個性が絡み合っており、アルバムとしては他とは異なった独特さもある作品だ。全盛期ともいえる70年代中期のマザーズからの移行期でもあるの含めて。
本作はザッパ作品の中でもきわめてアーシーな作品でもある。73年の「オーヴァーナイト・センセーション」から本作に至るまでは、高度なアンサンブルと楽曲の密度の濃さの一方、土埃っぽい垢抜けないサウンドなのだが、その土臭さが特に濃厚なのだ。ぬかるんだ泥のような粘っこい演奏が聴けるのは珍しい
ビーフハートの影響があるのかは定かではないが、その雰囲気に呑まれて、楽曲もスマートというよりはなにかのた打ち回った印象が強く、ザッパ特有のスマートさが陰に隠れているようにも感じられるか。しかし聞けば、間違いなくザッパサウンドなのは確か。そういう点ではアクがさらに強くなった一枚かと。

★(ブラックスター)

★(ブラックスター)

16年発表28thにして遺作。自身の誕生日(1/8)にリリース、その二日後の1/10に亡くなるというニュースは世界に衝撃を与えた。この突然の訃報によって、さまざまな議論や賛否が渦巻き、このアルバムは死というバイアスのかかった過大評価であるという向きもあったが、改めて聞くとその像が見えてくる。もちろんこれはボウイが全世界へと向けた「遺言状」、あるいはスワンソングであることは疑いようもないし、ボウイはデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズではなく、デヴィッド・ボウイとしての最期をこれ以上にない形で表現したのはいうまでもないが、あえてそこから一歩引いて考えたい。作品の内容はジャズバンドのマリア・シュナイダー・オーケストラのメンバーが多数参加したジャズ要素の強い作品という触れ込みであるが、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによれば、ケンドリック・ラマー、ボーズ・オブ・カナダ、デス・グリップスなどに影響を受けたものであるという。実際聞いてみるとわかるように、このアルバムは少なくとも「ロックアルバム」ではない。ヒップホップも入っているし、テクノもあれば、演奏陣の出自でもあるジャズも感じる。ヴィスコンティの語った影響先から考えると、これらが統合されたものが本作であると感じる。結果的にではあるが、本作でヒップホップとテクノを繋げたのはロックではなく、ジャズなのだ。いや、ロックもいわゆる新世紀ジャズとして市民権を得る、新しい形のジャズに内包されてしまっていると言い切ってしまってもいいだろう。ことこのアルバムにおいてはロックはまったく主体ではないのだ。
10分近くに及ぶ1曲目だけを聞いても、ビートの感覚、メロディの展開は少なくともロックの格式ばったものとは異なり、非常に自由かつ開放的だ。サビがありギターソロがあり、のようなものではなく、ボーカルと演奏が個々に独立していながらも呼応しており、なにかしらの塊として形作られている。生音と電子音のビートがユニゾンしたり、ギターやサックスなどがアドリヴのように曲空間に旋律を漂わせ、ボウイのボーカルも呼応するように変幻自在に乗っかっていく。もちろん歌詞の内容を見ていくと、迫り来る死に直面したボウイの内面を感じるがそれすらも音楽に導かれて出てきたものにすら思える。アルバム全体を聞いていくと、ジョン・フォードの演劇へのオマージュや、ゲイの間で使われた話法ポラーリ、「時計じかけのオレンジ」で使われた人工語ナッドサットなどの引用も本作の演奏とまったく等価に扱われており、その全てが有機的につながっている。まるで細胞が入れ替わるように。ボウイの歌唱もバンドの演奏もインプロヴィゼーションでもあり、めまぐるしく変化していく。ともすれば節操もない印象も受けるが、死が生を解き放っていくかの様にありとあらゆるものを呑み込んで収束していく様はマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」で繰り広げられるパッションの逆流を見る思いだ。
そういった自由闊達さは非常にジャズ的であり、ボウイが根ざしてきたロックミュージックもその中のひとつに組み込まれていく。拡散から収斂へ。このアルバムの表現しているのはそういうものであると思う。だからこそ、I Can't Give Everything Awayと結ばれていく、そのプロセスが非常に美しくある。ロックスターからブラックスターへ。そして黒き星は次なるビッグバンに向けて眠る。だからこそ、今、最も生命的な現代のジャズに寄り添っていったのではないかと思う。完全に勝手な憶測ではあるが、最後の最後に「種」を残していった、んだろうと。今改めて聞くと、その音楽的な自由さに驚くばかりだ。自由とは創造性と置き換えてもいいかもしれない。このボウイの置き土産はそういう可能性を残しながらも、ひとまず「葬った」一枚でもあると思う。だからこれはロックアルバムではなく今最も自由に満ち溢れた「現代ジャズ」の一枚として聞いた方がすんなりと聞ける様な気がする。
ボウイの求めていた音楽や表現も本来はそういうものだったんだろうと、おこがましくも思うわけだが、ボウイが末期に表現した音楽がジャズであることはやっぱり皮肉的でもあるし、時代は変わったのだ。しかし、ボウイは最期までボウイだった。それでいいのだと思う。立つ鳥跡を濁さず。R.I.P.

META

META

16年発表1st。現状唯一作か。14年1月に「テクノリサイタル」と称して高橋幸宏がライヴを行った際のスペシャルバンドがそのままグループとして発展して製作されたアルバムがこちら。Leo今井砂原良徳テイ・トウワ、ゴンドウトモヒコ、小山田圭吾高橋幸宏といった錚々たる面子のスーパーバンド。
内容としては10年代型のテクノポップといっても過言ではないもので、YMOのオリジナルメンバーである高橋幸宏とそのYMOチルドレンたるミュージシャンの競演であり、高橋幸宏らしいウェットなメロディが全体を貫く中で、現代のテクスチャーを纏ったエレクトロサウンドがポップに響き渡る。
メンバーがそれぞれの特色を生かしつつ、楽曲によって入れ替わり立ち替わり、Voすらも替わって行く中で不思議と統一感があるのはなんというか、ディレクションが際立っているという印象を持つか。メンバーの砂原良徳自らがマスタリングを手掛けているのもあり、全体にグループの意図が行き届いた良作だ

curve of the earth

curve of the earth

16年発表5th。前作から4年ぶりの新作。故スティーブ・ジョブズがスピーチで内容を引用したことでも知られる『全地球カタログ』の監修者、スチュワート・ブランドの思想にインスピレーションを受けた作品。堅実かつ地に足についた佳作であった前作からスケールアップした印象を受ける。
前作のアーシーさを引き継ぎつつ、サウンドスケープの景色をタイトルのとおり、地球を俯瞰するような視点で捉えており、テンポはミドルが主体ながら、バントの持ち味であるサイケ感と宇宙的な浮遊感が重なって、果てしなく広がる空間を遊泳する心地になる。しかしそれが野放図にならないのがスゴい。
前作までに培った滋味あるメロディに一音一音に重みを感じ、自由に浮遊しているようで、軸足はきっちりと地球に根差している。指針がはっきりとした内容・演奏だからこそ、壮大なサウンドもバンドとして自然な変化に感じられるか。過去の経験の研鑽と積み重ねが結実した、最高傑作といっていい名盤だ。

ボールルーム

ボールルーム

14年発表6th。時代の流行に乗ってか、彼らなりのエレクトロポップスを志向したアルバム。音の感触は3rdに近いが、そちらはヒップホップ色もあり、比較的サウンドがソリッドだったが本作は80s前半オマージュが色濃い、滑らかでソフトなメロディーが際立つ作品。レトロモダンという点でも今風な印象。
しかし、元来のポップマニアな一面が功を奏して、かつてのエレポップが60年代のポップスやR&Bを下敷きに置いたように、過去から現在に至るまでの膨大なデータベースによる練り込まれたメロディを、カドの取れたシンセサウンドで鳴り響かせている。そこに卓越したセンスを垣間見る作り。
シンセの温かみのある音、というと語弊はあるがシンセ音にグルーヴを求める昨今の流れとは一線を画しており、オマージュにオマージュを重ねたウェットなメロディラインをシンセで奏でる心地よさに比重が置かれてる点にポップマエストロたる矜持を感じる一枚。聞けば聞くほどじわじわ染み渡る好盤だ。

adore life

adore life

16年発表2nd。現代ポストパンクガールズバンドの第二撃。ライヴツアーで鍛えたらしい、持ち味の骨太さには拍車がかかった印象。金属質なギターとよりソリッドになったリズムにはメンバーの確信に満ちたアディテュードを感じ、心強くもある。過度な派手さよりも、真に迫ろうとする求道的な趣も強い。
ストパンクと称してはいるが、本作はバンドサウンド以外のキーボードの演奏やゴシックロックやガレージ、メタル(ハードロック?)に接近した楽曲もあり存外、バリエーションにも富んだ作りが目を引く。反面、バンドの演奏が単調なせいか、その主体の演奏よりも、オブリガードに面白い響きを感じた。
この点ではけっこうサウンド等々、バンドそのものが柔軟になったとも考えられて、興味深いが同時にひとつのスタイルにこだわり続ける事も、ことロックという分野においてはかなり困難が伴ってしまうのは時代の流れゆえか。飛躍作だが、まだまだ余白があるはず。今後に期待を持ちたい。

創世記

創世記

83年発表12th。二匹目のどじょう狙いというべきか、Prophet 5の分厚いシンセサウンドによるエレクトリックブギーとアースらしいコズミックなディスコブギーとのギリギリの臨界点を見極めた一作。なかなかキワドいバランスで成り立っている印象で、一歩間違えば踏み外していた事も容易に想像できる作り
いずれにせよ、前作の成功再びという面は否めないが楽曲の質は非常に安定しており、サウンドプロダクション的には今、再評価されてもいい内容にもなっている。ホーンズを効果的に使う曲がある一方で、シンセ主体になっている楽曲もあり、方向性を模索していた、ということも見て取れる。
ただそれ以前に、バンド自体のキレと勢いが鈍りつつあるのも感じられるか。一定以上に仕上がっているのは確かなのだが、演奏も非常に「手慣れた」雰囲気でクリエイトするという面では減退している事は否めない。佳作ではあるが、最前線から足が遠のきつつある事も感じてしまう、翳りのある一枚か。

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

06年発表6th。意外にもソロキャリアでは初のギターインストアルバム。今まで本人のソロアーティストとしての拘りが、全編インストを頑なに拒否してたという趣旨がライナーにも書かれているが、内容も彼のソロキャリアを反映したようなもので、過度のテクニカル指向には陥っていない。
もちろんギタープレイヤーとしては確固たる実力の持ち主であるのは疑いようも無く、曲によってはテクニカルな趣向を凝らした演奏もしている一方で、彼のポップ志向やルーツのブルース、クラシックなどのエッセンスも抽出されていて、過去のソロ作の作風をインストに落とし込んでいる印象が強く残る。
重低音のへヴィさを押し出すよりかは、カラっとしたハイノートのギターフレーズをポップに響かせることを信条としているプレイヤーと言う印象もあってか、ファンク調の楽曲も重くならずに聴けるのが面白い。ソロとしての彼の魅力はインストアルバムでも変わりないことが確認できる作品。

音楽鑑賞履歴(2018年10月) No.1271〜1278

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
少し復調して、8枚聞けた。ホントはもうちょっと聞けたらいいんですが。ともあれ10月鑑賞分でついに2015年の新規購入分を聴き終えることが出来ました! いやー長かった。とは言いつつ、ようやく2016年に入ることが出来るわけですが、その間も購入続けてて、どんどん聞くものが溜まっていっているのはうれしい悲鳴という感じでしょうか……。地道に聞いていきたいと思います。年の瀬もいよいよ迫ってきています。病気や怪我をせずにこのまま過ごせるといいのですが。体調を崩しやすい季節に差し掛かって着てますのでこれを呼んでくれている皆さんもどうかお気をつけて。

というわけで以下より感想です。


海洋地形学の物語

海洋地形学の物語

73年発表6th。ブルーフォードが脱退して、アラン・ホワイト加入後初のスタジオ録音にして、前作以上の大作主義によって作られた2枚組アルバム。ブルーフォード独特の不規則なビートから一転して、タイトさのあるアラン・ホワイトのビートによって、音が太くなった向きはあるが、奇妙にユルい。
前作からの緊張感のあるサウンドが全体のトーンではあるが、一曲ごとが非常に大作になったため、演奏そのものが間延びした感じになっており、緊張感を保ったまま、たおやかなユルさが感じられてしまうのが冗長であるという原因だろうと思われるが、それがこのアルバムの魅力でもあるので痛し痒しだ。
メンバー自体は全盛期のテンションを維持しているので、聞き応えがある演奏が続くのが興味深いし、ある種の宗教体験としてのトリップミュージックとして聞くと、このアルバムは結構心地いい事に気づく。サイケというか、今で言うジャムロック的なのをもっとスピリチュアルにやっている感覚が面白い。
そういう点では、バンドのセッション風景を眺めているようでもあり、きわめて自由律な作品であるが、これを作り上げるのは壮絶な作業だったことも目に浮かんでしまう。事実、このアルバムの製作に嫌気が差し、リック・ウェイクマンが脱退してしまう。これによってバンドは新たな舵取りを要求される事になる。
バンドメンバーのクリエイティヴィティがアルバムの出来と一致しないという典型的な一枚である一方、プログレという音楽ジャンルの曲がり角を記録した一作でもあると思う。73年を境に各バンド、それぞれの道を模索していくことになるがこれもそういったバンドのターニングポイント的一枚といえるだろう


サウンドミュージアムファミコン編〜スーパーマリオブラザーズ3

・04年発表OST。雑誌ニンテンドードリームvol.112に付属された88年発売の「スーパーマリオブラザーズ3」のサウンドトラック集。あくまで雑誌のおまけなので一般流通はしていない代物。当時食玩シリーズで出ていたものの特別版という形での8cmCDサウンドラックとあっており、収録時間も20分足らず。
後にファミコンマリオシリーズを取りまとめたCDは出ているが、マリオ3のBGMを単体で聞けるのはこれがおそらく唯一。今改めて聞くと、8bitの限られた音数の中でリズムパターンがあまりにも多彩だということに驚かされる。音楽を担当した近藤浩治氏の手腕が冴えたものとなっている。
88年という時代柄か、ヒップホップのリズムが織り交ぜられたり、ウェスタン調やラテンの陽気さが漂うサウンドなどかとなくワールドミュージックを意識した音楽なのも、当時のバブル景気とともにファミコンサウンドの進化も分かるものとなっており、興味深い一枚だと思う。個人的にはワールド6が印象に深い。

15年発表4thSG。当時飛ぶ鳥を落とす勢いそのままの高いテンションが収められている意欲的なシングル。スキャンダルが露呈する直前とはいえ、歌詞のやるせなさや諦念感、ぐちゃぐちゃなルサンチマンの自己言及感が聞いていてぐさぐさ来る。なんというか鬼気迫るという言葉が似合うような際どい感じ。
ダブルA面となっている楽曲以上にハイライトは4の「灰になるまで」だ。今聞くと本当にスキャンダル以前の曲かと思わんばかりに、切迫感と焦燥感がちりつく赤裸々な歌詞内容に心がざわついて仕方ない。本当のことを言っているかどうかはともかく、何かが渦巻いていたことが窺えるもので興味深い。
このシングル発表以後は報道の通りだがこの時点では何かが張り詰めていて、今にもはちきれんばかりに鬱屈していたようにも感じられる内容であることは確か。スキャンダルが良くも悪くもガス抜きになったというより凧の糸が切れたようにも思えるか。なんだかんだで彼らの分水嶺的なシングルではないかと。

ドラム・オード

ドラム・オード

75年録音盤。エレクトリック期のマイルスバンドでサックスを吹いていたデイヴ・リーブマンがその在籍中にECMで録音したアルバム。当時のクロスオーバーサウンド的な内容であるが特筆すべきはツインドラムをはじめ、パーカッション陣が8人も参加しているというメンバー構成。
パーカッションの多さやアルバムタイトルからもわかるようにリズム探求的な楽曲が立ち並んでおり、ラテン、アフリカン、ブラジリアン的な細分化されたリズムが入り乱れる。そこにリチャード・バイアード、ジョン・アバークロンビーといったECMお馴染みのメンバーが絡み、熱っぽい演奏が繰り広げられる
リーブマンの吹き上げるサックスは、オーソドックスなプレイが力強さと存在感を高めており、全体のサウンドの中核を担う。RTF期のチック・コリアウェザー・リポートなどに接近したサウンドではあるが、よりリズムに特化した印象でECMの静謐なイメージとは異なり、神秘的な躍動感に満ちた一枚だろう。

Amazing New Electronic Pop Sound of

Amazing New Electronic Pop Sound of

68年発表4th。ディズニーランドのエレクトリカルパレードで有名な「Baroque Hoedown」の作曲で知られる、ジャン・ジャック・ペリーのソロ作。と言ってもやってることはPerrey and Kingsleyの頃とあまり変わらず、モーグ・シンセザイザーを使った演奏によるハッピーでモンドな楽曲群という感じ。
このアルバムは自作曲(&クラシック曲のマッシュアップメドレー)で構成されており、楽曲タイトルのイメージからすると、当時のアポロ計画による宇宙趣味や映画音楽、あるいはエキゾチックミュージックなどエッセンスがふんだんに盛り込まれた、陽気なトラックが生ドラムのリズムに乗って聞こえてくる
面白いのはこの陽気な底抜け感やエキゾチックな感触、シンセの人工音と人間の叩くリズムの妙味と言うのがそのまま、後のYMOが送り出すテクノポップの形そのままであるということ。勿論、時代的にYMOの方が洗練はされているし、どちらにしてもマーティン・デニーなどからの影響は隠せないだろう
しかし偶然?にもこの組み合わせが68年の時点で形作られていることを考えると、YMOの音楽のインスパイア元のひとつではないかとも思えてくるから興味深い。後ろめたさのない、極めてハッピーなトラックから感じられるキャッチーな印象は古くはあるが、今聞いても楽しい気分にさせられる。
実際そうであるかを抜きにしても、ジャン・ジャック・ペリーの作り上げた音楽が源泉となって後の電子音楽の歴史を切り開いたのはいうまでもなく事実であるし、その線上にYMOもいると言う歴史的な流れを感じ取れるだけでも意義のある一枚だし、そんなことを考えずとも、楽しい聞ける好盤だ。

Free

Free

69年発表2nd。前作から7ヵ月後にリリースされたアルバム。当時、10代のメンバーが繰り広げるブルースロックといった趣なのは変わりないが早くもその枠を飛び越えて、音楽的な幅広さも感じられる内容となっている。英国出身らしく、ブルースを演奏していてもそこまで泥臭くならず、垢抜けた音。
都会的なシカゴ・ブルースとも趣が異なり、なんというか草の匂いと英国の叙情的なメロディが絡み、乾いた音というよりは枯れた味わいの中にも湿度をじんわり感じるのがこのバンドに限らず、ブリティッシュロックの特徴なのかもしれない。湿度の重さの分だけ、ボトムラインの安定感が映えるか。
この盤に限っていえば、アンディ・フレイザーのベースの存在感が目立っているというか頭ひとつ抜けている印象も感じるか。ポール・コゾフのブルージーで神経質なギターがその上に乗っかって、奏でられている感じで繊細さと骨太さが同居した奇妙なバランス感覚が耳に残る。
非常に筋肉質な反面、内面のセンシティヴかつナイーヴなセンスが当時一線を画す、バンドのオリジナリティであったのかなと推察される。同時にそれは諸刃の剣でもあり、まだまだ青春という時代に生きていた人間だから成立できた音でもあるかと思う。成長著しく、音楽性を幅広く拡張した早熟の一枚。

Wasp Star: Apple Venus 2

Wasp Star: Apple Venus 2

00年発表12th。現時点における最終作。中心人物のアンディ・パートリッジ自身「もうXTCの新作は有り得ないだろう」とも発言しているそうなので、ラストアルバムだと考えて良さそうだ。前作の続編でエレクトリックサイドの楽曲がメイン、というか従来路線の内容が繰り広げられている。
XTCらしいパウンドケーキのように厚みのあるブリティッシュポップサウンドで、その影にはビートルズを始めとした、歴史と伝統も感じさせなくない作り。ちょっぴりサイケなラム酒を織り交ぜて、練りに練り上げたポップスは毎度毎度ながら安定感があり、全編を通して外れがない職人芸を感じる。
それゆえに楽曲のメロディなどはかつてないほどまろやかな口当たりでのど越しが小気味良く滑っていく。それこそ程よく熟成されたワインやウィスキーのように。反面、メロディの展開には過去作で聞いたことあるようなフレーズがちらほら出てきていたりと、自家中毒感が否めないのも確かだ
しかし、もはや音楽的革新を目指すバンドではないし、いかに金太郎飴であろうが、そこにポップさがある限り、職人的な腕前を楽しむ作品であり、そういう点ではまったく問題ないどころか、タイムレスな魅力をいつまでも放ち続ける作品だろうと思う。おしむらくはその歴史が止まってしまったことだけだ。

ウィ・スリー

ウィ・スリー

58年録音盤。名ドラマー、ロイ・ヘインズのリーダー作。当時ジャズクラブで定期的にギグを繰り返していたピアノトリオでの録音。フィニアス・ニューボーンとポール・チェンバースという実力派が繰り広げた演奏は熱っぽさよりかはリラックスした雰囲気のスムース&ブルージーなもの。
しかしその寛いだ中でも、各人の技量の高さが窺えるプレイを見せており、白熱した演奏ではないが達人たちが余裕を持って、事も無げに熟練したテクニックを披露し合っている。ある域に達した者だからこそ描き出される演奏の妙に凄みを感じる。あえて火花を散らさず、じっくりと聞かせてる演奏はクールだ。
そんなシブく決めているアルバムだが個々の演奏はそれぞれ聴いていると、どれも才気あふれるものであるのも興味深い。演武のような演奏、といってもいいかもしれない。攻めようと思えば、いかようにも出来る布陣だがお互い息の合った掛け合いがとても楽しい一枚だろう。何もしないで静かに浸りたくなる。

「少女☆歌劇レヴュースタァライト -The Live- #2 Transition」インプレッション


「少女☆歌劇レヴュースタァライト -The Live- #2 Transition」
渋谷のAiiA 2.5 Theater Tokyoから天王洲アイルは銀河劇場に場所を移しての舞台版第二幕。TVアニメ全12話の放映からバトンタッチを受けての、「二層展開式少女歌劇」ならではの舞台演劇が繰り広げられました。今回はその舞台のインプレッション記事を書きたいと思います。#1、TVアニメを経て、「変化」「過渡期」という意味合いを持つ「Transition」が冠された今回の#2でしたが、その名に違わず、何かしらの変化、転回があった舞台だと思います。TVアニメが終了し、ソーシャルゲーム「少女☆歌劇レヴュースタァライト -Re LIVE-(以下スタリラ)」の配信を間近に控える中での作品の先を捉えた物語だったといえるでしょう。
前回の記事よろしく筆者の所感を認めたいと思います。ちなみに10/18のマチネ(昼公演)を観劇しました。そして今回は少々ネタバレも含みますので、読み進めたい場合は以下をクリック。スマホなどでご覧になってる方はその点を了承した上でお進みください。

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音楽鑑賞履歴(2018年9月) No.1270

月一恒例の音楽鑑賞履歴です。

なんとか一枚聞けましたが、状況はあんまり変わらずですね。ぼちぼちこちらも復帰していきたいと思いますが、しばらくはあんまり数聞けないかなとは。自分としても音楽聴きたいんですけどね。まあ、致し方ない。
なんだかんだで今年も残り1/4です。「平成最後の〜」というフレーズが目立ちますが、そういうのはあまりに気にせずに過ごして行きたいなあとかそんなことを思いつつ。


というわけで以下より感想です。


Street Lady

Street Lady

73年録音盤。ブルーノート晩年期の作品群のひとつ。後にスカイハイ・プロダクションを設立し、クロスオーバー/フュージョンサウンドの流れを決める、マイゼルブラザーズとの共同制作第二作目。当時バードはハワード大学の音楽主任教授として教鞭をとっており、彼らはその教え子でもある。
73年という時代を考えるとこの盤で繰り広げられる、クリスタルな響きとコズミックなグルーヴは程なくして大ブームとなっていくディスコサウンド、あるいはライトメロウ(AOR)、フュージョンサウンドへと直結した先鋭的な音だろう。もはやジャズの黒っぽさはなく、非常に洗練されたファンキーさを感じる。
比較的アドリブを廃した(ように思える)スクエアな演奏なのはファンク起因によるものだろうが、その規則的な反復リズムによるグルーヴを機能的に生み出している辺りにクレバーさを感じるのは大学教授とその教え子が生み出した研究成果なのかもしれない。前作に引き続き、先駆的な音を提示した一枚だ。